戦史・紛争史研究家の山崎雅弘さんと彼の近著『戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』(朝日新書)についてオンラインで対談をした。彼は戦争にずるずると引きずり込まれた1930年代の日本社会の「空気」と現代日本社会の「空気」の類似性について指摘をしている。90年の間隔を置いたこの二つの「空気」の異同が対談のときの中心的な話題だった。
1930年代の日本の一般市民の最優先の関心は「物価高」だった。政府は国民の生活改善のためには何もせず、ひたすら軍備に金を注ぎ込んでいた。1937年2月成立の林銑十郎内閣が提出した予算案における軍事費比率は49%だった。その後、7月に盧溝橋事件が起きた後軍事費はさらに増額された。でも、国民はそれにほとんど反対しなかった。戦争についてとりわけ実感がなかったからである。戦争は国民にとって「絵空事」だった。
たしかに、明治維新以後の戦争は、日清、日露、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変...すべて外国の土地で行われた。日本列島で戦闘が行われ、家が焼かれ、砲火に逃げ回るということを日本人が経験するのはB-29による空襲が始まった1944年の6月からである。元寇以来700年にわたって、日本人にとって戦争というのは「どこか遠いところでやること」だったのである。
戦争には潤沢に国費が投じられる。それを利用して目ざとく財をなすものが出てくる。勝てば賠償金や植民地が手に入る。何よりこれまで「皇軍は無敗」であった。「戦争を甘く見る空気」はそうやって醸成される。
盧溝橋事件の後の7月11日に近衛文麿首相は緊急閣議で「自衛権発動」の名目で中国派兵を閣議決定した。この閣議決定が最終的に1945年8月15日の敗戦まで続く長い戦争の起点になる。15年戦争の開戦は帝国議会での審議議決の裏づけのない単なる閣議決定だったのである。閣議決定から戦争が始まったというこの歴史的事実を忘れてはいけない。
山崎さんが重視しているのは、その閣議の直後のメディア対応である。東京朝日新聞社主筆、読売新聞社編集局長、東京放送局(現NHK)常務理事ら40人のメディア関係者に向かって、近衛首相は「挙国一致で政府方針に協力されたい」と述べた。それに応えて同盟通信社社長が全員を代表して「政府の国策遂行に全面協力」を約束した。盧溝橋事件からわずか4日後のことである。
これを「政府によるメディア統制」と私は呼びたくない。メディアはすすんで国策に協力したのだと思う。この逸話を知って私たちがすぐに思い出すのは、米西戦争の時のアメリカのイエロー・ジャーナリズムである。
当時、ピューリツァーの『ニューヨーク・ワールド』とハーストの『ニューヨーク・ジャーナル』は激しい部数競争を展開していた。煽情的な見出し、捏造記事、派手なイラストは両紙に共通していた。キューバで米国とスペインの軍事的緊張が高まると、両紙は「スペインの残虐行為」を報じて、米国内の好戦的な気分を煽った。『ジャーナル』の記者がキューバで「まだ戦争が始まる気配がない」と報告したところ、ハーストが「戦争は私が用意する(I'll furnish the war)」と打電したという逸話が今に伝わっている。真偽のほどはさだかではないが、メディアにとって戦争が恰好の商機なのは事実である。
メディアは変化を、それも生活基盤を揺るがすような劇的な変化をつねに待望している。だから、近衛首相が「戦争が始まる」と通告した時に、招集された日本のメディア関係者たちも内心では歓呼の声を上げたはずである。そうやって戦争が始まった。そして310万人の死者を出し、国土は焦土となり、国家主権は失われた。だが、東京裁判で戦争責任を問われた25人のA級戦犯たちは全員が「自分には戦争を始める意図はなかった」と戦争責任を引き受けることを拒んだ。キーナン検察官は最終論告でこう述べている。
「25名の被告の全ての者から我々は一つの共通した答弁を聴きました。それは即ち彼等の中の唯一人としてこの戦争を惹起することを欲しなかったというものであります。(...)彼等は他に択ぶべき途は開かれていなかったと、平然と主張致します。」
小磯国昭は満州事変に反対し、北支事変拡大に反対し、三国同盟に反対し、米国への開戦にも反対したと供述した。検察官はそれならなぜあなたは政府部内で枢要な地位を累進し続けたのかと問うた。小磯はそれにこう答えた。
「われわれ日本人の行き方として、自分の意見は意見、議論は議論といたしまして、国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります。」
東京裁判記録を徴した丸山眞男はこう総括している。
「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っていることにちがいない。然るに我が国の場合はこれだけの大戦争を起しながら、我こそ戦争を起したという意識がこれまでの所、どこにも見当たらないのである。何となく何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて戦争の渦中に突入したというこの驚くべき事実は何を意味するのか。」(「超国家主義の論理と心理」)
丸山は戦犯たちの責任回避は個人の堕落の問題ではなく、「体制そのもののデカダンスの象徴」であると道破した。この「体制そのもののデカダンス」は戦後81年を経てまだ生き続けていると私は思う。
今が1930年代と同じ体制だとは私は思わない。形骸化したとはいえ立憲デモクラシーの建前は生きているし、言論にもまだ自由が残っている。治安維持法もないし、特高も憲兵隊もない。何より「統帥権干犯」を口実に政府の干渉を排して独自に戦争行為を行う軍隊がない。私がどれほど政府批判をしても、それによってただちに逮捕投獄されるということはない。
問題は、それほど安全な環境にいながら、メディアは1937年の近衛内閣の閣議決定に唯々諾々として従ったのと同じように、今も高市内閣の「独裁」に屈して、政府批判については異常なまでに抑制的であることだ。今、反体制的な知識人・言論人で、大手メディアで連続的に発言機会を与えられている者はほとんどいない。政府批判の発言をした芸能人はまず例外なく仕事を失う。日本の「報道の自由度」ランキングは62位である。言論の自由のために戦ったが権力に敗れた結果の62位ではない。権力に阿って獲得した62位である。
自民党やその同伴者たちはこれから戦争を始めようとするかも知れない。「戦争を甘く見る空気」が彼らの支持層に蔓延しているからである。支持率を維持するためには戦時だ、挙国一致だという定型句がきわめて有効であることは歴史が教えている。
もう一度日本は戦争を始めるかも知れない。わからない。わかっているのは次の戦争で日本は再び敗れるだろうし、誰一人その責任を取らないだろうということだけである。
(週刊金曜日7月28日)
(2026-08-11 08:15)