若い研究者とテクノロジーの未来について対談する機会があった。
お相手してくださったのは法政大学准教授の李舜志さん。少数のプラットフォーマーが市場と思考を支配するディストピア「テクノ封建制」からどうやって離脱して、民主制とコモンを再生させることができるか、そのテクニカルな方法について貴重な知見を伺うことができた。若い人と話すのと老狐の脳にも「キック」が入ってまことに刺激的である。
途中から「どうやってコミューンを立ち上げるか」という実践的な話題になった。これなら私にも組織人として長く生きてきた経験知の蓄積があるので思うところを述べた。
組織を作れば必ず「人より多く働く人」と「人より少なく働く人」が生まれる。これは避けられない。でもこの時に「フリーライダー捜し」をしてはいけない。「集団への貢献以上の分配に与っているのは誰だ?」という問いを立ててはいけない。というのは、フリーライダーを捜し出して、処罰し排除しても、集団のアウトカムは少しも向上しないからである。
「働きの悪いやつ」を炙り出すための査定に要する「組織マネジメントコスト」はいかなる価値あるものも生み出さない。純粋な消耗である。これは長く組織の管理職を務めてきた人間として自信を以て断言できる。そんな暇があったら「人より多く働く人(over-achiever)がさらに気分よく働いてもらえるように環境を整備する方がはるかに集団のパフォーマンスを向上させる。
でも、組織を効率的に管理するための技術知についてのさまざまな言説を渉猟してみたが、これまで「オーバーアチバー」という文字列を見た覚えがない。フリーライダーを炙り出し、叩き出す方法についてはさまざまな(底意地の悪い)アイディアが提案されているのに、オーバーアチーバーにさらに気分よく働いてもらうためにどうすればいいのかについて日本の経営者が知恵を絞った形跡がない。どうしてなのか。
たぶんオーバーアチーバーは「自分個人の業績の向上」ではなく「集団全体のパフォーマンスの向上」をめざすからだと思う。オーバーアチーバーは自分の業績を誇示するために同僚たちを押しのけてでも目立とうとする人間のことではない。いつもその人の周りでは笑いが絶えず、さまざまな創意工夫が次々提案されるような気分のよい場を創り出せる人間のことである。
でも、現在私たちが「評価」とか「査定」と呼んでいるものはすべて個人についての成績である。その人がいるせいで集団全体が「底上げ」されるような活動(それは実務に限定されない)についてはそもそも査定する項目さえ存在しない。
以前、福岡伸一先生から「アンサング・ヒーロー(歌われざる英雄 unsung hero)」という言葉を教えてもらったことがある。「歌われざる英雄」とは、その人のちょっとした気づかいのおかげで集団が壊滅的な被害を回避することができたのだが、その功績を誰も知らない(本人も知らない)ような人のことである。その人が通りがかりに堤防に空いた小さな穴から水が漏れているのを見て、足元の小石をそこに突っ込んでおいた。そのせいで次の台風のときにその堤防は決壊せずに済み、村は災害を免れたのだけれど、そのことを誰も知らない(小石を拾って穴を埋めた人は自分がそんなことをしたことさえ覚えていない)。
でも、そういう人こそが集団の存立を支えているのである。けれども、私たちの競争社会では、「歌われざる英雄」はまさに「歌われない」がゆえに存在しないものとして扱われる。それよりは自分の功績を大声で歌い上げるような人間が高いスコアを獲得する。
「オーバーアチーバー」も「アンサング・ヒーロー」も日本語に適切な訳語がない。だから、この二つのキーワードで組織を語る知的習慣が今の日本社会にはない。
李先生とテクノロジーの未来について対話していて、それが不安になった。この二つの概念を欠いたままテクノロジーと共同体の未来を語ることは果たして可能なのだろうか。
(山形新聞「直言」、5月1日)
(2025-05-16 17:00)