クレーマーについて

2026-05-20 mercredi

 15年ぶりにスーツを着て、ネクタイを締めて出勤する身となった。また「看板」を背負わなければならない。それが悩みの種である。
 大学在職中は「大学教授ともあろうものが」というマクラを振って食ってかかる人がたくさんいた。子どもの頃から少数派で、「内田の言うことは変だ」と言われ続けていたから、「変なことを言うな」と言われても別に気にはならない。だが、クレームが大学宛てに来るとなると話は違う。苦言に対応するのは職員さんたちである。彼らに無用のストレスをかけるのは私の本意ではない。だから、早く大学の看板を下ろしたかった。早期退職したのはいくぶんかはそのためである。それがまた看板を背負うことになった。
 就任早々、会議で炎上案件が報告された。私の投稿がネット上で炎上していたらしい(知らなかった)。学院はクレームには一切対応しないということで話は済んだ。「炎上」は私には日常茶飯事だが、また職員さんたちに迷惑がかかるのかと思うといささか気鬱になる。
 クレーマーたちは「この内田の発言は学院の公式見解と受け取ってよろしいのか」という言いがかりをつけてくる。そんな理屈が成り立つはずがないではないか。学校には多数の構成員がいる。一人一人に自分の意見を発表する言論の自由がある。学院にそれを検閲したり規制したりする権利はない。「検閲しない」を「公式見解とする」に読み換えるためにはかなりの論理の飛躍が必要だと私は思うが、クレーマーたちはそうは思っていないらしい。
 彼らが匿名で発信するのは、実名が明かされ、勤務先が知られることを恐れているからであろう。誰かが身元を探り当てて、勤務先に電話して、「お宅の会社の何某はこんなことをネットに書き込んでいるが、これは御社の公式見解と受け取ってよいのか」とクレームをつけてきたら「大変なことになる」と思っているからである。自分なら上司に糺されたらたちまち叩頭し「二度としません」と泣訴する。そう思っているからこそ、このようなクレームが有効だと信じられるのである。
 でも、世の中はそんな人間だけで構成されているわけではない。(AERA 5月13日)