中高生からの質問4

2026-04-09 jeudi

「先生のこれからの人生の計画を教えてください。」

 これも興味深い質問ですね。一つ前の質問は「内田先生のようになりたいのですが、これまでどのような努力をなさってきましたか?」でした。この二つの質問に共通するのは、「人間は未来を自己努力でコントロールできる」という前提です。でも、この前提、そんなに無警戒に採用してよろしいのでしょうか。
 実は、僕は「未来を自己努力でコントロールできる」とは思っていないのです。一寸先は闇。次の瞬間に何が起きるかわからない。しばしば「どうしていいかわからないこと」が起きます。もともと予定もしていなかったし、予測もしていなかったことがいきなり起きる。だから、「人生の計画」というものは立てても仕方がない。そう思っています。
 それに、うっかりすると自分が作った「人生の計画」が足かせになって、適切な選択を誤る可能性だってあります。例えば、高校生のときに「将来就きたい職業」を決めて、そのために全力で努力するということは、ふつうは「よいこと」とされています。でも、ほんとうにそうでしょうか。だって、君たちはこの世に存在する職業のうちのたぶん5%くらいしか知らないんじゃないかと思います。95%の職業は君たちの脳内では選択肢として存在さえしていない。将来、禅僧になるとか、能楽師になるとか、武道家になるとか・・・って考えている高校生ってあまりいないと思うんです。でも、これはみんなほんとうの話ですよ。僕のお友だちの藤田一照さんが曹洞宗の禅僧になると決めたのは大学院の博士課程を出た後でした。うちの奥さんが能楽師になると決めたのは大学時代(英文学科だったんです)に「外国人のための伝統芸能ちょっとだけ経験コース」を受講した後でした。僕がこれからは武道家専業として生きると決めたのは大学の先生を退職した60歳の時です。ぜんぜんそれまでの「人生の計画」に入っていなかった職業に就いてしまったのでした。わりとそういうものなんです。
 ですから、「人生計画」というのはあまり立てない方がいいんじゃないかと僕は思っています。それよりは「この先何が起きるかわからない。自分はいったいどんな職業に就いて、誰と、どこで暮らして、どんな友人たちと出会うんだろう。ああ、楽しみ」と思ってどきどきしながら毎日生きる方が楽しくありませんか?
 そういう構えで生きている人のところには「ねえ、ちょっとこれやってみない?」というお誘いがたぶんじゃんじゃん来ます。そして、それが後から思うと人生の岐路だったということもよくあります。
 でも、「人生計画」をきっちり決めて、それに従って生きている人にはたぶん誰も「ねえ、ちょっと」という声をかけてくれません。いや、実際にはそういうお誘いがあっても耳に届かないかも知れない。
 よく書くことですけれども、「天職」のことをcalling とかvacation と英語ではいいます。どちらも語源はcall/voco 「呼ぶ」です。誰かに呼ばれて、人はおのれの天命を知る。そういうものなんです。耳を澄ませて生きるというのが、一番賢い生き方だと僕は思いますよ。
 ですから、質問へのお答えは「これからの人生についてはまったく計画がありません」です。
 にべもないお答えでごめんね。