同じようなことを毎回書いているけれど、講演依頼が多いのは教育、そして医療、農業関係である。それはこの三つの領域が今の日本で「最も危険な状態にある」ということを私が機会があるごとに書いているからだと思う。
教育、医療、農業は集団が存続してゆくためになくてはならない活動である。経済学者の宇沢弘文はこれを「社会的共通資本」と呼んだ。そして、集団の存続にとって死活的に重要であるこれらの活動について、宇沢はきびしい限定を課した。それはいずれも「それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規律に従って、管理、運営されるもの」であって、「政府」と「市場」はこれに関与してはならないということである。
今の日本ではこれとまったく逆のことが起きている。政府が事細かに干渉して、専門家たちの手足を縛っておいて、最後は市場に丸投げして「後は野となれ」というのが、この三分野については、この四半世紀の日本政府の基本方針である。
農業を市場に委ねた結果、日本の食料自給率は38%という先進校最低レベルにまで低下した。実質的にはもっと低いと言われている。教育も医療も今や「市場に丸投げ」されようとしている。
いずれ、高等教育も高度医療も「富裕層」だけがその恩恵を享受でき、貧しい人たちはその分際にふさわしい低いレベルの教育や医療で満足しろという話になるだろう(もうそうなり始めているが)。
だから、どこに呼ばれて講演するときも、私が言うことは同じである。政府と市場からの干渉を排除し、専門的知見に基づいて、専門家が自律的に活動すべきだ。そうしないと日本には先がない。たぶん世の多数派はそう聞いて驚きあきれるだろう。だが、これが正論なのだ。少数派が正論を語り、多数派が血迷っている時代がかつてあった。その結果がどうなったのか思い出して欲しい。
(信濃毎日新聞5月22日)
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