新神戸に竹中工務店大工道具館という博物館がある。日本の伝統的な大工道具を集めた珍しい博物館である。そこをご案内頂いた。日本の大工の棟梁たちと道具を作った鍛冶屋たちの仕事を見て、その異常なまでの精密さに圧倒された。クラフトマンシップというような言葉ではとても言い尽くせない。ほとんど「狂気」に近いものを感じた。
「几帳面」という言葉の語源になったのは特殊な鉋で削った面のことなのだが、その曲線と凹凸に指で触れながら、これを仕上げるために工匠たちはどれほどの集中力を注いだのかに私の貧しい想像力は及ばなかった。
ノミや鉋のような刃物系の道具も、その形態の自在と研ぎ上がりの輝きに驚嘆した。これほどレベルの高い仕事ができたのは、刀を大切にする伝統があったからだろうという説明を聞いて、そうだろうと思った。私も居合の稽古用の刀を一振り持っている。刀はただの道具ではない。それを持つことで心身が調い、野生の強大な力が刀を通じて発動するのがわかる。刀は一種の「依り代」である。半ばは現世のものであるけれど、半ばはこの世ならざる境位にある。そして、そこから何かが到来するときの通路になる。
だから、昔の人は愛刀には小狐丸とか膝丸とか童名をつけた。童名をつけるものがもう一つある。船である。共通点は、どちらも野生の強大なエネルギーを人間にとって有用な力に変換する装置だということである。ノミや鉋や鋸の中には銘を持つものがあった。鍛冶は刀と同じつもりでこれを鍛えたのであろう。
なるほど、大工道具というのは刀と同じように「野生の強大な力」をできるだけ毀損することなく人間の世界に有用なかたちで現出させるための「媒介者」なのだと腑に落ちた。
宮大工の伝統も鍛冶の伝統も、今消滅の危機を迎えている。このような古人の知恵と技術を守らず何を守るのかと天を仰いだ。
(信濃毎日新聞9月12日)
(2026-09-22 17:14)