日本中学生新聞という新聞を出している川中だいじ君という中学生三年生がいます。一人で選挙活動を取材し、政党党首たちにインタビューを試み、大人の記者たちでも引き出せないような言葉を引き出すことのできるすぐれた「ジャーナリスト」です。この間の参院選の時には、ある候補者から決定的な証言を引き出して、選挙結果に影響を与えました。
その川中君とシンポジウムで同席する機会がありました。さっそく控室でいろいろお話を伺いました。彼は今三期目の生徒会長を務めていて、学校側と「無意味な校則」をめぐってタフな交渉をしているところだそうです。今問題になっているのは、「登下校中のスマホ禁止令」。このルールに何の意味があるのかを彼は教員たちに問いかけている。たしかに授業中にスマホをいじってはいけないというルールには合理性があります。生徒たちがゲームしたりラインしたりしてたら先生は困りますからね。でも、登下校の電車の中でスマホを見て何が悪いのか?
「こんなルールに何の意味があるのですか?」と異議申し立てをするのはとてもたいせつなことです。みなさんの学校にも「なんだよ、これは」とイラつくような無意味な校則があると思います。「こんなの意味がない」と思ったら、はっきりと「これ、何の意味があるんですか?」と教師に訊いた方がいいです。
それは「こんなルール」がつねに無意味だからではありません。この社会の制度や規範の中には一見すると無意味だけれど、実は深い人類学的知見が隠されている事例が少なくありません。でも、その隠された知見を発見するためにはまず「このルールに何の意味があるのか?」という問いを向ける必要があります。この問いかけがあって初めて隠されていた意味が可視化される。ですから、「意味がない」と思ったらきちんと「これにはなんの意味があるんですか?」と問うべきなんです。「意味がない」と思いながら「決まりだから」と従うのは自身の知的成長を自分で妨げていることです。
みなさんは一人ひとり自分専用の「意味を測る物差し」を持っています。それをあてはめて「意味がある/ない」を判定している。でも、世の中にはみなさんの手持ちの「物差し」では考量できない意味が無数に存在します。
みなさんが成長するというのは、言い換えると自分の手持ちの物差しを絶えずヴァージョンアップするということです。「長さ」しか測れない物差しでは「重さ」や「速さ」は測れない。それと同じです。世界の奥行と広がりを知るためには、つねに「物差し」を刷新しなければなりません。
だからこそ、「これには何の意味があるのですか?」という問いは絶対に必要なんです。「意味なんかどうでもいいよ、決まりなんだから従うよ、オレは」という人は「物差し」の更新を諦めた人です。知的成長を断念した人です。僕はそういう人を「無意味耐性の強い人」というふうに呼びます。無意味なことに耐えられるんです。そういう人はたしかに受験勉強なんかは得意だと思います。でも、うまい具合にいい学校に入って、いい勤め先をみつけても、たぶんその人はそこでも「無意味耐性」をじゃんじゃん発揮して、意味のない仕事に精を出して生涯を終えるリスクがあります。意味がないどころか「有害な」仕事を手際よく片付けるかも知れません。
僕はみなさんにはそんな人にはなって欲しくありません。ですから、「これに何の意味があるんですか?」という問いを決して手離さないでくださいね。お願いします。
(『蛍雪時代』9月号 8月25日)
(2025-09-16 11:51)