AIと循環参照

2026-08-11 mardi

 文章を書く時に時々AIを使う。Wikipedia で調べてもいいのだけれど、限定的な問いについてはWikipedia を上からスクロールするより、AIに訊く方が早い。
 先日、原稿を書いている時に、「無知とは、知識が欠如している状態ではなく、ジャンクな知識が脳を満たしているせいで、新しい情報が入力されなくなっている状態のことだ」というロラン・バルトの言葉を引用したくなった。どこかで読んだはずなのだけれど、出典が思い出せない。本棚を探してみたが、書架はほぼカオス化しており、バルトの本が埋まっているあたりは足の踏み場もない。
 面倒になって、AIに「バルトがそんなことを書いているはずだけれど、出典を教えて」と訊いてみた。AIはしばらく思考した後に、「内田樹の書物にその引用なるものが出て来ているが、出典は不明。詳細を知りたければ、内田樹の本を読め」という答えが戻ってきた。なんと。本が見つからないのでAIに出典を訊ねたのに、「出典はどこか内田樹に訊いてみろ」では話の持って行きようがない。
 同じことがもう一度起きた。ジャック・ラカンがどこかで「子供のディスクール」ということを書いていた。「あなたはそうすることによって何をしたいのか?」という問いかけのことである。この問いをきっかけにして子供は知的成長を開始するというふうに私は勝手に解釈して、教育論にも時々そう書いていた。先日、教育論のゲラを校正していたら、またこの言葉が出て来た。一度原典に当たって、ラカンの意のあるところを確認しておこうとしたのだが、やはり本が見つからない(理由は如上の通り)。面倒なのでAIに「ラカンの『子供のディスクール』とはどういう意味か?」というストレートな問いを打ち込んだ。出てきた答えを読むと、ほぼ私の理解した通りのことが書いてある。おお、私のラカン解釈は間違っていなかったのだと喜んでいたのだが、あまりに言葉の使い方がなじみ深い。目を凝らしてみたら、出典が私の文章だった。最後に「もっと詳細を知りたければ、ラカンの『セミネール』か内田樹の『街場の教育論』を読んでください」と書いてあった。いや、その内田が訊いているんだけど。
 そうか、その時にわかった。AIは読み込んだデータを適当に配列して出力することはできるのだが、読み込んだデータそのものの真偽をチェックしてはいないということである。問題は、では「どのようなデータが優先的に出力されるのか」ということである。
 私が経験した二つの事例から推察されるのは、「それについてたくさん書いている人間の文章」が優先的に出力されるらしいということである。ある論件について何百、何千という言及がある場合、「同じこと」を書いている文例が最も多いものを、AIは「これが通説」と判定するのではないか。ありそうな話である。そして、私はたしかに「大量に出力している」という点では統計的異常者である。
 先日私のところを訪ねてきた方に「内田先生はご自分の著作点数をご存じですか?」と訊かれた。知らないけれど、200冊くらいかなと答えたら、「甘い」とたしなめられた。単行本と文庫版のようなヴァージョン違いも「別の著作」として数えると、490冊だと教えられた。人文系の物書きで、そんなに大量に本を出している人間はたぶん他にはいないだろう。
 点数が多いからと言って、それが日本の世論形成にさしたる影響をもたらしてはいないことはみなさんご案内の通りである。本なんかいくら書いても、世の中はそれで変わるほど単純なつくりにはなっていない。
 だが、人々がAIでものを調べる時代になるといささか話は変わる。書かれたものの良否にかかわらず、命題の真偽にかかわらず、社会に与えた影響の多寡にかかわらず、AIは「同じようなこと」が頻繁に繰り返される場合、それを「定説」認定するらしいからである。そして、私は「同じようなことを飽きもせずひたすら繰り返す本を出すランキング」というものがあれば(ないが)たぶん日本一である。
 私は昨年末数えたら同時並行で11冊の本を書いていた(うち3冊を脱稿したので、今は同時並行8冊の本を書いている)。今年中に私の出版点数は500を超える。そんなバカな書き方をふつうの人はしない。
 そう言えば、少し前に会った人(私の出版点数を数えてくれた人)が「AIで人がものを調べるようになると、みんな『内田樹みたいなこと』を言い出すようになるかも知れません」という話をしてくれた。
 その人によると、AIがネットで情報を収集する場合、無料で読めるデータをまずかき集めるのだそうである。まあ、そうだろうと思う。ところで私は1990年代の終わりから、自分で書いたものをほとんど全部ネットで公開している。出版社と契約を交わして書き下ろしたものは別として、それ以外のものは、論文もエッセイも書評も映画評も身辺雑記もすべてネットにアップしている。「ほとんどのテクストを無料で読める状態にしている物書き」としても、私は統計的アウトライヤーである。
 そして、著作数が異常に多く、かつそのコンテンツのほとんどがネットで公開されている書き手は、AIにとって格好の「情報収集源」になってしまうのである。だから、今生成AIは「内田樹のテクストを大量に読み込んだせいで、内田樹化しつつある」とその人に言われた。話を聴いた時は「まさか」と笑っていたのだけれど、バルトとラカンの一件でいささか真顔になってしまった。だって、内田樹がした質問へのAIの答えが「内田樹に訊け」なんだから。
 もしかすると、これはわが生涯最初で最後の「インフルエンサーになる機会」なのかも知れない。むろん、一瞬のことで、すぐにAIは、数が多いだけでは定説とは認定せず、発信者の知的威信を数値化して、言説の価値を値踏みできるくらいに賢くなるだろう。でも、それまでの短い時間、「内田樹化したAI」とみなさんはお付き合い頂くことになるかも知れない。ご迷惑をおかけしますが、ご容赦ください。
(JACOM8月号7月27日)