国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を米国政府は制裁対象に認定した。ICCがイスラエルのネタニヤフ首相やガラント前国防相のガザでの虐殺を戦争犯罪に認定して逮捕状を出したことを不当としたのである。資産凍結や入国禁止などの制裁を科す。ルビオ国務長官はICCを「腐敗し、致命的に政治化された超国家的裁判所」であると批判している。
これは今の米国人が「法の支配」というものをどう見ているのかを教える貴重な証言だと思う。彼らはすべての国は自国益の最大化を求めて相争っているという「万国の万国に対する戦い」モデルで国際関係を理解しているらしい。
ホッブズやロックが説いたように、「万人の万人に対する戦い」が展開される「力の支配」の世界では誰一人安定的に自己利益を確保できない。だから個人間の紛争を調停するために法律を作り、裁判官を任命し、その判定に服さないものには公的暴力装置を発動して判決を実現するようにした。これが近代市民社会論のロジックである。この理説に基づいて市民革命が行われ、近代国家が成立した。世界史ではそう教わったはずである。
たしかに米国にも法律があり、裁判官がおり、警察がある。でも、ご案内の通り、トランプ大統領は「司法を兵器化する」ことでこれまで政敵たちをなぎ倒し、反対者を弾圧してきた。法律は権力者の道具であり、「敵を倒す」ため以外の使途はないとおそらくトランプたちは考えている。その考え方をそのまま国際社会に適用すると「誰かが」ICCを兵器化して利用しているように見えても不思議はない。
彼らには「公共」という概念がついに理解できないのだと思う。ICCはホッブズの喩えを借りれば「リヴァイアサン」である。トランプたちの眼には「誰か」がその圧倒的な力を利用して自己利益を追求しているように見えるらしい。でも、それが「誰か」を彼らは言うことができない。
「誰か」が世界の万象をコントロールしている。だが、あまりにその権力が強大で、その組織統制が完璧なので、それが「誰か」を誰も知らない。というのが「陰謀論」の基本的な思考パターンである。トランプやルビオはその意味では典型的な陰謀論者である。
そんな人間が世界最強国家を統治しているのである。つい「一体誰がこんな奴らを統治者の座に据えたのだ?」と訊きたくなってしまうけれど、それこそが陰謀論のピットフォールなのである。
あらゆる民主主義国で、有権者たちはしばしば統治者の資質を欠いた人間を統治者に選ぶ。それは「よくあること」なのであって、陰謀でも何でもない。怒りと不安を鎮めるために、時々自分に向かってそう言い聞かせなければならない。
(信濃毎日新聞8月21日)
(2026-08-28 08:44)