今、本を8冊同時並行で書いている。そういう曲芸的なことをしなければならなくなったのは、一つには私のような病後の老人に仕事を依頼してくる非情な編集者がいるからであり、一つには私がつい依頼を受けてしまうからである。
編集者たちが非情になったのには理由があって、先年私がすい臓がんを患ったからである。「内田ももう先が長くなさそうだ。ならば生きているうちに書かせてしまおう」という焦りが彼らの督促を切迫したものにしている。こちらも生きているうちに言いたいことは言い尽くしておきたい。だから、8冊同時並行という椿事となった。
中に「韓国もの」が3冊含まれている。一つは『日韓連携論』。これは医療経済学者の兪炳匡早稲田大学教授との対談本。一つは『街場の韓国論』。これはロング・インタビュー。もう一つは韓国の政治哲学者ペ・セジン氏との往復書簡。三冊に共通する論件は「日韓連携」である。
「日韓連携」は皆さんには見慣れない文字列だと思うが、私はポスト・アメリカの外交安全保障戦略の基本はこれしかないと考えている。
「ポスト・アメリカ」というのは「アメリカ抜きの」という意味である。NATOはつとに脱アメリカの集団安全保障構想にシフトしているし、アジア諸国は中国との連携強化シナリオを検討し始めている。「日米同盟基軸」と呪文のように唱えて「ポスト・アメリカについてノープラン」というのは世界でもたぶん日本だけである。
日韓連携はノープランの日本にとっての「プランA」である。
日韓が連携すると、人口は1億7400万人、GDPは6.3兆ドルでドイツを抜いて世界3位。軍事力もインドを抜いて世界3位と言われている。巨大な政治経済圏が東アジアにできる。兪先生と私のアイディアは、日韓が一国二制度で連携して、米中の間に中立地帯を形成し、西太平洋地域を安定させるというものである。
遠く明治の樽井藤吉の『大東合邦論』、大正の末永節の高麗国構想、出口王仁三郎の満蒙連邦構想と同根のものである。日韓連携については明治から昭和までさまざまなアイディアが提示されてきた。当初は対等合邦論だったが、それまで朝鮮に対して友好的だった福澤諭吉が「脱亜論」に転ずるに及んで、朝鮮蔑視の機運が醸成された。そして、1910年の日韓併合という植民地主義的な解に流れ込み、日韓連携構想は思想的にも政治的にも破産したのである。
今は国力において日韓の間には一方が他方を併合するというほどの差がない。今度こそ「対等合邦」の夢を果たしたいと在日コリアンの兪先生と私の二人で妄想を逞しくしているのである。
日韓連携論は日本のメディアではまず論及されることのない論件である。これまでお会いした政治家の中で、日韓連携論に肯定的に反応してくれたのは鳩山由紀夫元首相ひとりである。
一方、韓国ではこの論件についての反応がまったく違う。ここ数年、韓国に行く度に「日韓連携」について取材を受け、講演を求められる。聴衆は熱心に聴いてくれるし、新聞も報じてくれる。「日韓連携」が現実的な解であるかどうか、韓国の人たちは冷静に思量し始めている。日本人も潮目の変化に気づくべきだ。(中日新聞「視座」5月号 5月13日)
(2026-05-20 07:56)