メディアはどうなるのか

2026-02-12 jeudi

 全国紙はいま劇的な部数減にさらされている。民放テレビも末期的である。若い人は新聞を読まず、テレビも視ない。全国紙も民放テレビも、ビジネスモデルとしてはあと十年持つかどうか分からない。
なぜ「こんなこと」になったのか。それについてメディア側から真剣な分析を聴いた覚えがない。
 13年前、朝日新聞の紙面審議委員をしていた時、毎年5万部の部数減だと知らされた。「危機的な数字ではないですか」と委員会で質問したら、論説委員が「ご心配ありません。年5万部減なら800万部がゼロになるまで160年かかりますから」と笑って答えた。最新データでは朝日新聞の発行部数は334万部。私が質問した時点からは年間36万部の部数減である。このままならあと10年でゼロになる計算である。
 この致命的な読み違いについて、朝日新聞はどう説明しているのか。私は聴いた覚えがない。自分の足元で起きている事件について、予測もできず、原因の説明もできず、今後の生き残り戦略についても語ることのできないメディアが、それ以外の論件に限っては適切に報道し、適切な分析を下しているという仮説に私は与さない。
 なぜ新聞を読む人がいなくなったのかという問いには定型的な答えが用意されている。読者が高齢化したから、若い人がネットでニュースを読むようになったから、読者全体のリテラシーが低下したから。どれも事実の一端を衝いてはいる。だが、新聞やテレビから人が離れたのは、「消費者のニーズに合わせる」というマーケティングに追随した結果だと私は思う。
 日本のメディアが過去半世紀まったく試みてこなかったのは「読者のリテラシーを向上させ、その結果コンテンツの質を向上させる」という読者への働きかけである。やってきたのはそれとはまったく逆の、「消費者の質に合わせて、コンテンツの質を下げる」ということだった。それを配信者たちは「サービス」だと信じていた。でも、そうやって市場のニーズに合わせて、コンテンツの質を下げていった結果が現状なのである。そろそろ「マーケティング理論」が破綻していることに気づいてよい頃である。
 いま新聞社は傘下のカルチャーセンターを次々と閉鎖しているらしい。理由は「採算が合わない」から。でも、この種の文化事業は赤字に決まっている。収益のための事業ではなく、メディアが身銭を切って国民全体の教養と見識を向上させるためのものだからだ。そうやって読者のリテラシーを高め、その読者を満足させるだけ質の高い紙面を作る。カルチャーセンターはそういう「高め合い」のための事業だったはずである。それを「収益にならないから閉じる」というのは、新聞がもう読者を育てる気をなくしたということを意味している。おそらく「読者を育てる」というアイディアそのものがもう経営者の脳裏には存在しないのであろう。
 私自身はこれまでさまざまな新聞に寄稿してきた。駆け出しの頃は編集者から原稿の書き直しを何度も求められた。私の書くものが「難し過ぎる」というのである。漢字と外国語が多い、ロジックがひねくれている。漢字二字の熟語を造語して使ったら、編集者から『広辞苑』に出ていない語だから使えないと言われた。「でも、読んで意味わかったでしょう?」と訊いたら「意味はわかる」と答えた。「だったらいいじゃないですか。そうやって新語を創ることで日本語の語彙はここまで豊かになったんです。それとも新聞は新語の創出を禁止するんですか?」とねじ込んだけれど、拒否された。お前程度の書き手に新語なんか使わせてたまるかという強い意志を感じた。その時に新聞にはもう先がないなと思った。
(山形新聞2月3日)