「内田樹論第三部」のためのまえがき

2025-08-25 lundi

朴東燮先生の「内田樹論第三部」は順調に筆が進んでいるらしい。韓国語と日本語を平行して書かれているとのことで、「まえがき」を送って頂いたのでこちらで公開する。自分のことを論じた文章を自分のブログに上げるのって、なんだか変な気分なのだけれども、もしかすると万一これを読んで「日本でも出版しようかしら」と思う奇特な編集者がいるかも知れないので掲載するのである。


 読者の皆様、この本に目を留めていただき、心より感謝申し上げます。
 全ての物語に始まりがあるように、この本にもまた、奇妙で、しかしどこか運命めいた始まりがありました。あれは忘れもしない、私が『ベッドで読むヴィゴツキー』なる、いかにもゆるふわなタイトルの裏で、実はゴリゴリの学術書をうんうん唸りながら執筆していた夜のこと。深夜のテンションでヴィゴツキー愛をフェイスブックにぶちまけた、まさにその刹那、私のカカオトーク(韓国のライン)がピコンと鳴ったのです。送り主は「赤塩出版」の代表。その神がかり的なタイミングに、私は「さては代表、私の投稿を読んでさてはテレパシーでも送ってきたか!」と、少々メルヘンな思考に陥っておりました。しかし、ご存じの通り、人生という脚本家は、我々のちっぽけな予想など軽々と飛び越える、とんでもないどんでん返しを用意しているものでございます。
 代表曰く、「ある思想家について、腰を据えてじっくりと論じる哲学書を書いていただきたく...」。なんと! 私のフェイスブック投稿は、この壮大な計画のきっかけですらなかったのです。つまり、代表が長年温めてこられた企画の書き手として、たまたま私に白羽の矢が立ち、そしてたまたま、私がキーボードを叩き終えたタイミングと、代表がメッセージを送ったタイミングが、天文学的な確率で重なった――ただそれだけの、しかしあまりにも出来すぎた偶然の一致。人生とは、時としてこれほどまでに粋なサプライズを仕掛けてくるものかと、すっかり感服させられた次第です。
 ともあれ、私は代表の熱意に満ちた企画に耳を傾けました。そして、お話を伺うほどに、私の脳裏にはヴィゴツキー先生の姿がみるみる遠のき、代わりに「内田樹先生こそ、この企画にふさわしいのでは?」という思いが、抑えがたいほどに込み上げてきたのです。そこで私は、いわば「ちゃぶ台返し」にも等しい提案を、恐る恐る、しかし確信をもって切り出しました。「あの、大変申し上げにくいのですが、テーマを内田樹論に変えるというのは...いかがでしょうか?」。するとどうでしょう。代表は一瞬の間もなく、「それ、最高に面白いですね!」と満面の笑み。こうして、私の華麗なる鞍替えはあっさりと受け入れられ、まるで最初からそうであったかのように、話は驚くべきスピードで進んでいったのでございます。
 実を申しますと、これまでにも内田樹に関する本を二冊ほど世に送り出してはまいりました。しかし、ページ数や文体の制約という名の「大人の事情」により、どこか消化不良で、言いたいことの半分も言えなかったような、歯がゆい思いを抱えておりました。ですが、今回は約四百頁という広大な紙幅の海が与えられたのです。これならば、心置きなく内田哲学の深淵へと潜り、思う存分、筆という名のフィンを動かすことができる。そう思っただけで、胸が躍りました。その後、企画書は光の速さで受理され、気づけば「内田樹論」第三部作目となる本書の契約書にサインをしていたのです。あまりに事がスムーズに進んだため、今でも時々、これは壮大なドッキリではないかと疑ってしまう自分がおります。
 さて、この本が生まれる直接のきっかけが「奇跡的な偶然」であったとすれば、その本質は、単なる研究者と研究対象という乾いた関係性を超えた、もっと熱く、個人的な「出会い」にこそあると信じております。私は、この本で、客観性を装う学者の仮面を一旦脱ぎ捨て、一人の「熱狂的なファン」として、そして一人の「勝手弟子」として、内田樹という類稀なる思想家を論じるという、少々無謀な試みに挑戦いたしました。
 私にとって、内田樹の著作を読むという行為は、白衣を着た研究者がメスで対象を切り刻むような、冷徹な分析作業では断じてありません。それはむしろ、敬愛するアーティストのライブに全通し、歌詞カードが擦り切れるまで音源を聴き込み、その魂の叫びを全身で浴びようとするファンの営みに酷似しています。あるいは、高校時代、カバンからおもむろにレコード盤を取り出し、「これ、聴いてみろよ。マジでヤバいから」と、独特の口調で至高の音楽を「そっと布教」してくれた友人の姿とも重なります(もはやアナログレコードをご存じない世代の方もいらっしゃるかもしれませんが、どうか「そんな時代」の甘酸っぱい風景を想像してみてください)。ファンの本懐とは、決して押し付けることなく、しかし情熱的に、他者を「その気にさせる」こと。強引すぎるお勧めは、かえって相手から「自分で見つけた」という貴重な喜びを奪いかねませんから。書店の棚で偶然目が合った一冊が、人生を変える「運命の書」となるように。この本が、読者の皆様にとっての内田樹先生との「宿命的な出会い」を演出する、ささやかなきっかけとなることを願ってやみません。
 そしてもう一つ、私は内田樹先生を「師」と仰ぎ、その思想を「弟子」の立場で探求しております。これは師の言葉をただ鵜呑みにするという意味ではございません。師との「対話的な運動」を通じて、誰も語らなかった、そして自分以外には語り得ないであろう「自分だけの言葉」を紡ぎ出すこと。これこそが、内田先生から学んだ弟子としての真髄でございます。知の探求とは、対象と安全な距離を保つことだけを意味しません。時には、研究者が対象に深く「感染」し、研究を終える頃にはすっかり別人になってしまうことだってあるのです。読書とは、他者の思考に触れることで自らを変容させていく、スリリングな冒険にほかなりません。
 誤解を恐れずに申し上げれば、学術の世界において、「ファン」や「弟子」といった主観的な立ち位置は、眉をひそめられがちです。「偏愛に満ちた作家論」など卒業論文で書いた日には、指導教官から「君、これは論文じゃなくてラブレターだぞ」と、愛ある叱責を受けるのが関の山でしょう。しかし、私はあえて断言したい。こうしたアプローチもまた、十分に批評的であり、学術的に豊穣な果実をもたらし得ると。なぜなら、学術とは、単一の様式や声によって支配される閉じた世界ではなく、壮大なオーケストラのようなものだと考えるからです。
 ある者は壮麗な交響曲を作曲し、ある者はそれを華麗に指揮する。またある者は、第一ヴァイオリンとして輝かしいソロを奏でる。では、私の役割は何か? おそらく、ここぞという場面で「チーン!」と鳴り響くトライアングルの奏者でしょう。一見、些細で、なくても困らないように思えるかもしれない。しかし、その澄んだ一音が加わることで、楽曲全体の響きがより豊かになり、聴く者の心に忘れがたい余韻を残すことがある。私が本書で試みた「私見」、すなわち「これを言うのは、世界広しといえども、たぶん自分だけだろうな」ということの数々は、まさにこのトライアングルの音色のようなもの。資料の海を泳いでいるうちに、「待てよ? このAという事象と、あのZという事象が、実は水面下で繋がっているのでは?」とひらめく瞬間。それこそが、私にしか奏でられない音であり、読者の皆様がご自身の「楽器」を見つけるための、ささやかなヒントとなることを願っています。
 そして、二〇二五年という今、ここ韓国で内田樹の思想を紹介することには、特別な意味があると信じております。彼の著作は、いわば「不可視のインクで書かれた古文書」。それ自体は、完成された答えを与えてはくれません。しかし、二〇二五年を生きる私たちが抱える困難や希望、その切実な思いという名の「光」を当てる時、古文書の文字は初めてその姿を現し、私たちに雄弁に語りかけ始めるのです。
 内田樹を読むとは、完成された地図を頼りに宝を探す旅ではありません。それは、彼の「他者性」と、私たち自身の「唯一無二性」とが火花を散らし、共鳴し合う、「奇跡的なダンス」のフロアに身を投じること。このダイナミックなダンスを通じて、私たちは内田樹という思想家を、私たち自身の時代と場所における「生きた師」として踊りながら再創造し、同時に、彼という触媒を通して、昨日までの自分とは違う「新しい自分」へと生まれ変わっていくのです。
 おそらく、「本当の内田樹」や「唯一絶対の正しい読み方」などというものは存在しません。むしろ、それを探し求める態度は、彼の思想が持つ、絶えず生成し続ける生命力そのものを窒息させてしまうでしょう。彼からの最大の贈り物は、完成された理論体系ではなく、世界と人間を問い直し、予測不能な「急場」を生き延びるための、しなやかで強力な「思考の道具箱」そのものなのです。
 この最高の道具箱を手に、私たち自身の問いを深く生き抜くこと。師との対話の中で、自己変容を恐れず、新たな自分を生成し続けること。それこそが、師の知性を真に受け継ぐということだと、私は確信しております。
 この本が、読者の皆様にとって、内田樹の思想との「宿命的な出会い」のきっかけとなるならば。そして、その出会いが、皆様自身の「楽器」を手に取り、新たな自分へと変容していく冒険の始まりを告げるファンファーレとなるならば、著者としてこれ以上の喜びはありません。
(8月25日)