少し前に小学校で講演をする機会があった。平川克美君と私が卒業した大田区の小学校から招かれて、6年生を前に「63年前にこの小学校を卒業したお爺さん二人」が小1時間話をする。
平川君も私も小学生相手の講演は初めてである。何を話そうか相談したけれど、いつもと同じ調子でやろうということになった。相手の学齢に従って話題を替えたり、話し方を替えたりするのはよろしくない、講演は相手にかかわらずすべて一律であるべきだというような無法なことを言っているわけではない。二人とも「人間が雑」なので、細かい切り替えが面倒なだけである。
私はこんな話をした。
君たちは12歳になった。小さい頃は「大人たちの言うことを聞きなさい」と教わったと思う。それは正しい。「世の中の大人たちの言うことを信じなさい」という教えから子どもたちの社会化は始まる。この世の中の仕組みは「善きもの」であるという前提から社会化は始まる。
でも、12歳になったら次の段階に進まなければならない。それは「世の中には絶対に信用していない大人がいる」と知ることである。世の中には信用してよい「善人」と信用してはならない「悪人」がいる。それを区別する力を身につけること。それが社会化の第二段階である。
そう言ったら子どもたちが目を丸くして私をみつめていた。今からその区別の仕方を教える。時間がないので、一番たいせつな一つだけ教える。それは「声から倍音が出ているかどうか」だ。
倍音なんて言っても君たちは何のことかわからないだろうけれど、そういう言葉がこの世には存在することをまず覚えて欲しい。倍音というのは合唱や合奏のときに天から降るように聴こえてくる「誰も出していない音」のことである。古代では「天使の声」と呼ばれた。波形の整った整数次倍音の他に波形の乱れた、揺れる「非整数次倍音」というものがある。
一人の人間が出す声でも倍音が聞こえることがある。それは声帯や舌以外の身体部位、頭骨や鼻骨や腹腔や臓器が振動しているせいで発生する。「何を話しているのか理解できないけれど、胸に浸み込む言葉」というものがある。それは非整数次倍音が出ているからである。非整数次倍音は語る人の側に深い感情の動きがあるとき、口から出る言葉に他の身体部位からの振動が遅速の差をともなって重なる時に発生する(たぶんそうだと思う)。
本当に「心の底から」語ってる言葉には骨や筋肉や臓器が「賛意」を表するのである。話を聴いていて、非整数次倍音が聞こえたら、その言葉には嘘はない。よほど練達の詐欺師以外は、舌先から出る嘘に他の身体部位を共振させるというような技は使えない。
これから君たちはいろいろな大人たちから「あれをしろ、あれをするな」という命令や指示を受ける。その内容の真偽を判定できるだけの力が君たちにはまだない。でも、倍音が聴こえるかどうかは耳を澄ませばわかる。「心耳を澄ませて無声の声を聴く」という言葉がある。「無声の声」とはおそらく倍音のことだ。
難しい注文だということはわかっている。でも、君たちが深い傷を負わずに成人するためには、大人の声を聴いて、その言葉に従うべきかどうかを判断できる力が必要だ。そう話した。
しばらくして子どもたちからの心のこもった「感想」が届いた。私の言葉は彼らの「心耳」に届いたらしい。
(週刊金曜日 5月21日)
(2025-06-05 10:23)