学校法人の理事長になってしまったので、退職以来15年ぶりにスーツを着て、ネクタイを締めて出勤している。また「看板」を背負わなければならないのが悩みの種である。
15年前まで、大学で教員をしていた頃は「大学教授ともあろうものが」というマクラを振って𠮟りつける人がたくさんいた。「大学教授ともあろうものが、こんないい加減なことを書いてよいのか」と。大学教授にはそれなりの知的節度が求められるのだそうだ。
そんなこと言われても困る。こちらは子どもの頃からいつも「内田の言うことは変だ」と言われ続けていた人間である。頭の中で変なことを考えてしまうのだから仕方がない。その変なことを書いていたら本にしてくれる編集者に出会い、変な研究をしていたらそれを面白いと思ってくれた大学に採用された。「変なこと」で飯を食ってきた人間に「変なことを言うな」と言われても困る。
もちろん私に「知的節度」が欠けていることは喜んで認める。著作が異常に多いし、主題が異常に多岐にわたっている(哲学、文学、教育、映画、武道、能楽、外交安全保障などなど)。
少し前に、年下の学者たちから「内田は身の程を知らない」と叱られたことがある。自分の専門領域を守って、よけいなこと(主に政治にかかわること)については口を噤んでいるのが「学者の節度」だとこの人たちはお考えのようである。別に「節度」についてどのような定義をお持ちになっても、それはその方の自由であるから、「身の程を知れ」と言われても、私としては「はいはい」と聞き流すことしかできない。
でも、気になるのは、彼らが「知的放縦」に対して憎しみに近い感情を持っていることである。自分は我慢しているのに、どうしてお前はそんなに好き勝手なことをするのだという苛立ちに似たものを私は感じる。
彼らは「自分の専門」という「タコツボ」に入って、そこから出ないように自制している。そうしろと子どもの頃から教えられてきたからである。「一日も早く自分の専門領域を決めて、一度そこに入ったら後はあとは死ぬまでそこから出るな」と。
90年代の終わりに「自分捜しの旅」ということを中教審が言い出した。中教審が言うことだから、「国民を支配しやすい鋳型にはめる」ことが目的であることは初めからわかっている。でも、「自分捜し」と「支配しやすい人間形成」をつなぐ理路が私には最初のうちはわからなかった。今はわかる。
「自分捜し」というのは単に「早く適職を探す」という意味だったのである。適職に就くためには一日も早くおのれの適性を知り、無駄な迂回をせず、ひたすら専門分野の勉強をして、資格や免許を取り、あとは一生その仕事を続ける。自分で選んだ「タコツボ」に嵌りこんで、そこから一生出てくるな、と。
自分で選んだ「タコツボ」に終身幽閉されてることを子どもたちは「自分らしい生き方」なんだと教えられた。気の毒な話である。
だから、高校生たちは「夏休み明けまでに、自分の夢を決めてくること」という課題を与えられると暗い顔になるという。当然だろう。だって、それは「自分を閉じ込める檻を選べ」というようなものだからだ。
何年か前、外国の雑誌が日本の大学の特集をしたことがあった。インタビューされた学生たちは自分たちのありようを三つの形容詞に託した。それは「罠にはまり(trapped)」「釘付けにされ(stuck)」「息ができない(suffocating)」だった。
そんなにつらいのなら、「檻」から出ればよいのにと思うけれど、その言葉が彼らに届かない。
(中日新聞6月15日)
(2026-06-24 08:21)