『老いのレッスン』韓国語版訳者あとがき

2025-09-17 mercredi

『老いのレッスン』の韓国語訳をしてくれた朴東燮先生が「訳者あとがき」を書いてくれた。
たいへん丁寧な解説なので、ご紹介する。
 自分のことを書かれている文章を読むとたいていは「身の置き所がない」気分になる(先日関川夏央さんの『昭和的』をベッドで読んでいたら、いきなり「内田樹は」と出てきて、びっくりして目を閉じてしまった)。でも、朴先生が書く「内田樹論」を読んでも、それほどいたたまれない気持ちにはならない。なんだろう。マネージャーがタレントの営業をしているような関係だからかな。

 皆さま、このたびも内田樹先生のご著書をお手に取ってくださり、心より感謝申し上げます。本書の翻訳者として、そして内田樹という思想の響きをお伝えするひとりの伝道者として、こうして韓国の読者の皆さまに本書をご紹介できることを、何よりの喜びと思っております。
 僕が今住んでいる釜山・日光(イルグアン)の東海線、ラッシュアワーの車内でのことです。一つの空席ができました。すると、少し離れた場所に立っていた二人の乗客が、まるで100メートル走のスタートダッシュのようにその席めがけて突進しました。一人は流行りのハイテクスニーカーを履いた大学生、もう一人は高級そうな登山服に身を包んだ、いかにも「まだまだ若い」と主張したいであろう初老の紳士でした。結局、席を勝ち取ったのは若者の方で、紳士は少し悔しそうな顔をして、何事もなかったかのようにスマホの画面に目を落としました。
 その光景を見ていた私は、ふと思いました。私たちはいつから、こんなにも「老い」を、「衰え」を、敗北のように感じるようになったのでしょうか。アンチエイジングという言葉が、まるで国家的なスローガンのように響き渡り、テレビをつければ「100歳まで80歳のように生きる方法」といった類の番組が溢れかえっています。もちろん、健康で長生きしたいという願いは、誰もが持つ自然な感情です。しかし、その根底にあるのは、「老いた自分」を、「弱った自分」を、断固として受け入れたくないという、強烈な拒絶反応ではないでしょうか。まるで老いることが、人生のゲームに負けることであるかのように。
 そんな社会の強迫観念に、まるで「ちょっと待った!」と、軽やかで、しかし決して無視できない声で割って入ってくるのが、本書、内田樹先生の『「老いる」とはどういうことか』です。
 私は、内田先生の長年の読者であり、勝手に「韓国の一番弟子」を自称している者ですが、この本を翻訳しながら、何度、膝を打ったことでしょう。そして、何度、心の霧が晴れていくような感覚を味わったことでしょう。この感動と興奮を、一日でも早く韓国の読者の皆様と分かち合いたい。その一心で翻訳を進めてまいりました。
 実は、ここだけの話ですが、この訳者あとがきを書いている今日、2025年9月17日は、何を隠そう、日本でこの本の原作が発売される「前日」なのです。ええ、そうです。まだ日本では誰も(おそらく編集者以外は)この本の全貌を知らないはずなのに、韓国では翻訳が完了し、こうして「あとがき」まで書いている。まるで未来から届いた予言の書を解読しているような、不思議で、そして最高に愉快な体験でした。これもきっと、「師匠」である内田先生の思想が、時空を超えて普遍的な力を持っていることの証なのでしょう(と、弟子は勝手に解釈しております)。先生の教えは、発売日という俗世のルールさえも、ひらりと飛び越えてしまうのです。

老いという「未知なる大陸」への招待状

 さて、本書の魅力について、この弟子が皆様をナビゲートさせていただきましょう。本書は、単なる「老いとの向き合い方」を説く実用書ではありません。これは、私たちがこれまで忌み嫌い、目を背けてきた「老い」という未知の大陸への、スリリングで心躍る冒険の招待状なのです。
 目次を眺めてみてください。「老いることは悪いことなのでしょうか......?」という、私たちの心のど真ん中を射抜くような問いから始まり、「親の老い」「死」「友情」「結婚」「天職」...と、人生のあらゆる局面を、「老い」という新しいレンズを通して見事に解き明かしていきます。
特に、第一部から第五部にかけて語られる「老い」の再定義は、まさにコペルニクス的転回です。先生は、「老いて、『あまりよけいなことをしない人間』になった」と、こともなげにおっしゃいます。私たちは、「できなくなること」を嘆き悲しみますが、先生は、その「できなくなること」の中にこそ、新しい豊かさがあると示唆するのです。それはまるで、満漢全席を毎日食べていた人が、ある日、一杯のお茶漬けの滋味深さに感動するようなものです。刺激は減るかもしれない。しかし、感受性の解像度は、むしろ格段に上がるのです。
 身体が思うように動かなくなり、回復しなくなる。それは絶望でしょうか?いいえ、先生に言わせれば、それは「壊れやすい身体」と共に生きる術を学ぶ、新しい稽古の始まりです。ガチガチにコーティングされた最新のスマートフォンではなく、少しの衝撃でひびが入る、繊細なガラス細工を慈しむように、自分の身体と対話していく。そう考えると、節々が痛む朝も、少しだけ愛おしく思えてきませんか?

ユーモアという名の「最強の抗生物質」

 本書のもう一つの大きな魅力は、その圧倒的なユーモアとウィットにあります。先生の文章は、難解な哲学や思想を、まるで近所のおじさんが縁側で語ってくれる面白い昔話のように、私たちの心に届けてくれます。
 例えば、「老人は『どうでもいい話』をする」という項目。普通なら、「だから老人は...」と否定的な文脈で語られがちなこのテーマを、先生は全く違う角度から切り込みます。結論や生産性を求められない、「どうでもいい話」ができる関係性こそが、人間関係の極意であると。それは、目標達成や自己実現という、私たちを駆り立て続ける「呪い」から解放された、自由で豊かな境地なのです。会社の会議で「どうでもいい話」をしたらクビになるかもしれませんが、人生という長い旅路においては、その「どうでもいい話」こそが、乾いた心を潤すオアシスになるのかもしれません。
 また、「自分の墓にお参りする」という発想には、思わず笑ってしまいました。しかし、笑いながらも、ハッとさせられるのです。死を自分から遠ざけるのではなく、むしろ積極的に迎えに行き、自分の死後の世界を想像してみる。それは、残された時間をいかに生きるかという問いを、より鮮やかに浮かび上がらせる、最高の思考実験なのです。
 先生の文章には、こうしたユーモアという名の「最強の抗生物質」がたっぷりと含まれています。だから、私たちは「老い」や「死」という、ともすれば重くなりがちなテーマを、恐れることなく、むしろ好奇心を持って探求することができるのです。

すべての悩める「若者たち」へ

 そして、私が声を大にしてお伝えしたいのは、この本は決して「老人」や「老いを目前にした人」だけの為の本ではない、ということです。むしろ、人間関係に悩み、仕事に迷い、結婚や子育てに不安を感じる、すべての「若者たち」にこそ読んでほしい一冊です。
 「年下への接し方が分かりません......」という悩みへの答えは、驚くほどシンプルです。「親切にする」。ただそれだけ。しかし、その一行の裏には、見返りを求めず、相手をコントロールしようとせず、ただそこに存在する他者を尊重するという、深く温かい思想が流れています。
 「友だちと疎遠になり、さみしいです......」と嘆く私たちに、先生は「謎によって結びつく」という、ミステリアスな友情の形を提示します。すべてを分かり合えなくてもいい。むしろ、分からない部分があるからこそ、関係は長続きする。SNSで「いいね!」の数を競い合い、常に「共感」を求められる現代において、なんと心強い言葉でしょうか。
 「天職」が見つからない?「最初から『よい勤め先』は存在しない」と先生は断言します。「結婚」に意味が見いだせない?「結婚は幸福になるためにするものではない」と、身も蓋もない(しかし真実の)言葉を投げかけます。
 一見すると、突き放したような冷たい言葉に聞こえるかもしれません。しかし、それは違います。これは、完璧な答えや理想の人生などという幻想から私たちを解放し、「まあ、こんなもんですよ」と、現実を軽やかに肯定してくれる、最高のエールなのです。過剰な期待を手放した時、私たちは初めて、目の前にある仕事や人間関係の中に、ささやかな、しかし確かな喜びを見出すことができるのかもしれません。

師匠への感謝を込めて
 
 この本を翻訳する時間は、私にとって、内田樹という偉大な師匠から、マンツーマンで人生の個人レッスンを受けているような、本当に幸福な時間でした。ページをめくるたびに、凝り固まった私の常識は心地よくマッサージされ、歪んだ物の見方は整体のように矯正されていきました。
内田先生、このような素晴らしい知性の冒険へ、私たちをいざなってくださり、本当にありがとうございます。先生の言葉は、まるで北極星のように、人生という荒波を航海する私たちにとって、確かな指針となるでしょう。
 韓国の読者の皆様。 もしあなたが、人生に行き詰まりを感じているなら。 もしあなたが、老いていくこと、衰えていくことに、言いようのない不安を感じているなら。 もしあなたが、複雑すぎる人間関係に疲れ果てているなら、どうぞ、この本を手に取ってみてください。 ここには、あなたの悩みを一瞬で解決する魔法の呪文は書かれていません。 しかし、その悩みと共に、しなやかに、したたかに、そして機嫌よく生きていくための、たくさんのヒントが散りばめられています。読み終える頃には、あなたの目に映る世界が、昨日までとは少しだけ違って、より彩り豊かに、そして愛おしいものに見えていることを、この一番弟子が保証いたします。

2025年9月17日 まだ見ぬ読者の皆様への愛と、師匠への限りない尊敬を込めて
朴東燮