憲法の主体

2025-06-05 jeudi

 高校生にオンラインで憲法についての授業をすることになった。せっかくの機会だから、できるだけ高校生がこれまで聴いたことのない話をしようと思った。
 論点は一つだけ。日本国憲法の特殊性についてである。
 日本国憲法の最大の問題点は、憲法の制定過程でどのような議論があった末にこのような条文が採択されたのかについての国民的合意が存在しないことである。改憲派はGHQの法務官僚がわずかな日数のうちに書き上げて日本に「押し付けた」憲法であるという解釈をする。護憲派は憲法前文の「日本国民は・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する」という文言を根拠に、憲法を起案し制定したのは「日本国民」だという立場を採る。これでは国民的合意の成り立ちようがない。
 アメリカ合衆国憲法の制定には独立宣言から11年の歳月を要したが、それは合衆国がどのような国であるべきかについて「建国の父」たちの間で容易に合意が成り立たず、激しい論争があったからである。そして、どの条項がどのような議論の末に今あるような文言に至ったのか、その経緯はアレクサンダー・ハミルトンたちの『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』に詳細に記してある。これはとてもうらやましいことだと私は思う。でも、日本国憲法についてはそのような記録がない。どういう経緯でこの文言になったのか、それが不分明なのである。
 例えば、ほとんどの日本人は憲法に「上諭」というものが「額縁」として付いていたことを知らない。そこには「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」と記してある。二つの憲法の法的連続性を保つためには天皇から国民への「主権者の移動」が帝国憲法の手続きに従って行われたという擬制が必要だったのである。でも、「上諭」を読んで「なるほど、これが憲法制定過程の真実なのか」と得心する人はたぶんいない。私たちにわかるのは、この憲法をめぐる帝国の政治家たちとGHQの間での生々しいやりとりが国民的には歴史認識として共有されていなということだけである。
 護憲派の弱さは「日本国民」なるものは憲法公布以前には存在しなかったという点にある。その時点で存在したのは「大日本帝国臣民」であり、彼らは主権者ではないし、むろん憲法を起案する権利も見識も持ってはいない。憲法によってはじめて出現した「日本国民」が憲法を制定したというのは「自分の髪の毛をつかんで宙に浮く」くらい背理的なことである。
 でも、宣言と言うのは多かれ少なかれ「そういうもの」だから青筋を立てて怒ることのほどはないと私は思う。共産党宣言も、人権宣言も、独立宣言も、シュールレアリスム宣言も、どれも「髪の毛をつかんで宙に浮く」ような曲芸の産物である。
 日本国憲法はすばらしい憲法である。たしかに「日本国民」が起草したものではない。それでも、よいものはよい。だから、私たちに課せられた仕事は「自分にとって理想の憲法を書いてごらん」と言われて、白い紙と鉛筆を渡された時に、今の憲法のようなものを自分の頭で考えて書き始めることができるような日本人をこれから育て上げることなのである。そんな話をした。
(中日新聞 5月24日)