残心について

2025-12-24 mercredi

 「残心」ということの意味が長いことわからなかった。
 初心者の頃はどうして相手ともう離れているのに、自分の形を調えておく必要があるのかがわからなかった。まさかただ「見得を切っている」わけではあるまいと思っていたら、ある先輩に「技を終えた後も、四方八方に敵はいるのだから、すぐに次の動きに移れるように、安定した体の構造を保つ必要があるのだ」と教えられた。なるほど。そうやって稽古を続けてきたが、門人を指導している時、よく見ると技一つずつに「残心」を心がけている者と、「残心」なんか気にしないで次々と技をかける者では、技の「冴え」が違うことに気がついた。
 その頃、ラグビーの元日本代表のウィングだった平尾剛さんと対談する機会があり、その時に平尾さんから「ボールを持って走っている時に、ディフェンスを避けてタッチラインを割りそうになると、タッチラインが『来たらあかん』とそっと押し戻してくれるんです」という話を聞いた。「線には物理的な力がある」ということをトップアスリートは体感しているのである。
 「線」は強い力を持つ。神社の内陣と外陣を切り分ける境界線を越える時に、空間の質感が変わるのがわかる。国境線は人為的なものだが、それでもそこをうかつに越えると命を落とすことがある。あらゆるボールゲームはまず線を引いて「フェア(美しい空間)」と「ファウル(醜い空間)」を切り分けるところから始まる。そこからしか始まらない。「線には強い力がある」というのは太古からの経験知なのである。
 武道における「残心」は自分と相手を繋ぐ正中線に斬りの刃筋を合わせることだというのが現時点での私の解釈である。正中線には場を調える力がある。場に固有の気の流れ、力の流れをこの線によって調える。それが武道的な意味で「場を主宰する」ことだと私は理解している。暫定的な理解だけれど、しばらくこれで稽古を続けるつもりである。
(「月刊武道」12月号 2025年12月12日)