悪に惹かれる

2025-08-09 samedi

 先の参議院選挙結果についていくつかの媒体から取材された。それほど人と違うことを言えるわけではない。ただ、排外主義的で好戦的な公約を掲げた政党が急伸したことについては、それが全世界的な傾向であって、日本固有の出来事ではないということを申し上げた。
「よその国も日本と同じように政治が劣化している」と言われて「うれしい」という人はいないだろうが、それでも、この選挙結果が世界史的な地殻変動の一つの露頭であるという解釈は検証する甲斐があると思う。
 政治にはいくつかの「層」がある。政治部記者が報道するのは、その表層である。たしかに事実を伝えてはいるのだが、それが「何を意味するのか」については説明してくれない。「何を意味するのか」について書くためには極端な話「遠い遠い昔に、遠い遠い国で」というところから話を始めなければならない。そんな字数は紙面が許してくれない。
 今起きている出来事は表層での事実報道だけを見ても意味がわからない。単に「道義性、知性において深刻な問題を抱えた人たちが大挙して議員に選ばれた」ということだけである。でも、それについて「日本の有権者は馬鹿だ」と肩をすくめて話を終えるとしたら、それは早計である。アメリカでも日本と似たことが起きているからだ。極右の排外主義的政党が急伸ということなら、ドイツもフランスもイタリアもそうだ。非民主的で強権的な独裁者が支持されているということなら、中国もロシアもインドもトルコもそうだ。それについて「世界中の有権者は馬鹿だ」とせせら笑っても現実についての理解は進まないし、改善の見通しも立たない。もう少し層を深く掘り下げなければならない。
 今世界で起きているのは、既存のシステムが機能不全に陥った時に、人間は「動物的な生命力」に強く惹かれるという現象の何度目かの回帰であるというのが私の診立てである。今、各国民が選好しているのは「動物的な生気がみなぎった強そうなリーダー」である。「無機的で抑圧的なシステム」対「動物的な生命力」という二項対立で出来事を解釈しようとすれば、必ずそうなる。
 知性や倫理性や人権思想や「政治的正しさ」は「動物的な生命力」を減殺させる抑圧的システムの「加担者」とみなされる。そして、このシステムに対抗するために人々はしばしば「悪」を選ぶ。
 勘違いして欲しくないが、これは「荒々しく、強い」という古義における「悪」である。「悪源太義平」や「悪七兵衛景清」という呼称にこめられた「悪」である。規範を意に介さず、人々が大切にしているものを嘲笑し、恐れを知らぬ攻撃性によって「システム」を破壊する改革者に人々は喝采を送る。
 言うまでもなく、これは危険な現象である。私は武道の師から「ものを壊すには、同じものを創るために要する力の百分の一しか要さない」と教わった。だから、自分を大きく見せようとする人間は必ず「悪」の衣装を身にまとう。自分の力を百倍誇大に表示できるからだ。だから、承認欲求が満たされない人たちは必ず「破壊者」として登場し、「創造者」として登場することは絶対にない。これは「絶対に」と断言できる。
 人々が「悪」に惹かれる気持ちを私は理解できる。だが、「悪」の古義が歴史の中でどう遷移したのかは知っておいた方がいい。(中日新聞 8月5日)