敗戦から80年経った。戦争の生々しい記憶が年ごとに摩滅し、より観念的なものに置き換えられている。「観念的」と言うよりむしろ「妄想的」と言うべきかも知れない。
私は1950年生まれなので、子どもの頃は大人たちが時折戦時中について語るのを聴くことがあった。それはまだ「物語」として編成される以前の、もっと生々しく、筋目の通らない話だったように思う。
その中でも子ども心に一番深く残ったのは父親がわが家に招いた同僚たちと酌み交わしながらふと洩らした「敗けてよかったじゃないか」という一言だった。その言葉が私の記憶に残ったのは、その場にいた男たちが盃を含みながらしんと黙り込んだからだ。子どもには「敗けてよかった」という理路がわからなかった。
私の家は貧しかった。子どもが欲しがるものを母親が買い与えてくれなかった。「どうして買ってくれないの」と私がごねると母は「うちは貧乏だから」と答えた。「どうしてうちは貧乏なの」とさらに問うと母は「戦争に敗けたから」と答えた。同じ問答が何度も繰り返された。だから、子どもの私は「戦争に敗けることはよくないことだ」と思っていた。でも、父たちは違う判断を語った。
「敗けてよかった」ということは「もし戦争に勝っていたら、日本は今よりもっとひどい国になっていただろう」という意味である。それ以外の意味はない。
父は長く中国大陸にいて政府の仕事をして、戦況がよかった時期の日本人が、朝鮮人・中国人に対してどんなふるまいをしていたのかよく知っていた。それを知った上で、「こんなこと」を続けていたら日本人はいずれ「罰」を受けるだろうとおそらく内心では思っていた。そして、やはり罰が当たった。
だから父たち戦中派の人たちは、祖国は滅亡に瀕したけれども、それによって「天道」の筋目が通ったのだとすれば、その歴史の審判に従うべきだと考えたのだと思う。
「敗けてよかった」というのは、戦争中の日本の実相を知っていた人たちにとってはごく自然な感懐だった。少なくとも1950年代まではそうだった。
でも、私たちはもうそのような言葉を語ることができない。「戦争に勝っていたら」という想定そのものが私たちにはできないからだ。「勝ち誇った日本」というものがどんなものだったのか、私たちには書物的な、限定的な知識しかないからだ。
このような戦中派の生々しい言葉を伝えることのできるのは私たちの世代が最後であるけれども、その世代の人たちも次々と鬼籍に入っている。それゆえ備忘のために記しておくのである。
(8月15日)
(2025-08-15 08:16)