部活と宗教

2026-07-05 dimanche

 私の住む神戸市では公立中学の部活を地域移管することになった。部活指導が教員たちを疲弊させている。その「苦役」から教員たちを解放するための措置である。
 教員の負担軽減には大賛成である。でも、部活をアウトソースして、ほんとうに大丈夫なのだろうか、心配である。
 うちの道場も受け入れの手を挙げたので、来月から中学生たちが週一の「校外部活」に来る。指導するのは塾頭と書生たちである。子どもを教え慣れているから問題はないと思うのだが、道場で行うのは、あくまで「修行」であって「部活」ではない。そのことを保護者や学校はご了解頂けるだろうか。
 例えば道場に入場する場合も、稽古を始める前にも正面に礼をする。正面には神棚が祀ってある。祭神は地元の元住吉神社と出羽三山の神々(これは友人の出羽の山伏が勧請してくれた)である。武道修行は神仏の加護の下にするのだから正面に神棚や仏壇があって当然なのだが、学校の体育館にはない。「政教分離」の原則により宗教的なものは公教育の場から排除されている。でも、道場は体育館ではない。その違いがわかってもらえるだろうか。
 憲法20条には「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない」とある。それを盾にとって、「うちの子は神棚に礼なんかさせません」と言われたらどうしたらよいのだろう。
 部活というのは子どもたちに潜在している才能資質を見落とさないための教育的な仕掛けだと私は思っている。美術の才能も音楽の才能も運動の才能も、実際にやってみないとその存否はわからない。多数の部活を用意することで「才能のとりこぼし」をしないというのが部活の本義だと私は思っている。
 武道には運動能力だけでなく、「霊的」な感受性も必要である。それを取りこぼしたくないのだという私の説明に果たして親たちは頷いてくれるだろうか。
(信濃毎日新聞7月3日)