陰謀論的思考

2025-09-16 mardi

 自民党の後継総裁選びでメディアは賑わっているが、私はそれより世界大戦の切迫の方が気になる。
 先日、トランプ大統領が国防省(Department of Defense)を「戦争省(Department of War)」に改称するという大統領令を発令した。ヘグセス新戦争長官は「我々は守るだけでなく、攻めに出る。手ぬるい合法性ではなく、最大の殺傷力をもって。政治的な正しさではなく、暴力的な効果を目指す」と強調した。世界的な混乱のさなかに「暴力の効果」に信を置くとアメリカの国防政策のトップが宣言することの意味をこの男はどれくらい理解しているのだろうか。たぶんあまり理解していないと思う。事実、その発令の直後にロシアはドローンでポーランドを攻撃し、イスラエルはカタールでハマス幹部を爆殺した。
 「世界はグッドガイとバッドガイが戦っている」という単純な二元論を信じて、知的負荷を軽減したいと願うのはトランプやヘグセスの勝手だが、世の中は実際にはそれほどには単純ではない。政治はわずかな入力変化で劇的な出力変化がもたらされる複雑系である。「北京で蝶がはばたくとカリフォルニアでハリケーンが生じる」という比喩がよく使われるけれども、政治というのはそのような未来予測がきわめて困難な系なのである。だから、できるだけ先入観を排して、楽観にも悲観にも傾かず、最悪の事態から最良の事態まで、思いつく限りのシナリオを用意して、現実をみつめる知的抑制が必要とされるのである。
 でも、どこの国でも人々は指導者にそのような知的抑制を期待しているようには見えない。逆に、大仰な修辞を弄び、好戦的な気分を煽り、単純な善悪二元論で出来事を説明してくれる「わかりやすい政治家」がどこでも圧倒的なポピュラリティを獲得している。
 日本でもそうだ。この後、自民党の総裁候補者たちも必死で「わかりやすさ」を競うようになるだろう。「話は簡単なのだ。諸悪の根源は・・・であるから、これを除去しさえすれば万事は解決する」という陰謀論をポピュラリティを求める政治家たちは競って語り出すことになるだろう。
 「陰謀論」というのは「単一の"オーサー"が万事を統制している」という物語のことである。もちろん、現実はそれほど単純ではない。けれども、私たちはこのような物語に魅了される。
 第一には、そう考えると複雑に見える世の中がしごく単純なものだと思えるからである。世界を理解するための知的負荷が大幅に軽減される。
 でも、それだけではない。「偶然的に見える現象は実は誰かによって完全に統御されている」という信憑はしばしば人間の知性にその限界を超えることを求めるからである。
 現に、「森羅万象は神の摂理によって統御されている」と信じたことで人類は一神教信仰を創り出した。一見ランダムに見える事象の背後にはシンプルな数理的法則性が潜んでいると信じたことで人類は自然科学を発展させてきた。
 つまり、陰謀論的思考は、ある場合には知的負荷を軽減して人間を思考停止に導き、ある場合には知的負荷を耐えられないほどに高めて人間に知的な限界を突破することを求めるのである。ややこしい。
 こう言ってよければ陰謀論的な思考は私たち全員に取り憑いているのである。と書いている私自身も「世界のカオス化の背後には何らかの法則性が働いているに違いない」と思っているからこそこんな文章を草しているのである。
 自分の思考が活動を停止して、自己刷新の意欲を失っているのか、それとも今の自分とは違う人間になろうともがいているのか、それを感知するのは難しい。とても難しい。
(山形新聞「直言」 9月13日)