月刊日本インタビュー「権藤成卿論を書いて」

2025-05-13 mardi

―ー 内田さんは新著『日本型コミューン主義の擁護と顕彰 権藤成卿の人と思想』(弊社刊)で、戦前のアジア主義・農本主義の代表的思想家である権藤成卿の思想を再評価しています。

内田
 権藤成卿は「聖王と良民」が中間的権力装置を排除して直接結びつく「君民共治」「社稷自治」を理想とする政治思想を唱えました。政治思想としての完成度は決して高くありませんが、これが日本人が外来の思想に頼ることなく自力で生み出したオリジナルな政治思想であることは間違いありません。
 どのような国民集団も自分たちの存在理由、存在根拠についての固有の「物語」を持っています。現実の政策がその物語に合致していれば、それは強い現実変成力を持ち、物語に合わない政策は、表面的には合理的なものに見えても、現実を変えるだけの力を持たない。
 現在、日本はシリアスな、国難的危機に直面しています。これに対処するためには、区々たる政治的立場の違いや階級の違いを超えて、国民的規模でひとつにまとまる政治思想が必要です。そして、それは日本固有の、土着のものでなければならない。どこかから「出来合いの正解」を持ち込んできても使い物になりません。僕はそう思っています。
権藤成卿の政治思想はたしかに理説としての精度は高くはありませんし、現実の政策に展開するにはあまりも観念的です。でも、間違いなく日本の土から生まれた思想です。国難的危機に際会したときに、巨大な政治的エネルギーを呼び覚ますことができるのは権藤のような土着の思想だと僕は思います。

―― 内田さんは現在の危機をどう見ていますか。

内田 世界は間違いなくカオス化しています。でも、まったくランダムに秩序が崩れているわけではない。一つの方向性はあります。
 明かなのはアメリカが超覇権国家としてのグローバル・リーダーシップを失うということです。トランプ政権は「アメリカファースト」を掲げて国連を中心とする戦後の国際秩序から撤退しようとしています。
 アメリカの戦後80年のリーダーシップはかなり欺瞞的なものでしたけれども、「民主主義の宣布、人権の擁護、科学技術の進歩」という「建て前」だけはなんとか手離さずに来た。本音は「アメリカさえよければ、それでいい」であっても、建て前では「世界、人類のためにアメリカは汗をかいています」という「痩せ我慢」をしてきた。しかし、トランプはその「偽善」を笑い飛ばしました。世界中の国が自国益の最大化をめざして好きに行動している時に、どうしてアメリカだけが「世界のために」金を出し、血を流さなくてはいけないのか。どうしてアメリカは「ならずもの国家」になってはいけないのか。きれいごとの建前を放棄すれば、アメリカは間違いなく「世界最強のならずもの国家」になれる。グローバル・リーダーよりもその方がオレはいい。トランプが言っているのは要するにそういうことです。その粗暴な本音をアメリカの有権者の過半が支持した。
 ホッブズやロックやルソーの近代市民社会論が説いたのは、「万人の万人に対する戦い」の世界では、どれほど強い個体も安定的に自己利益を確保することができない。だから、ほんとうに人間が利己的にふるまうなら、あえて私権の一部を譲渡し、私財の一部を供託することで「公共」を立ち上げるはずである、という理路でした。国連やさまざまの国際機関はこのアイディアを国際社会に適用したものです。「万国の万国に対する戦い」を停止するには、「公共」を立ち上げねばならない。そう考えて国連や国連軍は創設された。でも、ご承知のように、このアイディアは市民社会のようには現実化しませんでした。
 第一次世界大戦後の国際連盟、第二次世界大戦後の国際連合、二つの国際協調主義が試されたましたけれど、いずれも機能不全に陥った。近代市民社会モデルを国際政治に適用することはどうも難しいようだということを人類は学んだ。そこで、20世紀以前の「帝国による世界秩序」に回帰することにした。「歴史の引き出し」をどれだけかき回してみても、国際社会がそれなりに秩序を保っていたスキームとしては、それしか見つからないからです。
 帝国が瓦解して、国民国家に分割されたのは、19世紀の間に起きたことですが、帝国解体の最大の理由は「帝国モデルでは国民国家に戦争では勝てない」ということをナポレオン戦争が証明したからです。帝国モデルでは「総力戦」が戦えない。政府と軍隊だけでなく、財界も学界もジャーナリズムも銃後の市民も全員を戦争に動員できるモデルは国民国家しかなかった。だから、ヨーロッパの人々は争って帝国を解体して、国民国家に仕立て直した。
 日本で明治維新が起きたのも、それぞれの藩の利益を最優先に考える276の政治単位が並立するという「帝国モデル」の幕藩体制のままでは、戦争に負けて、列強の植民地になるというリアルな危機感に迫られたからです。それは単立の藩である長州が英仏米蘭の四カ国軍と戦争して負け、薩摩が英国と戦争して負けたことで証明されました。
 確かに国民国家になった日本は戦争には強かった。列強による植民地化に抗うことはできた。けれども、国民国家モデルでは、国同士の戦いが起きた時にそれを調停し、仲裁し、理非を決する「上位審級」を創り出すことはできません。そのことが国連の機能不全でよくわかった。そこで人々は(無意識のうちに)国民国家モデルがうまくゆかないなら、国民国家以前のスキームに戻ればいい・・・・というふうに考え始めている。というの僕の推理です。
 これから世界は旧中華帝国、旧ロシア帝国、旧神聖ローマ帝国(EU)、旧ムガール帝国(インド)、旧オスマン帝国(中近東)、新アメリカ帝国という6つの帝国圏に再編されてゆくと僕は考えています。アメリカ帝国が没落途上である今、単独で世界を支配できるだけの力を持つ帝国は存在しません。ですから、帝国は互いの国内秩序には干渉せず、それぞれの勢力圏を決めて「棲み分け」をする。それで暫定的には「今よりまし」な世界秩序がもたらされる。たぶんそういう見通しを多くの人が持つようになっているのだと思います。
 帝国の勢力圏が確定するまでの過渡期には小規模の戦争や紛争は続くでしょう。ウクライナ戦争はEU帝国とロシア帝国の勢力圏確定をめぐる衝突ですし、台湾有事が起きるとしたら、それはアメリカ帝国と中華帝国の勢力圏確定をめぐる衝突として起きる。

―― 「帝国の再編」において、日本はどういう立場になりますか。 

内田 日本の選択肢はとりあえず「アメリカの属国であることを続ける」「中国の属国になる」「独立する」という三つです。日本の支配層は第一の選択肢しか頭にありません。「日米同盟基軸」以外の国家戦略を考えたことがないのだから、仕方がない。ですから当面は「トランプ皇帝」の恣意的な命令に従って防衛費を積み上げて米国製の兵器を爆買いし、在日米軍基地のための「おもいやり予算」を増額し、憲法9条を廃止して自衛隊を米軍の「二軍」として差し出す......というふうにひたすらアメリカのご機嫌を伺って、実質的に国を切り売りするという以外に自分たちの政権を維持する道筋を思いつかないと思います。
 しかし、今の自民党なら第二の選択肢も案外あっさり受け入れるかも知れません。日本は華夷秩序の中で「高度の自治を許された東夷の属領」でした。「親魏倭王」の官命を下賜された卑弥呼から「日本国王」を名乗った足利将軍、「日本大君」を名乗った徳川将軍まで1600年間、明治維新まで日本の為政者は形式的には久しく辺境自治区の「王」でした。日本が華夷秩序から離脱してまだ150年しか経っていないのです。そもそも「日本」という国名そのものが「中国から見て東」という意味なんです。それを嬉々として国名にしている。幕末には「日本」という国名を廃するところからしか国の独立は始まらないと主張した矯激な志士もいました。論理的にはその通りなのです。でも、それに同意して「日本というような屈辱的な国名を廃せ」という志士は後に続かなかった。それほど深く華夷秩序のコスモロジーは日本人に内面化しているということです。ですから、習近平が「天皇制と民主政には手を付けない」と約束してくれたら、日本人は割とあっさりと中華人民共和国の辺境として、中国に「朝貢」して生きるという道を選ぶかも知れない。
 最も望ましくそして最も難しいのは第三の選択肢です。
 かつてサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、日本は中華文明にも西欧文明にも属さない独自の文明圏であるとみなしました。ハンチントンが本を書いた1990年代には日本にはそれくらいの潜在的な国力があると思われていたのです。でも、現在の日本はアメリカの属国であることに慣れ切って、もう単立の帝国を打ち立てるだけの気概も実力もありません。
 それでも日本がどの帝国にも帰属せず、独立を全うしようと願うなら、固有の地政学的ポジションを生かすしかありません。アメリカ帝国の「西の辺境」、中華帝国の「東の辺境」というあいまいな位置を活かして、「帝国の隙間」をニッチとして生き延びるチャンスもあります。
 この点では韓国も同じです。日韓両国は地政学的には運命を共にしています。それゆえ独立をめざすなら「日韓同盟」が ベストの選択だと僕は思います。日韓を足すと人口1億8000万人、GDP6兆ドル(世界3位)という巨大な経済圏ができ上がります。軍事力でも今は韓国が世界5位、日本が8位ですから米中二大帝国の隙間に埋没することはありません。そして、米中と等距離外交を展開して中立地帯を形作る。帝国との同盟という「連衡」策ではなく、中規模国家同士の「合従」策を採るのです。
 それに「列強の支配に抗して日韓両国が手を結ぶ」という物語に日本人なら聞き覚えがあるはずです。かつて権藤成卿、内田良平、鈴木天眼、樽井藤吉、宮崎滔天らは朝鮮の全琫準や金玉均らと共に日韓同盟を策しました。結果的に日本のアジア主義者たちは「日韓同盟」の素志を失って、列強を真似て朝鮮を「併合」するという愚策に堕してしまった。でも、初発の動機には純粋なものがあった。
 ですから、再び「日韓同盟」の可能性をめざすには、明治20年まで立ち戻り、そこからやり直す。僕が『日本型コミューン主義の擁護と顕彰』を書いたのは、権藤成卿を手がかりに「日韓同盟」構想をその原点から吟味するためです。

―― 帝国の再編に伴い、日本国家も解体に向かう恐れがあるのではありませんか。

内田 日本も経済格差が拡大し、地縁・血縁共同体が崩壊して個人が原子化し、「公共」が痩せ細り、国家的統合を失いつつあります。国民的統合を再建するためには、もう一度公共を豊かなものにすること、「コモンの再生」が不可欠です。
 権藤成卿は「聖王と良民」が中間的権力装置を排除して直接結びつく「君民共治」「社稷自治」という日本型コミューン主義のうちに日本再生の道を求めました。僕はこのアイディアは基本的には正しいと思います。もちろん、一切の中間権力装置を廃した「君民共治」という政体は過去に一度も実現したことがないし、これからも実現することはないでしょう。でも、実現不能であっても、それを理想としてめざすことはできる。というか、実現不能の理想を持つことなしに、現実を変えてゆくことはできない。
 困難な理想を掲げる人を「非現実的だ」と嗤う人がいますけれども、何の理想も持たず、ただ現実を追認するだけの人間は決して現実を変えることはできません。「後手に回る」人間は必ず敗ける。当たり前のことです。
 政治において「先手を取る」というのは、実現困難であっても誰もが同意できる理想を掲げることです。それに向かう道を愚直に歩むことです。それなら道なかばで倒れても少しも悔いることはない。
 「日本型コミューン主義」というのは、サイズの異なる「社稷=コミューン」が列島に並立し、それを天皇が象徴的にゆるやかに統合するという統治モデルのことです。太古的な起源を持つ天皇制と近代的な立憲デモクラシーを両立させることです。これは困難な課題です。過去にこんな事例が存在しないからです。だから、どこかにできあいの「正解」があって、それを適用すれば成るというものではない。世界の誰も僕たちに代わって「こうすればいいよ」と教えてくれたりはしない。日本人が自分で考えるしかない。
 でも、「氷炭相容れざる」二つの統治原理を両立させるために葛藤することで政治単位として生きるというのは別に珍しいことではありません。アメリカがそうです。「自由」と「平等」は原理的に両立しない。でも、それを何とか折り合わせようとする努力を通じてアメリカはその国力を増大させてきました。今アメリカが没落しているのは「自由と平等は両立しない(だからどちらかを諦めよう)」という単純な統治原理に人々がすがり始めたせいです。
 人は葛藤を通じて成熟する。それは集団も同じです。葛藤するのは嫌だ、単一原理で統治したいと思ったら国は衰退する。ハミルトンやマディソンの『ザ・フェデラリスト・ペーパーズ』とピーター・ティールの『ゼロ・トゥ・ワン』を読み比べると、「自由と平等の葛藤」をまっすぐに受け止めた建国の父たちの政治的見識の深さと、現在アメリカを支配している単純な超自由主義(勝った者が総取りし、負けた者は路傍で野垂れ死にすることで社会は加速的に変化してゆく)の幼児性の対比に驚嘆するはずです。
 僕たちが権藤の社稷の思想を前に進めるためには、「コミューンを統合する機能は果たすけれども、決して中間権力化しない統治機構」を構想しなければなりません。この時に僕はハミルトンたちフェデラリストの政治思想は参照すべき足場になると思います。
 独立宣言の後、合衆国憲法が制定されるまで11年の歳月を要したのは、独立13州の州政府にもともと有していた政治的実力を委ねるか、それとも連邦政府に常備軍を含む巨大な権限を委託するか、それについて国民的合意が得られなかったからです。フェデラリスト(連邦派)は連邦政府に大きな権限を託すことを求めましたが、多くの国民は自分たちの身近にある州が政治的実力を維持し、連邦はあくまでその形式的な連合にとどまることを望みました。
 ハミルトンはその時に連邦派を代表して、仮にヴァージニア州に英軍が侵攻した時に、コネティカット州が「よその国(state)を守るためにわれわれが金を出し、血を流す義理はない」と言い出したらどうやって合衆国の独立は守れるのかと問いました。これは空想的な仮定ではなく、日本の幕末には実際に起きたことです。長州を四カ国の軍が攻めた時も、英国が薩摩を攻めた時も、他の藩は「対岸の火事」だと傍観した。いくつもの政治単位を統合する政府(連邦政府/明治政府)がなければ国は保てないのです。
 日本型コミューン主義でも、列島に広がるいくつものコミューンを統合する統治機構が必要です。いわば「インター・コミューン・ガバメント」(共同体をとりまとめる政府)です。「君」と「民」の間に、「決して権力化することのない官」という逆説的な政治機能を立ち上げなければならない。「君民共治」を実現するためにはそのような「官」がどうしても必要なのです。では、それはどのようなものであるべきか。
 これについてもハミルトンは深い洞察を語っています。州政府は同質性の高い州民たちによって構成されています。気質も宗教も生活文化も近い人たちが集まっている。州は共感と同質性に基づく血の通った共同体なのです。一方、連邦政府は観念的な工作物です。独立戦争という急場をしのぐために暫定的に作った仕組みです。ですから、もし、連邦政府と州政府の間で意見の対立があった場合に、ほとんどの州民は「ことの理非にかかわらず」、州政府の側に立って、銃を執って連邦政府と戦うはずです。
 だからこそ州に軍事力を与えてはいけないとハミルトンは説きます。「権力は人々が心を許せる者の掌中にあるより人々が猜疑の眼を以て見守る者の掌中にある方が無難だからである」(第二十五編)。もともとコミューンは世界中にありますが、日本型コミューンの特徴はどこにあるのですか。

 これは政治的に成熟した人にしか語れない知見だと思います。コミューンの上位にあって、それを統合する権限を委ねられた政府を人々はつねに「猜疑の眼を以て見守る」必要がある。つまり、統治機構は「共感と同質性」ではなく、「社会契約」という「観念的なつくりもの」の上に置かれなければならないということです。
 この理路はそのまま「君民共治」における「官」にも当てはめることができると思います。人民にとってコミューンは「心を許せるもの」です。でも、インター・コミューン・ガバメントは「猜疑の眼を以て見守る」べきシステムです。あるいは、コミューン=社稷は自然発生的な有機的共同体だが、インター・コミューン・ガバメントは社会契約に基づく擬制であると言い換えてもよい。
 権藤成卿は「私はただ綺麗なものがほしいのです」という言葉を残しています。彼にとって「君」と「民」は「綺麗なもの」でしたが、「官」は「汚いもの」でした。しかし、僕たちが「君民共治」の理想を目指すならば、中間権力機構という「汚いもの」について、その「汚さ」を最少化する有効な手立てを思量し続けなければなりません。この作業に終わりはないと僕は思います。

ーーコミューンは世界中にありますけれども、日本型コミューンはどのようなモデルなのでしょうか

内田 「家父長制」です。E・トッドは、「家族関係が政治的関係のモデルとして機能し、個人の権威に対する関係を規定する」「このメカニズムは自動的に働き、倫理以前のところで機能するのである」と述べています。家族=国家モデルのメカニズムは「倫理以前のところで機能する」ので、意識的にこれを書き換えることはできない。
 日本の場合は「直系家族」(長兄が家督を相続し、他の子どもたちは資源分配から排除される)で、そのメカニズムから家父長制が成立します。戦後日本において家父長制は「廃絶すべき陋習」と見なされてきました。でも、どれだけ家父長制を理論的に批判しても、国家モデルを書き換えることはできません。それに代わる国家モデルを日本人は一度も構想したことがないからです
 家父長制が諸悪の根源という理説を語る人がいますけれども、そもそも「この世界にはすべてをマニピュレイトする強大な〈父〉がいて、われわれの運命はその干渉によって左右される」という発想そのもののうちに家父長制的思考は深く浸み込んでいる。〈父〉に抗うのか、〈父〉に屈するのか、という二者択一で考えるという発想そのものが家父長制を再生産しているのです。真に「脱ー家父長制」的な思考があるとすれば、それは家族の誰ひとりとして他の家族に対して家族の「あるべきかたち」を指示したり、他の家族成員の生き方についてその適否を決定したりすることのない家族でしょうけれども、そのような家族がどのようなものか僕たちは解像度の高いイメージを持つことができません。そんなの当然であって、僕たちはそんな家族のことを文学でも映画でもマンガでもテレビドラマでも、一度も見たことがないからです。そのようなものがないことを欠如として感じたことさえない。僕たちが知っているのは世の中にはさまざまな家父長がいるけれども、どの家父長も「家族成員ひとりひとりについて、その〈欲望のありか〉を熟知しているということは絶対にない」ということだけです。でも、「自分は家族の〈欲望のありか〉を知らない」ということを知っている家父長と、そのことを知らない家父長の間の「程度の差」は歴然として存在する。
 自分の無知無力を自覚し、自分の主務を「家族の扶養と保護、その市民的成熟の支援」に限定し、それ以上深く家族の内面に踏み込まない節度を持つ家父長は「わりとましな家父長」です。逆に、自分を家族に対する権力者とみなし、家族を支配し、管理し、その能力を査定し、その生き方にうるさく干渉し、期待に沿わない家族には処罰を与えるのは「ろくでもない家父長」です。同じ家父長でも、この程度の差は家族にとってかなり決定的なものです。
 日本の集団はいずれにせよ家父長制モデルにならざるを得ない。そうである以上日本型コミューンもどこかで家父長制と折り合いをつけなければならない。
 それは家父長の第一の役割を「長兄」として独占的に相続した資源を原資にして、他の家族を庇護することであると定めることです。「長兄」は他の家族について扶養義務を負っている。長兄の仕事は家族を格付けして、資源を傾斜配分することではありません。仮に一族内にまったく生産性のない「フリーライダー」がいても、当然それについても等しく扶養義務を負う。メンバー全員を「みんなまとめて面倒みよう」というのが家父長のマインドセットです。
 それゆえ、家父長制の基本構造はそのまま「師弟関係」にも転写されます。師は弟子に自分が先人から受け継いだ知識や技術を「贈与」する。代価を求めないし、弟子についてその相対的な優劣を論じることもない。学ぶものすべてに等しくリソースを分け与える。
 家父長の本分はあくまでも「贈与」です。もし家父長の本旨を、弟妹に対して屈辱感を与える権利であったり、彼らの自由を制限する権利であったり、彼らから収奪する権利であると考える人がいたら、それは直系家族の家父長ではありません。別のもっと卑しい何かです。
 だから、家父長は強い必要はありません。小津安二郎の映画『小早川家の秋』には、放蕩三昧の父親が亡くなった後、家族で経営していた造り酒屋がたちまち立ちいかなくなり、残された家族が「頼りないお父ちゃんやと思ていたけど、やっぱりお父ちゃんが小早川家を支えてくれていたんや」とつぶやく場面があります。小津は家父長の一つの理想をそこに見ていたように思います。
 家父長は弱くてもいい。親切でさえあればいい。西郷隆盛は日本型コミューン主義者の原型ですけれど、西郷の本質は「弟妹」を守るために持てる自分の命を含めてすべてを惜しみなく捧げた点にあります。家父長は他のメンバーよりも多くの倫理的責任を負っている。頭山満や権藤成卿にとって自己造形のモデルは西郷でした。頼って来る者たちを差別することなく歓待する「親切な家父長」である役割を彼らは自らに課しましたが、それは西郷がそうしていたから、それを真似たのです。そのことの政治的な深い意味については、残念ながら彼らも十分に吟味した形跡はありません。
 自由と平等は相容れない。それを折り合わせるためにフランス革命の指導者たちは「友愛」という第三の統治原理を書き加えました。でも、友愛がどうして必要なのかについてのつきつめた考察を民主政下の人々はしてこなかったと思います。たぶん自由と平等は必須だけれども、友愛は「おまけ」みたいなものだと軽んじてきたのでしょう。でも、違います。友愛なしには自由と平等の葛藤は維持できないのです。
「君民共治」の日本型コミューンにおいても課題は同じです。権力装置としての家父長制は不可避的に権力化する。これは避けられない。その「毒」を希釈するためには「友愛」という政治的価値が絶対に必要です。「君民共治」の安定的なモデルというものは存立しせん。そこに「家父長の家族へ向ける無制限な友愛」という感情的な資源が絶えず備給されなければ日本型コミューンは存立できない。「親切な家父長制」という言葉に僕が託しているのはそういう意味です。

― E・トッドは、日本は直系家族モデルで国際関係を見ているため、戦前はアジアの「長兄」として振る舞い、戦後はアメリカの「弟」として振る舞っているのではないかと指摘しています。

内田 家族=国家モデルは無意識的にそれぞれの国民国家の対外政策にも影響を与えています。先ほど述べたように、戦前の日本とアジアの関係は「連帯」から「支配」へシームレスに移行してしまいました。これはシステムの問題というよりも友愛という感情資源の重要性をアジア主義者たちが十分に理解していなかったことの帰結だと僕は考えています。
 家父長システムそのものは放置しておけば、必ず家父長の権力化をもたらす。「節度のある家父長」であるよりも「ろくでもない家父長」であることの方がはるかに容易だからです。人は容易に流れる。その自然な傾斜を止めて、「まともな家父長」たらしめるためには、友愛や有責性といった家父長サイドの「義務の過剰」がどうしても必要なのです。でも、「家父長は親切な人である政治的義務がある」という命題は必ずしもきちんとアナウンスされてこなかった。西郷隆盛とか頭山満とか内田良平とか宮崎滔天とか権藤成卿とかいう個人の「独特の個性」というレベルでしか理解されてこなかった。でも、友愛と有責性という支えがなければ家父長制モデルはたちまち抑圧的な権力装置になり果てる。
 日中戦争のスローガンは「暴支膺懲」でしたが、これを当時の日本人は「聞き分けのない弟を兄が殴って善導する」という意味で理解していたと思います。たしかに明治20年代まで、日本人は主観的にはアジアに家父長的な親愛の情を持っていましたが、それが「家庭内暴力」に簡単に転化するリスクについて、ほとんど無自覚だった。友愛と有責性の義務についての突き詰めた考察の欠落が日本のアジア侵略を正当化してしまったのだと僕は思います。

―― 「八紘一宇」のスローガンも「君民共治」の理想を世界に拡大したものではないかと思います。これから日本がアジア、特に韓国と連携する場合には同じ失敗を繰り返してはなりません。

内田 注目すべきは韓国の家族=国家モデルも日本と同じ「直系家族」だということです。韓国映画『国際市場で会いましょう』は、朝鮮戦争で父親と生き別れる時、幼くして父から「私が死んだら、今日からお前が家長だ」と家族の運命を託された主人公が生涯をかけて家族を守ろうとする物語です。これもよく考えると『小早川家の秋』と同じく「弱い家父長」の物語なんです。年老いた主人公が自分より若い父親の写真を胸に抱きながら「アボジ、もう疲れたよ......」と語りかけるシーンには涙を禁じ得ませんが、そう感じるのはもしかすると日本人と韓国人だけなのかもしれません。欧米の観客はなぜ長兄が自分の人生を犠牲にしてまで弟妹のために尽くすのか、その動機が理解できずに「変な男だ」と思うかも知れません。
 アジアの中でも日本と韓国は同じ「直系家族」です。そうであるなら無意識レベルで家族=国家モデルを共有することができるかも知れない。そこから日韓両国が国家モデルについて「同じ夢」を見ることができるならば、日韓関係は確かなものになり得る。僕が提唱する「日韓同盟」構想は「直系家族」という文化的基盤に基づくものであります。
 ただし、課題もあります。「直系家族」は長兄が家督を相続するので、日韓関係では「どちらが兄なのか」という兄弟喧嘩に発展するリスクが潜在しています。実際、戦後の日本と韓国は「アメリカの長女」の座をめぐって競ってきたところがあります。そこをどう調整して、同等の朋友として同盟関係をむすぶか、そのためには日韓両国民に政治的成熟が必要だと思います。
 
― 日本が理想や国家目標を失って漂流している今、権藤成卿が夢見た理想は示唆に富んでいます。

内田 権藤成卿の思想にはいくつもの破綻がありますが、それにもかかわらず強い喚起力を持っています。それはこれが日本固有の土着思想に根ざし、日本の思想的土壌から生まれたものだからです。土着の思想は簡単には死にません。この本を読んだ若い読者の中から次世代の思想家が生まれ、新しい日本固有の政治思想が錬成されることを僕は願っています。(『月刊日本』4月14日、聞き手・杉原悠人)