額縁とコミュニケーション

2025-08-12 mardi

 養老孟司先生と久しぶりにお会いして懇談した。先生は今年米寿を迎えられたが、今もお元気に虫取りに出かけている。お話も相変わらず面白かった。中でも「額縁」の話が面白かったので、それをお伝えしたい。
 最近は「額縁」がなくなったというところから話が始まった。「額縁」というのは、「この中で語られていることは事実ではなく、物語です」というメタ・メッセージのことである。
 メタ・メッセージというのは「メッセージの解読の仕方を指示するメッセージ」のことである。「これは引用です」とか「これはジョークです」とか「話半分に聴いてくださいね」とかいうのがそれである。言葉だけでなく、表情や声色で示される時もあるし、文脈でわかることもある。
 ヨーロッパの町では最も壮麗な建造物は教会と劇場だけれど、それは「この中で口にされることは真実ではなく物語である」ということを示す「額縁」だからだというのが養老先生の説であった。
 確かに、何が「額縁」で何が「絵」かを識別できないと、私たちは「絵(物語)」と「壁(現実)」を区別できない。混同するとたいへんなことになる。劇場の舞台で起きていることを「事実」だと思って「今、殺人がありました」と110番するのも困るし、世の中の出来事を全部「それって、あなた個人の感想でしょ」でせせら笑って済ませられても困る。
 でも、最近は出来事を全部単純な物語に回収する「陰謀論者」と「客観的事実など存在しない」と言い放つ知的虚無主義者が増えてきた。
「額縁」の本当の意義はそれが「疑う余地なく真実だ」ということにある。「メッセージの読解の仕方を指示するメッセージ」において人は嘘をつくことが許されない。理由は少し考えればわかるはずである。額縁は決して嘘をつかない。だから、「額縁のない社会」ではコミュニケーションそのものが不可能になる。今の日本社会はそうなりつつある。養老先生とそんな話をした。
(信濃毎日新聞7月4日)