じゅんさいとペリ・パーソナル・スペース

2026-08-30 dimanche

 「相手の身体に技をかけてはいけない」と久しく師からは教えられてきた。若い頃は意味がわからなかった。相手の身体に技をかけなければ、いったいどこに技をかけるのか。何かの比喩なのか、心構えなのか。頭の上に疑問符を点じたまま長い歳月が過ぎた。
 それでも長く稽古していると、いつの間にか「相手の身体ではないところ」を「自分の身体ではないもの」が御したり、制したりしている感じがわかるようになる。喩えて言えば、相手の身体の周囲に「じゅんさい」のあのぬめぬめした「寒天みたいなもの」があって、それと自分の「じゅんさい」の「寒天みたいなもの」との間に交流があって、そこでいろいろなやりとりが行われ、うまくゆくと、触れていないのに相手を動かすことができる。
 そんなことをブログに書いたら、脳神経科学の専門家から「それはperi-personal spaceのことではないでしょうか」とご教示を頂いた。皮膚のすぐ外側(数センチから数十センチ)の空間のことで、その空間内では視覚・聴覚・触覚・嗅覚などが敏感になるので、何もない空っぽの空間であるにもかかわらず、脳はそれを身体の延長、「準―身体」として感知する。だから、そこで何かが起きると脳はわが身に起きた出来事だと解釈する。
 私が相手の「何もない空間」で何か動作をすると、相手はそれを自分の身体への入力と解釈する。でも、私は「何もないところ」に向かって技をかけているのであるから、相手はそれに抵抗することも、それをかわすこともできない。理屈ではそうなる。
 稽古の時に、ふとそういう「感じ」がすることがたしかにある。何もしていないのに、きれいに技がかかってしまうということがある。「不思議の勝ち」である。その空間の「どこ」で、「いつ」、「どのような動作」をするとそういうことが起こるかはさしあたり直感に任せるしかないのだが、それでも「じゅんさい」に立派な英語名がついたので、私は満足である。
(『月刊武道』6月号 6月24日)