国語の先生から「最近はICT教育で、生徒たちにタブレットを配布して、キーボードで文字入力をするようになりました。その結果、紙に鉛筆で文字を書くという習慣が次第になくなりつつあります。何か子どもたちに悪い影響が出そうな気がするんです」という質問を頂きました。あちこちで似た質問を受けます。たぶん現場では微妙に悪影響が出ていることが実感されているんでしょうね。
確かに文字を書くというのはかなり高度な身体技術なのですが、その技術を習得する機会が激減するんですから「何か」が起きて当然です。
僕が中学生高校生の頃は大量に文字を書きました。別に「書け」と先生から言われたからではなく、「自分のオリジナルな書体」を創るためです。自分だけの「フォント」を創ろうとしていたのです。それはきれいな字というのとは違います。オリジナルな書体です。それでノートを作り、手紙を書く。
僕は高校の終わりの頃に「内田樹フォント」を完成させました。ある種の芸術作品です。ですから僕にとって受験勉強の半分くらいは「自分のフォントでノートを作る」という一種の肉体労働でした。きれいに「ぬり絵」を仕上げるように世界史や古文のノートを作り、そこに並んだ文字列を眺めて、「ううむ、よい出来だ」と頷いていたりしました。だから、今でも昔のノートが押し入れの奥から出てきたりするので開いてみますけれど、実に統一された書体で書かれています。
たぶん今の受験生には、自分のオリジナルなフォントできれいなノートを作って喜ぶという感じはよくわからないと思います。でも、これは受験勉強としてはきわめて効率的だったんです。だって、半分頭脳労働、半分肉体労働なんですから。頭が疲れたら手を動かし、手が疲れたら頭を使う。そして、実際に答案用紙に答えを書くときに「手が勝手に答えを書いてしまう」ということが起きる。腕の運動筋が覚えていて、その文字列を自動的に再生してしまうんです。いや、ほんとに。僕の友だちで灘校の卒業生によると灘では「数学は肘で解け」と教えられていたそうです。腕の筋肉が解法を覚えてしまって、勝手に問題を解いてしまうところまで勉強しろということです。それを聴いて、受験生の実感として「そういうのってあるよな」と思いました。
身体を使って勉強するということが最近の高校生は苦手みたいです。知人の高校の国語の先生によると、生徒たちはノートを取ることが嫌いだそうです。ます目に文字を収めたり、罫線に沿って文字を書くということ自体が苦痛であるらしい。その作業を僕は子どもの頃に「フォント作り」作業として、楽しんでやっていたわけですから、ずいぶんな違いです。
でも、キーボードで入力して、文字を書く習慣から遠ざかるということは、いろいろな影響を及ぼしそうです。スウェーデンは紙の教科書を減らして、デジタル教材への移行を進めてきましたが、読解力や数学のスキルが低下傾向を示しました。スクリーンを見続けていると集中力・注意力が低下するらしい。特に低学年では、手書きによる運動が記憶定着に有効だという研究結果が出たので、学校でのタブレットの使用を抑制することになりました。手を動かすと運動筋に記憶が定着する。「数学は肘で解け」もあながちでたらめじゃないということです。
というようなことをキーボードで打って書いているんですから、どの口が言うかと言われそうですけど。もう受験生じゃないから許してください。
(「蛍雪時代」2月27日)
(2026-03-13 11:38)