加速主義と抑制主義

2026-08-02 dimanche

金滿里さんの主宰する『イマージュ』からやまゆり園事件から10年経ってのコメントを求められた。少し長めのものを寄稿した。

 相模原の事件から10年経って、再びこの事件についてのコメントを金さんから求められた。
 前にも書いたが、私にとってこの事件のもたらした最大の衝撃は、植松聖死刑囚が事件の前に安倍晋三首相と大島理森衆院議長宛てに犯行告の書簡を届けていたことにある。それは、これから自分が行う行為は政権の方針にかなうものであるから、政権からの承認と保護を得られるだろうという期待をこめたものだった。逮捕後も植松は「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言をしている。
 もちろん、そんなのは彼の脳内妄想に過ぎない。だが、社会的弱者は健常な市民に「よけいな負荷」をかける迷惑な存在なので、いない方がいいという優性思想は10年前に比べてむしろより深く日本社会に根を下ろしているように思える。

 今アメリカ発祥の「加速主義(accelerationism)」なる思潮が日本にも及んでいる。
 加速主義というは歴史の進度を早めて、一日も早く「世界の終焉」を見たいという焦燥感がかたちをとったものである。「世界の終焉」というと言葉が強いけれども、マルクスが『資本論』で「大洪水」と呼んだ事態のことである。
 資本主義は人間を限りなく収奪し、自然を限りなく破壊しつくシステムである。そんなことを続けていたら遠からず人類は滅び、地球は生物が居住不能になってしまう。人類が滅びては資本主義も生き残れない。
 でも、残念ながら資本主義には「生存戦略」というものがない。資本主義はただのシステムであって、生命体ではないからだ。資本主義システムは「生き延びる」ことがあらゆることに優先するという生命体の「ルールその一」を欠落させている。だから、資本主義の本質を洞察したマルクスはこのシステムがやがて世界を破滅に導くだろうと予言したのである。
 事実、当の資本家たち自身が、このような非人道的な経済システムが長くもつはずはないと直感していた。だから、「洪水よ、わが後に来たれ(Après moi, le déluge)」と祈ったのである。
 「洪水」の切迫は19世紀の英国でもすでに感じられていた。でも、洪水は来なかった。それは人道活動家や民主主義者の努力で「工場法」が制定され、労働時間に制限が課され、児童労働が禁止され、社会福祉システムが導入され、社会的弱者も公教育や医療支援を受けられる「わりと人道的な仕組み」が導入されたせいである。
 そうやって資本主義にいくぶんか「生命体」的な要素が加算された。そして、まことに皮肉なことに、資本主義がいくぶんか人間的なものに仮装されたせいで資本主義は延命してしまったのである。21世紀になってまだ資本主義経済システムが生きているのは、そういった人道的な仕組みが資本主義の生命維持装置の役割を果たしているからである。
 
 というのが加速主義の考え方である。だから、「生命維持装置を切れ」と彼らは言うのである。人道的な活動を全部やめろ、と。社会保障制度も、公教育も、公共的な医療も、全部やめろ、と。そんなものがあるせいで社会的弱者が生き延びている。なくなれば、弱者は滅びる。弱者が死に絶えると収奪の対象を失って資本主義は滅びる。もう収奪する対象もなく、商品を購入する消費者もいなくなる。市場が解体する。資本主義がどういうふうに終わるのかはまだわからない。でも、とにかく「大洪水」がすべてを洗い流す。その後に一握りの「超―強者」だけが生き残って、「ポスト資本主義」のフェーズに入る。それから新しい人類史が始まる。
 いかにもシリコンバレーで起業して、大成功して、天文学的個人資産を手にした人間たちが喜びそうなアイディアである。でも、この妄想的な政治思想に喝采を送る人たちがたくさんいる(それも社会的弱者たちの中に)。彼らは彼らで「こんな世界はもうたくさんだ」という屈託がある。こんな世界が続くくらいなら、全部壊れてしまった方がいい。そういう絶望的な気持ちが今の日本社会にかなり広く蔓延していることは誰でもが不安のうちに感じ取っているだろう。

 戦争を甘く見る空気もそうだ。「中国相手に一戦も辞さず」とかいう大口をきいている人たちは米軍が「米軍がいま通常兵器だけで人民解放軍と戦争したら敗ける」というシミュレーション結果を2017年からずっと公開している事実を知らないか、知らないふりをしている。世界最強の米軍が核兵器を使わないと中国には勝てないと明言しているのである(核戦争での勝利の代償にアメリカはニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどの都市のいくつかを失うが)。
 日本が滅びてもいいという覚悟が(無意識のうちにでも)なければ「戦争ができる国になりたい」というような欲望を野放しにはしない。
 事実、1930年代の大日本帝国戦争指導部には「明治レジームを滅ぼす」という意図があった。1928年まで陸軍は山縣有朋率いる長州閥が支配していた。そのグリップが失われると同時に、戊辰戦争の「賊軍」の子弟が雪崩れ込んできた。東條英機、永田鉄山、相沢三郎、石原莞爾、板垣征四郎、荒木貞夫、小磯国昭...みな旧賊軍か幕臣の子である。彼らの目的ははっきりしている。1921年のバーデンバーデン密約で確約されたように、薩長による有司専制の廃絶であった。こう言ってよければ、満州事変から敗戦まで、陸軍上層部は、戦争を道具的に用いて、明治維新以来の日本の統治システムを破壊することを第一義的にはめざしていたのである。
 東京裁判で検察官に「戦争目的」を問われた25名のA級戦犯たちは、誰一人その問いに答えることができなかった。戦争はいつの間にか始まってしまったものだったと彼らは口々に述べた。「国策がいやしくも決定せられました以上、われわれはその国策に従って努力するというのがわれわれに課せられた従来の慣習であり、また尊重せらるる行き方であります」と小磯国昭は弁疏した。
 丸山眞男はこれを「既成事実への屈服」と呼んだ。「既に現実が形成せられたということがそれを結局において是認する根拠となる」のである。(「軍国支配者の精神形態」)
 でも、私は彼らには密やかな、口にできない「戦争目的」があったと思う。それが丸山の眼に「既成事実への屈服」に見えたのは、彼らが惹き起こしたのがあまりに巨大な運動であり、統御不能だったからである。問題は、動機の矮小さと結果の巨大さの圧倒的な非対称性にあったのだ。堤防に少しだけ切れ目を入れたら、思いがけず足元から堤防が決壊して、濁流に呑み込まれてしまった...というような状況を想像してもらえればわかるかも知れない。
 戦争指導部の人々は決して現実に追随していたのではない。「こんなこと」を続ければいずれ現実が統御不能になるだろうという予測を持った上で現実に手を突っ込んだのである。「大洪水の到来を早めること」、それが彼らの戦争目的だったのである。でも、自分たちがそれほど虚無的な戦争目的に駆動されていたという事実を彼ら自身が引き受け切れなかったのである。

 自衛隊の核武装を検討すべきだということを語る人が官邸にもいるし、内閣にもいる。彼らもまた「大洪水」を待望している加速主義者である。高市早苗のような無能で性悪な政治家を総理大臣の席に据えた人々(自民党に投票した2700万人の有権者たちと総裁選で高市に投票した党員と議員たち)もまた過半は潜在的な加速主義者だと私はみなす。
 「高市さんなら何か変えてくれそうな気がする」という支持理由を口にした有権者が散見されたが、この場合の「変える」は「壊す」という意味しかない。事実高市は日中関係を壊し、通貨価値を壊し、政治倫理を壊し、議会の民主主義を壊した。「変化」を求めた有権者にとっては期待通りの働きだっただろう。
 
 この後日本がどうなるのか、私にはわからない。中国相手に戦争をほんとうに始める気なのかも知れない。でも、戦争には敗ける。米軍も韓国軍もNATOも支援には来ない。二度目の敗戦で日本人がどれほどのものを失うことになるのか、私には想像もつかない。わかっていることは「中国相手に戦争でもやるか」と煽った人間の誰一人として、敗戦の責任を取らないだろうということだけである。
 あるいは高市政権を見て、日本の政治文化が「底まで落ちた」と自覚した人たちが、もう一度立憲デモクラシーを立て直そうと立ち上がるかも知れない。私としてはぜひそうなって欲しい。ただ、その時も「洪水の到来」というようなメタファーで政治的変化を叙することについては抑制的であって欲しいと思う。劇的な変化を私は求めないで欲しい。というのは、私たちの政治的課題は「ことの良否を問わず、劇的な変化を求める」という加速主義的な心性を鎮めることにあるからだ。できるならば、静かで穏やかな言葉で、焦燥感に有り金をすべて賭けるような生き方をしている人たちに「それとは違う、もっとゆっくりとした生き方もある」と伝えたい。           
 加速主義に対抗するのは「抑制主義(prudentialism)」である。科学的抑制主義(techno-prudentialism)というのは、生成AIのような、それがもたらすベネフィットよりも、それがもたらすリスクが大であるような先端的テクノロジーの開発については、抑制的であるべきだと考え方である。今、ヨーロッパを中心に、生成AI開発の抑制、学校教育でのタブレットの使用抑制、子供たちのSNS禁止など、あきらかに市場からの要請を退ける政策が採択されているのは、その兆候である。
 抑制主義が今もっとも求められている態度だと私も思う。
 ちょっと待て。頭を冷やせ、である。そういう「大人の言葉」を口にする人があまりに少ない。
(8月2日)