劣化した完全民主主義

2026-10-16 vendredi

 愛知県の九条の会に招かれて講演をしてきた。講演の後の質疑応答の時間にフロアから沖縄知事選におけるSNSの影響について質問された。SNSでの誹謗中傷によって選挙結果が決まるのであるなら、これは民主主義の破壊ではないのかと訊かれた。
 私はこれを民主主義の「破壊」だとは思わないと答えた。日本の民主主義指数は10点満点の8.44点。世界16位というハイスコアで、「完全な民主主義」の国にカテゴライズされている。アメリカの民主主義指数は7.65で「欠陥のある民主主義」である。中国は2.11、ロシアは2・03で、当然ながら「独裁政治体制」である。それに比べれば、日本は堂々たる民主主義政治体制なのである。
 今の日本では、選挙不正や投票結果の改変はまず考えられない。みなさん自分の意思で投票し、その結果がそのまま候補者の当落に反映している。だから、今起きていることは民主主義が何か別の体制に変わりつつあるということではなく、民主主義が持っている「本態的な弱さ」が露呈したことなのである。
 民主主義というのはまことに脆弱な政治体制である。市民的に成熟した人も、未成熟な人も同じ一票を与えられている。だから、市民的に未成熟な人が増えれば、「出来の悪い民主主義」になる。別に驚くほどのことはない。当たり前である。
 SNSには悪質な誹謗中傷動画があふれているが、それを見て、そのフェイクニュースをそのまま信じるほど頭の悪い有権者はいくらなんでもそれほど多くはないと思う。でも、ふつうの人はこの圧倒的なデマゴギーの洪水的な配信を見て、「このような脱法的な行為を組織的に行いながら処罰ないということから推して、これは圧倒的な資金力を持ち、かつ司法に対して支配的な力を行使しうるほど巨大な政治勢力によってなされているに違いない」というふうに推論する。この推論は間違っていない。問題はその先にある。市民的に未熟な有権者は、「そのような巨大な政治勢力に対して抵抗しても勝ち目はない。それなら、これに追随して、『勝ち組』にまぜてもらおう」と考える。
 強いものについて行く方が生き延びる確率は高い。これは太古から人類が採用してきた生存戦略である。だから、選挙戦においては「強さ」を誇示することが必要であり、「強さ」の最も分かりやすい指標は「悪いことをしても処罰されない」という事実なのである。
 候補者が道義的で誠実な人であったり、政策が適切であったり、言葉が論理的であったりすることはむしろ「弱さ」の記号と解釈される。強い人間は「合法的に生きる」必要がない。そう考える市民が過半に達したのが今の日本である。だから、「自分は悪いことをしても処罰されない」という事実をアピールできた人間が政治的には(大)成功する。
 この計略を奏功させるには「まず悪いことをする」ところから始めなければいけない。裏金でも、収賄でも、セックススキャンダルでも、何でもいい。「悪いこと」をしてもなお政治的権力を保持しているという事実を示すことがまず優先的に配慮される。それを見て、有権者たちは「この人はすごい。恐るべき権力者に違いない」と思ってくれる。そのような推論に基づいて自由意思で投票している以上、これを「非民主主義」と呼ぶことはできない。これは「劣化した完全民主主義」なのである。「劣化」と「完全」が同居するところが日本の民主主義の際立った特徴である。フロアからの質問にはそうお答えした。
(週刊金曜日9月30日)