月刊日本のロングインタビュー

2026-04-15 mercredi

―― アメリカ・イスラエルは昨年6月の12日戦争に続いて再びイランを攻撃し、最高指導者のハメネイ師ら指導層を殺害しました。

内田 これは予想外でした。トランプは「ドンロー主義」を掲げて、西半球に勢力圏を限定して、東半球からは軍事的に撤退していくものと考えていました。まさか再び中東に突っ込んでいくとは思わなかった。
 なぜこんなことをしたのか。トランプは2月28日の声明で「47年間」という言葉を繰り返し強調して、イラン国民に体制転換を呼びかけました。つまり、47年前のイラン革命で成立した現体制を倒して、「元に戻す」つもりだった。忘れている人の方が多いでしょうが、革命前のイランは中東きっての親米国家で、イスラエルの親密な同盟国でもありました。ところが、1979年のイラン革命でパーレビ王朝が倒されて、現在のイラン・イスラーム共和国が成立し、アメリカやイスラエルに敵対するようになった。ですから、イランの体制転換というのは、イスラム原理主義を排して、民主主義体制にするという意味ではなく、端的に「親米国家に戻す」という意味です。親米的な体制であれば、別に王政でも寡頭制でも腐敗国家であっても、なんでも構わない。それがアメリカの本音でしょう。
 そうなれば、イランの石油も手に入るし、ホルムズ海峡も掌握できる。イスラエルの安全も保障される。何より11月の中間選挙にとって大きなプラス材料になる。そんな美味しいシナリオを誰かがトランプに吹き込んだ。たぶんネタニヤフかヘグセス国防長官や取り巻きのおべっか遣いたちでしょう。
 昨年の「12日戦争」でイランの軍事力は弱っている。大規模な反政府デモでイラン国民のイスラーム体制への拒否感も限界まで高まっている。ここでアメリカがベネズエラで成功した「斬首作戦」でハメネイ師と幹部たちをピンポイントで暗殺して、圧倒的な軍事力の差を見せつければ、イラン政府は白旗を掲げる。すると、国民が蜂起して、神権政治体制が転覆される...。
 このシナリオには1953年のクーデタという成功体験があります。この時、CIAは英国のMI-6と共同作戦で、イランの反体制派に資金や武器を供与して、石油国有化によって英米の石油利権を取り上げたモサデク政権を倒して、パーレビ二世の親英米政権を打ち立てました。
 もう一つの成功体験は、今年初めのベネズエラでの作戦です。アメリカが「斬首作戦」でベネズエラのマドゥロ大統領夫妻を官邸から拉致すると、後継の大統領は反米から親米にたちまち方針転換し、国民も黙ってそれを受け入れた。
 イランでも同じことが起きるだろうとアメリカは考えたのだと思います。「斬首作戦」というのは、国家指導者の行動パターンを完全に把握していないとできません。それができるとのは、ふつうは側近に内通者がいるということです。政権中枢に裏切り者がいるというのは政権の末期症状です。ベネズエラはそうでした。イランでも、もし中枢に内通者がいるなら、政権も末期だと判断したのかも知れません。
 何よりも日本という成功体験が大きいと思います。軍事的に徹底的に痛めつけられて、主権も国土も奪われた国は、二度と宗主国逆らわない忠実な属国になる。それをアメリカは日本で経験した。この成功体験の「蜜の味」があまりに甘美だったので、以後81年間のアメリカの海外への軍事行動の下には、つねにこの成功体験が伏流していた。軍事的徹底的に叩いて、屈辱的な地位に落とせば、その国は手のひらを返して忠実な属国になる。アメリカはそう信じてベトナムやアフガニスタンやイラクに侵攻して、全部で失敗した。どこにも「日本みたいな国」はなかった。
 武道ではこういうのを「勝ちに居着く」と言います。一度大成功するとそのパターンに釘付けになって、それ以外のアプローチに切り替えることができなくなる。アメリカの戦後81年間の海外への軍事的介入はすべて同一パターンの繰り返しです。そして全部失敗している。
 今回は初手から失敗でした。軍事作戦を始めた2月28日にいきなり小学校を誤爆して170人の女子児童を殺した。これでイラン国民の反米感情が一気に高まった。これまでの非民主的な体制にはもう耐えきれないが、それ以上にアメリカが憎い。この民間人虐殺のせいで、イラン国民の反体制機運はむしろしぼんでしまった。むしろ「今はイラン人同士で争っている場合ではない。アメリカを追い出すほうが先だ」と国民的な統合を強めることになった。

―― 4月8日にはアメリカとイランの間で停戦が成立し、和平交渉に移行しました。
内田 トランプは政治的には危機的状況にあります。支持率は下がり続けですし、州知事選や州議会選では民主党に連敗しています。このままだと11月の中間選挙も大敗する可能性が高い。そうなると議会多数派を占めた民主党によって弾劾されて、失職し、場合によっては投獄されるリスクがある。トランプとしては何としてもそれだけは避けたい。
 ネタニヤフも事情は同じです。2019年に汚職容疑などで起訴され、2020年から裁判にかけられています。イスラエルでは今年10月までに総選挙を実施する予定ですが、こちらもネタニヤフ率いる与党が敗北する可能性が高い。選挙に敗けて首相辞任となると、ネタニヤフも有罪判決を受けて、囚人服を着せられるかも知れない。
 だから、ネタニヤフはトランプを唆して、イラン戦争を始めさせたのだと思います。トランプもネタニヤフも選挙で敗ければ失職・投獄のリスクを抱えている。だから、お互いに協力してイランで戦果を上げ、それぞれの選挙を乗り切ろうとした。二人の権力者が自己保身のために戦争を始めた。さすがにこれほど卑しい動機から始まった戦争は過去に見たことがありません。
 でも、その甘いシナリオ通りにことは進まず、イランは予想外に激しく抵抗し、国内で反体制の市民運動が起きる気配もない。それでトランプは焦り始めた。アフガンで20年、イラクで8年、「泥沼」のような長期戦を戦った結果、アメリカは莫大な戦費を費やし、7000人の戦死者を出した。でも、政治的には何も得らなかった。
 そもそもトランプはそういう無駄な「終わらない戦争」を徹底的に批判して大統領になったのです。国益に資するところのない戦争を終わらせて、国内のインフラや雇用に税金を使うべきだという「アメリカ・ファースト」の訴えが有権者の琴線に触れた。そのトランプが中東で戦争を始めた。これもまた「終わらない戦争」になるのではないかという不安がアメリカ国民の間に広がった。
 だから、トランプは最初に描いていたシナリオが楽観的に過ぎたことに気づいた後は、できるだけ早く手じまいしたかったのだと思います。死傷者が多く出る地上作戦は避けて、アリバイ的に空爆をしてイラン国内のインフラをいくつか破壊して、「大勝利だ」と宣言してイランから撤退する。途中からはそういうふうにシナリオを書き換えたのだと思います。
 ふつうの政治指導者ならば、一度戦争目標を「体制転換」と掲げた以上、それをある程度達成するまでは引っ込みがつかない。過去の自分の発言との整合性を取らないとまずいと思う。でも、トランプにはそういうこだわりがありません。不動産屋のセンスで、儲からないと分かれば、さっさと損切りする。
 「体制転換なんて言った覚えはない。イランの核施設を叩くことが戦争目的だと初めから言ってたじゃないか。だから大勝利なんだ」とトランプなら平気で言うでしょう。しかし、ネタニヤフは和平が実現しては困る。戦争が続いていなければ、わが身が危ない。トランプがイランから手を引けば、ネタニヤフは見捨てられたことになります。ですから、イスラエルはたぶん停戦協定違反を犯して、停戦を妨害すると思います。アメリカは手じまいしたいが、イスラエルはイランとの泥沼戦争にアメリカを引きずり込みたい。その押し合いがしばらく続くと思います。
 アメリカと湾岸諸国の関係も今度の戦争でかなり傷つきました。イランは報復措置として湾岸諸国の米軍基地を攻撃しましたが、これによって「抑止力神話」が揺らいだ。米軍基地があるので安全だったはずが、逆に米軍基地があったせいで攻撃されることになった。
 どういうかたちであれ、いずれアメリカはぼろぼろになってこの戦争から撤退するでしょう。その結果、アメリカとイスラエル、湾岸諸国との関係は戦争前よりも悪化し、アメリカの中東での拠点は失われ、プレゼンスを喪失する。

―― イランで戦闘が続く中、3月19日には日米首脳会談が行われました。

内田 今回の首脳会談では「実際に起きたこと」よりも「起きても良かったのに起きなかったこと」の方により重要な意味があると思います。
 高市首相は「ホルムズ海峡にただちに自衛艦を派遣して、米国と共に戦います」と誓言したかったのだと思います。日本が「参戦」を約束すれば、国際的に孤立しているトランプにとっては、これほどうれしいことはない。当然高市を「なんと勇敢で賢明な指導者だろう」と絶賛するでしょう。ホワイトハウスでも国賓待遇で歓待する。米の御用メディアはトランプと共に戦うと宣言した高市首相の姿を英雄のように描くでしょう。
 そうなると帰国後、高市首相はこう言うでしょう。
「自衛隊の即時派兵を大統領に約束した。これを裏切ったら日米同盟は終わる。国際的に孤立しているアメリカにいま味方として参戦することによって初めて日本は真に対等なアメリカの同盟国になれるのだ。」
 これはロジカルには正しいんです。アメリカは間違った戦争を始めてしまった。世界のどこの国もアメリカを応援してくれない。アメリカは困っている。そんな時こそ「恩を売る」絶好の機会である。
 でも、官邸の側近たちは「絶対に派兵の約束をするな。『憲法九条があるから派兵はできない。可及的すみやかに改憲して、軍隊を海外に出せるようにするから、それまで待ってくれ』という以上のことは言ってはいけない」と首相を羽交い絞めにした。だから、首相はまことに不本意ながら「法理的に、日本にはできることとできないことがある」というあいまいな表現しかできなかった。
 でも、トランプが望んでいたのは自衛隊の即時派兵です。「オレは憲法も国際法も気にしないで戦争を始めたぜ、お前もそうすればいい。」トランプはたぶんそう思っていた。でも、高市は「最大限のスピード感を持って、真摯に改憲に取り組みます」というような定型句しか口にできなかった。ホワイトハウスのアナリストは、日本の政治家が「最大限の努力を以て」というよう大仰な言葉を使うのは「とりあえずやらない」という意味だということを知っていたので、トランプに「高市は即時派兵する気ないですよ」とささやいた。トランプは高市に失望した。「こいつはチキンだ」と思った。ホワイトハウスのホームページに掲げられた日米首脳会談の動画やギャラリーの写真があれほど屈辱的なものになったのはそのせいです。高市首相が拳を突き上げながら叫んでいる写真が最初に掲載されています。動画には、真珠湾のことをトランプにギャグにされてぼんやりしている首相の顔、オートペンの画に差し替えられたバイデン前大統領の写真の前で大袈裟に驚き、笑ってみせる場面などが収録されています。高市首相がトランプにおもねっている場面だけを選択的に掲載したのです。動画の最後には、高市首相が「Thank you, Donald, for inviting me to the White House」と言った音声も収録されていますが、発音が不鮮明で、何を言っているのか聴き取れない。わざわざ何を言っているのかわからない部分だけを切り取ったのだとしたら、「英語もろくに話せないやつ」であることを誇示する意図でしょう。
 この高市首相の醜態は全世界に配信され、日本がアメリカの属国であるという事実はありありと可視化されました。加えて、属国の代官という役割を忠実に演じたにもかかわらず、トランプの要求に100%の回答ができなかったがゆえに、高市首相は「使えないやつ」の烙印を押された。高市首相はホワイトハウスのホームページを観て愕然としたと思います。首相のプライドも傷ついたでしょうが、日本の国家的威信も傷ついた。
 確かに日本のメディアは「ほぼ無傷で乗り切った」と高市首相の外交手腕を高く評価しました。アメリカの戦争に巻き込まれずに済んだことは良かったと僕も思います。でも、それは憲法九条の功績であって、高市首相にとってはまことに不本意な結果だったはずです。
 高市首相としては、自衛艦の即時派遣を大統領に約束し、大統領に「イーブン・パートナー」として持ち上げられ、帰国するや「日米同盟の信義」を盾にして「存立危機事態」を宣言して、九条を無視して自衛艦を派遣する...というシナリオを空想していたのだと思います。そうすれば戦後81年を経てついに日本を「戦争ができる国」に作り替え、九条の軛を断ち切った「レジェンド」として歴史に名前を遺すことができた。でも、できなかった。悪いのは「絶対に自衛艦の即時派遣だけは約束しちゃダメですよ」と羽交い絞めにした官邸の腰抜けどもだ。高市首相はそう思って、深い絶望のうちにある。僕はそんなふうに想像します。
 
―― 高市政権は日本の生存戦略を追求しているはずだと思いますが、高市政権の戦略をどう評価していますか。

内田 高市政権の戦略はトランプに従属することだけです。だからトランプの歓心を買うためにバイデンの肖像写真を嘲笑してみせた。しかし、それが民主党や民主党支持者を敵に回したことに気づいていない。次の大統領選ではたぶん民主党が勝つ。民主党の大統領は高市がオートペンの絵の前でげらげら笑ってみせたことを決して忘れないていないでしょう。秋の中間選挙で共和党が敗けてトランプがレームダック化したら、高市もそれに従属してレームダック化する他ありません。

―― 岸田元首相はバイデンと共に去りましたが、高市首相もトランプと共に去ることになる。

内田 そういうことになると思います。自民党は大統領に合わせて総裁の首をすげ替えれば、アメリカの政権交代に対処できると思っている。2028年からの次の大統領のためには別の「首」が要る。
 アメリカが再び偉大な国になる可能性はもう失われたと思います。アメリカでは大統領が変わる度に前政権の方針を廃棄し、前大統領の功績を全否定するということをこのところ繰り返しています。自分は100%正しく、相手は100%間違っているという非寛容なスキームでしか政治家たちがものごとを考えられなくなっている。トランプは前任者オバマ、バイデンの政策を全否定しました。次に民主党が大統領選で勝てば、今度はトランプの政策を全否定することになるでしょう。反DEIから、連邦議会襲撃犯の恩赦まで、トランプの発令したすべての大統領令をもう一度全部廃棄する。前任者の政治的「功績」を全否定するというようなことを選挙のたびに繰り返していれば、アメリカの国際社会における信頼性は地に墜ちるでしょう。
 アメリカはグローバル・リーダーシップをすでに放棄し、かつての同盟国を恫喝と収奪の対象としています。カナダのカーニー首相は「ミドルパワーが団結しなければならない。私たちがテーブルに着かなければ、私たちはメニューに載ることになるだろう。(if we're not at the table, we're on the menu)」とダボス会議で語りましたが、これはかつてのアメリカの同盟国の立場をよく言い当てていると思います。スペインのサンチェス首相も、イタリアもメローニ首相も今回のイラン戦争に対しては明確にアメリカとイスラエルの行動を批判し、軍事行動への加担を拒絶しています。今、同盟国の中で明確なアメリカ批判ができずにいるのは日本と韓国だけでしょう。それでも、韓国は中東に特使を派遣して、イランとのコミュニケーションを探っている。
 イランは日韓に対してホルムズ海峡通過の条件として、「今回のアメリカ、イスラエルのイラン攻撃は国際法違反である。イエスかノーかでお答えください」と迫ってくるでしょう。日韓はその前でためらっている。これに「イエス」と答えればタンカーは通れる。でも、トランプから「無能、腰抜け、愚鈍」と罵倒されることは目に見えている。トランプは「味方だと思っていたやつが自分から離れた場合」には激昂してそれから執拗に意地悪をし続ける人間です。マージョリー・テイラー・グリーンでも、タッカー・カールソンでもそうでした。「アメリカに非あり」と一筆念書を書けばタンカーは通れる。でも、高市早苗と李在明はSNSでトランプから怒涛のような罵倒を浴びて、日米同盟、日韓同盟はシリアスな危機に立ち入る。場合によっては日米安保条約、日韓相互防衛条約をアメリカが廃棄通告してきて、在日、在韓米軍が撤収するという展開だってあり得る。

―― アメリカは戦後レジームから脱却している。そうである以上、日本も憲法9条と日米安保条約を両輪とする戦後レジームから脱却して、「ポスト戦後体制」を構想しなければなりません。

内田 高市は「大日本帝国の復活」を目指しています。憲法9条を廃棄し、国軍を保有し、「戦争ができる国」になろうとしている。スパイ防止法や国旗損壊罪を制定して国民統制を強める。これらの法律を通せば、制度的には1930年代の日本のような国に「退化」できる。でも、残念ながらし、それは大日本帝国の劣化版に過ぎない。今の日本には帝国を運営できるようなスケールの人間がいないからです。
 たしかに大日本帝国は様々な欠陥を抱えた統治システムでした。でも、人材だけはいた。歴史的評価はさておき、明治維新以後の日本には「アジアをどう経略するか」についてスケールの大きなヴィジョンを描ける思想家や政治家や軍人が何人もいた。宮崎滔天、北一輝、権藤成卿、石原莞爾...数え上げれば切りがない。でも、今の日本にそんなスケールの人間はいません。「経綸の大事を託せる器の大きな人間を育てなければいけない」と思っていなかったんですから、いるはずがない。戦後日本が育ててきたのは「対米従属マシーン」を器用に回すことのできる小粒なイエスマンだけです。そんな連中が今の日本の支配層を形成している。そんな連中に「帝国」を運営できるはずがありません。

― 内田さんは戦後レジームから脱却して、どういう「ポスト戦後体制」を目指すべきだと思いますか。

内田 アメリカはいずれ在日米軍を撤退させるでしょう。政府はアメリカに縋りついて「いてください」と掻き口説くでしょうけれど、アメリカは日本列島における権益だけは確保して、軍はグアム=テニアンの線まで退くつもりでしょう。
 日米同盟が空洞化した場合、日本にはそれほど多くの選択肢は残されていません。一つは日韓同盟。これまで繰り返し語ってきましたけれど、日韓が同盟すれば、人口1億8千万、GDP6兆ドル、ドイツを抜いて世界第三位の経済圏ができます。軍事力は日韓を合わせるとインドを抜いて世界4位。この日韓同盟が米中の二大帝国の間にあって、米中と等距離外交を展開する。米軍がハワイまで退き、中国が海洋進出に抑制的になれば、西太平洋に日韓を結ぶ広大な中立地帯ができる。東アジアは政治的には安定するので、国際社会はこれを歓迎するはずです。
 韓国は人種、宗教、文化、政治体制において世界で最も同質性の高い隣国です。パートナーとなるとしたらここしかない。日本には天皇制がありますから、一国二制度になる。しかし、日韓が同盟して、外交安保政策で足並みを揃えれば、その国際社会におけるプレゼンスは今の比ではありません。米中EUと対等の政治単位になることも可能です。
 日韓同盟は明治以来両国の多くのアクティヴィストの夢でした。1910年の「日韓併合」という歴史的失敗を適切に総括するだけの知力と度量が日本人の側にあれば、日韓同盟は可能だと僕は思っています。
 もう一つの道は、九条二項を高く掲げて「東洋のスイス」のような永世中立国になることです。日本は医療、教育、観光・エンターテインメントでは世界のトップレベルにあります。だから、円安になったとたんに世界中から観光客がやってくる。通貨が弱くなったことはわれわれにとっては困ったことですが、そのせいで世界中から観光客が殺到したというのは、「機会さえあれば日本に行きたい」と願っていた人がそれだけ多かったということです。「日本に行きたい、できるなら日本で暮らしたい」という人々を世界中に創り出す。これは最も安上がりな安全保障です。日本に知人友人がおり、家や別荘があるという人たちは自国政府が反日的になって日本を軍事侵攻することに反対してくれるでしょう。「日本だけはやめましょうよ。あそこ、いい国なんですから」と。こんなタイプの安全保障政策を起案できる国は決して多くありません。「できれば中国に永住したい」とか「できればロシアに永住したい」とか思っている人がどれくらいいるか想像すれば日本のアドバンテージがわかるはずです。

―― 憲法9条も改正すべきですか。

内田 9条は1946年時点で憲法起草者たちの脳裏にあった「これから世界はどうなるか」という構想から生まれたものです。起草者たちはもし次に戦争が起これば、それは核戦争になり、人類は滅亡するだろうと予見していました。これを止めるには国連が「世界政府」になり、国連軍が地上最強の実力組織になる必要がある。加盟国間での紛争は国連が裁定し、従わない国には国連軍を送り込んで実力で処罰する...というシステムでしか核戦争は阻止できないと思った。公共を立ち上げることで、私人たちの安全と権利を保護するという近代市民社会の統治モデルを国際社会に拡大してみたのです。
 ですから、9条起案者たちは、戦争放棄条項をいずれどこの国も採択するようになるだろうと考えていた。しかし、この予測は外れました。たしかに核戦争の勃発だけは阻止できましたけれども、国連の常任理事国自身が自国第一主義を掲げて、国際法を踏みにじって、平然と「力の支配」を誇示するようになった。今、国際社会は「万国の万国に対する戦い」というホッブズ的状況にあります。「強い公共」が存在しないアナーキーです。
 言う人があまりいないので、僕が代わって申し上げますけれど、憲法9条が空洞化したのは、国連というアイディアが空洞化したからです。9条のリアリティ―は国連のリアリティーと相関していたんです。
 でも、国連がそれでも一定の有効性を維持しているように、憲法9条もいまだに一定の有効性を維持している。実際、今回の日米首脳会談では憲法9条が盾になって、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることを回避できた。
 憲法9条のような非現実的な条項を廃棄しろというロジックを延長すれば「国連のような非現実的な組織は要らない」ということになる。強いものが欲しいものを手に入れて、弱いものは食い物にされる。それでいいじゃないか、そう言っているのと変わらない。
 法というのは現実を叙するものではありません。あるべき現実の枠組みを示すことです。日本の法体系は明治末年までに整備されましたけれど、それはドイツやフランスの法律をほとんどそのまま翻訳したもので、当時の日本の実情とはまったく別のものでした。法典の字面だけを見ると、当時の日本が近代的な市民社会をすでに形成したように読めますが、これは事実と隔たること遠い。でも、法起草者たちは将来の見通しとしては、日本の生活が変わっていってこれらの法典が実情にあうものになるだろう考えていた。そういうものだろうと僕も思います。9条起草時点では、起草者たちは9条が世界の実情にあうものになるだろうと考えていた。その予測が楽観的に過ぎたことは事実です。でも、それ以外に日本人が向かうべきどんな理想があるでしょうか。
(4月3日 聞き手・構成 杉原悠人)