『コモンの再生』の韓国語訳が出て、訳者の朴東燮先生が「あとがき」を書いてくれた。朴先生、いつもありがとうございます。
内田樹師匠の重要な著作『コモンの再生』の韓国語訳を終え、今、深い感慨とともに訳者あとがきとしてキーボードに向かっている。翻訳という作業は、単に言葉を置き換えることではない。それは、著者の思考の息遣いに耳を澄ませ、その思想が生まれた土壌の匂いを嗅ぎ、その言葉が未来の誰に宛てて書かれたものなのかを、自身の身体を通して感じ取る旅である。この旅を通じて、私は本書が持つ現代社会への射程の長さと、その根底に流れる切実な願いを、改めて痛感することになった。
本書の核心的な主題は、そのタイトルが示す通り「コモン(=公共的なるもの)」のあり方を問い直し、それが失われつつある現代において、いかにしてそれを「再生」するのか、という点にある。読み進める中で、私の脳裏を離れなかったのは、「では、その再生の営みは、一体どこから始まるのか?」という問いであった。制度か、教育か、政治運動か。そのいずれもが重要であることは論を俟たない。しかし、この問いを突き詰めていくと、もっと根源的な、一人の人間の「構え」のようなものに行き着くのではないか。その思いは、私自身のささやかな研究者としての歩みと、分かちがたく結びついている。
このあとがきでは、本書の翻訳者として、また韓国の海辺の街イルグァン(日光)のアパートからほとんど出ることのない一人の「街場の心理学者」として、私が日々感じていることをお話ししたい。それは、本書のテーマである「公共性の回復」と「新しい公共性の創造」が、実は最も孤立した、個人的な場所から始まるという逆説についての物語である。
地図を作る建築家と、失われた公共性
今日の知の世界、特に大学や研究機関といった制度化されたアカデミズムは、ある種の深刻な危機に瀕しているように私には見える。それは、本来であれば「コモン」、つまり誰もがアクセス可能な公共財であったはずの知が、一部の人間のキャリアを形成するための「私有財」へと変貌してしまったという危機である。この状況を、私は「地図を作る建築家」というメタファーで捉えている。
主流の研究者たちの多くは、いわば「地図の製作者」であり、同時に「建築家」としての役割を期待される。彼らにとって、研究対象である人間の心や社会とは、自分の外側、「向こう」に広がる客観的な領域である。その使命は、統計という名の測量器具を駆使してその領域を正確に測定し、誰が見ても理解できる精密な地図を描き出すことだ。そして、その地図に基づいて、先行研究という名の都市計画の中に、新しいビルを一つ建設することである。
彼らが書く論文は、厳格な査読という名の建築基準法をクリアし、学会という名の市議会の承認を得なければならない。そのビルは、頑丈で、機能的で、都市の景観を損なわないものであることが求められる。これは、学問の体系性を維持し、知を着実に積み上げていく上で、不可欠な営みであるかのように見える。私たちは、彼ら建築家が建てた無数の堅牢なビルの上で、安心して暮らし、思考することができる、と。
しかし、このシステムの内部で、何が起きているだろうか。研究は「いまだ存在せざるものを創造する」営みではなく、「すでに存在する評価基準をクリアする」ためのゲームと化す。知の公共性は徐々に失われ、研究者たちは孤高の思想家であるよりも、流行の理論や手法を器用に使いこなす官僚であることを求められる。その結果、生み出される「知」は、私たちの生きた日常から乖離し、専門家同士でしか通用しない閉鎖的な言語(ジャーゴン)で塗り固められていく。
これはまさに、内田先生が本書で警鐘を鳴らす「コモンの喪失」の一つの風景ではないだろうか。知の公共性が失われ、学問は真理を探究する場から、論文という名の業績を積み上げるための工場へと姿を変える。その中で、個々の研究者は巨大なシステムの歯車となり、自身の言葉で語る切実さを失っていく。知は、私たちの生活を豊かに耕すための共有地(コモンズ)であることをやめ、教授自身の腹を肥やすための私有地となる。この荒廃した風景こそが、私たちが「公共性の回復」を語り始めなければならない出発点なのだ。
庭師の孤立と、公共性の回復
では、公共性の回復はどこから始まるのか。私は、その第一歩は、制度化された広場からではなく、一人の人間が自身の生と向き合う、孤立した庭から始まると考えている。私は、自らを「地図を作る建築家」ではなく、「庭を耕す人」として位置づけている。
私の研究フィールドは、「向こう」にある未知の大陸ではない。「ここ」、つまり私自身が生きるこの日常、この身体、このアパートの一室という、ささやかな庭なのだ。私の仕事は、この庭をくまなく歩き、土の匂いを嗅ぎ、風の音に耳を澄ませ、昨日まで気づかなかった小さな若葉の芽生えに驚くことだ。私は研究対象の「外」にはいない。私自身が、この庭を構成する一本の木であり、土に潜む微生物なのだ。
例えば「教室で発言できない子ども」というテーマに出会ったとき、庭師である私は、まず自分の内なる庭に深く分け入っていく。統計データを集める前に、私自身の身体が記憶している「発言できなかった瞬間」の感触を、土の中から掘り起こそうと試みる。喉の奥が詰まるような圧迫感。心臓の不規則な鼓動。頭の中で渦巻く無数の声。この、誰にも見せることのない、しかし確かに存在する身体的な実感こそが、私の研究における最初の、そして最も信頼できる「データ」となる。
この生々しい手触りのある経験から出発して、私は初めて、目の前の子どもの沈黙の「内側」で何が起きているのかを、想像することができる。私が見つけようとしているのは、普遍的な法則ではない。その子の沈黙が持つ、唯一無二の質感、色合い、そして響きだ。それは、地図に書き込めるような単純な情報ではない。むしろ、一篇の詩を詠むように、その子の経験の豊かさを記述すること。庭師の仕事とは、植物を分類して標本にすることではなく、その一本一本が、この庭でどのように根を張り、光を求め、震えているのかを、愛情を込めて物語ることなのだ。
本書の核心的な主題である「公共性の回復」とは、まさにこの孤立した庭師の仕事から始まるのではないか。失われた公共性を嘆き、制度の改革を声高に叫ぶ前に、まずなすべきこと。それは、私たち一人ひとりが、自分自身の経験という庭を、深く、誠実に耕すこと。抽象的な正論や借り物の言葉ではなく、自身の身体感覚に根ざした、切実な言葉を見つけ出すこと。この孤独な作業こそが、痩せ細ってしまった知の土壌に、再び生命力を取り戻すための、唯一の道であると私は信じている。
最初の踏み跡と、新しい公共性の創造
しかし、ただ庭を耕しているだけでは、それは個人的な思索、いわば「私念」に留まる。それが、いかにして「公共性」を獲得するのか。ここに、本書のもう一つの重要なテーマ、「新しい公共性の創造」へと至る道筋が隠されている。
私は、自分の仕事を「まだ誰も歩いたことのない森に最初の踏み跡をつける人」の仕事だと考えている。私の書く文章は、完成された建築物ではない。それは、後から来るかもしれない「いまだ存在しない研究者」のために、私が残すささやかな道しるべ(里程標)なのだ。
「ここにかつて、私という人間が立っていた。そして、この鬱蒼とした森の向こうに、何か心惹かれるものを感じた。この方向に進むのが正しいかどうかは分からない。しかし、もし君もまた、この森の静けさと、奥から聞こえる微かな音に心を動かされたのなら、私が残したこの不確かな踏み跡を頼りに、一歩を踏み出してみてはどうだろうか」
この、不確かで、個人的で、孤立した呼びかけ。これこそが、私的な経験が「公共性」を獲得する、最初の奇跡的な瞬間なのである。ここで、本書の議論とも深く響き合う、師・内田樹師匠の「思想家とイデオローグの違い」についての言葉を引こう。思想を語るものは、「このようなことを語るのはさしあたり私だけであり、私が語るのを止めたら、それは私とともに消える」と考える。逆説的だが、思想の公共性を支えているのは、この「孤立していることの自覚」なのだ、と。
庭師であり、最初の踏み跡をつける者である私の思考は、この「孤立の自覚」から始まる。私がこのアパートの一室で感じ、考えることは、私が語るのを止めれば、誰にも知られることなく消えてしまうかもしれない。だからこそ、一語一語を研ぎ澄まし、必死で言葉を紡ぐのだ。その切実さこそが、やがて誰かの心に届き、私の考えが「私念」であることをやめて「公共性」を獲得する、唯一の道だと信じるからだ。
一方で、イデオローグは「私と同じことを考えている人間は無数におり、私が語るのを止めても誰かが代わって語るだろう」と考える。この「圧倒的多数であるはずだという無根拠な信憑」は、制度化された学問の世界に忍び寄る影でもある。彼らは、自分の言葉の「切実さ」ではなく、所属する集団の「正しさ」に依拠する。
ここに、「新しい公共性の創造」の秘密がある。それは、巨大な組織や制度がトップダウンで設計するものではない。それは、孤立した庭師が、自らの孤独を賭けて、森の中に一本の踏み跡を残すことから始まる。そして、その踏み跡を、別の場所で孤独に庭を耕していた誰かが見つけ、「ここにも仲間がいたのか」と、自らの足で次の一歩を踏み出す。その声なき共振、孤立した声と声が響き合う場所に、制度とは無縁の、新しい公共性が創造されるのだ。
研究の本質は、「すでに存在するものに基づいて査定されること」ではない。「いまだ存在せざるものを創造すること」だ。このマインドセットさえあれば、何をどう書くべきかはおのずと見えてくる。自分がなぜこのテーマにこれほど心を奪われるのか、その必然性を、専門家ではない誰かに語りかけるように、自分の言葉で、自分の庭の物語から始めること。それ以外に、道はない。
むすびにかえて―「新しい普通」をめざして
本書『コモンの再生』を韓国の読者に届けるという私の仕事もまた、ささやかながら、この踏み跡を残す試みの一つであったのかもしれない。内田先生が日本の土壌で耕し、紡ぎ出した言葉を、韓国という別の庭に植え替える。その言葉が、この地でどのような根を張り、どのような若葉をつけるのかは、私にも分からない。しかし、本書が、韓国の読者一人ひとりの内なる庭に、小さな波紋を広げることを、心から願っている。
制度からドロップアウトしたのではなく、知の本来のあり方を取り戻すために、自ら孤立を選び取る人々が、今、静かに、しかし確実に現れ始めている。僕のような「街場の心理学者」「町の社会学者:実際にこう名乗っている友人がいる」「独立研究者」。彼らの存在が当たり前になること。それが、私が夢見る「新しい普通」である。研究とは、立派な肩書や潤沢な予算が保証するものではなく、ただひたすらに自分の庭を耕し続けるという、切実なマインドセットのことなのだと、多くの人が気づく世界。論文の数ではなく、その言葉がどれだけ深く、未来の誰かの知的興奮をかきたてたかによって、その価値が測られる世界。
そのとき、学問は再び、制度の壁を越えて、私たちの生きた日常と接続されるだろう。そして、アパートの一室から発せられた孤立した声が、やがて社会のコモンを豊かに耕していく。そのささやかだが、確かな希望を、本書は私たちに示してくれている。その希望を信じて、私は今日も、この安楽椅子から世界を思考し続けるのである。
2025年 8月 17日:日光(イルグァン)の海辺のアパートにて
訳者 朴東燮
(2025-08-18 09:33)