単純主義の神話

2025-09-16 mardi

 石破茂首相が選挙の敗北の責任をとって総裁を辞職する意思を表明した。党内外で「石破おろし」の風が吹き荒れ、党内基盤の脆い首相は、世論の支持がありながら持ちこたえることができなかった。この後の政局がどうなるのか、先行きが見えない。でも、誰が次期総裁になっても、自民党退勢の流れは変わるまい。「解党的危機」はこの後も続く。そして、内閣が失政を犯すたびに党内で「・・・おろし」が始まり、短命な内閣が続くことになる。そして、政権の安定性に対する信頼が失われると、いつの世でも「単純主義者」が前面に出てくる。
 「単純主義(simplism)」という政治用語を日本のメディアは使わないが、これは「右/左」「保守/進歩」という区分よりも政治の実相を表す上では適していると私は思う。政治を「善悪・良否」のデジタルな二項対立に還元して理解し、解決策は「敵を叩き潰すこと」だと息巻くのが単純主義である。
 しかし、実際の政治は無数のファクターが関与する複雑系であり、わずかな入力変化で状況は劇的に変わる。そしてまことに困ったことに「先行きが見えない」時になると単純主義者の声が大きくなる。未来が予測不能になればなるほど、「実は話は簡単で・・・が諸悪の根源なのだ」と言い切る単純主義者に人々は魅了される。単純主義者は知的負荷を軽減してくれる。だから、内心では「それほど話は簡単ではないのでは・・・」と思っていても、「深く考えずに済む」という報酬に人々は簡単に屈服してしまう。
 政治状況が複雑になればなるほど人々はより単純な説明にすがりつく。これは歴史が教えることである。もちろん単純な説明によって現実を理解することはできない。でも、現実を理解していない人間にも現実を変える力はある。むしろ、現実をまっすぐに見つめることを忌避して、単純主義的妄想に耽っている人間ほど現実変成力は強いとも言える。
 それは米国を見ればわかる。大統領は「テロとの戦い」という大義名分さえあれば憲法も法律も無視できるし、立法府にも司法府にも掣肘されない権力を揮うことができるようになった。ほとんど「国王」である。中国ロシアに続いて米国も独裁制を採択しようとしているのだが、たぶんそうした方が米国民の眼に「世界が分かりやすく」映るからだ。
(日本農業新聞 9月10日)