インセル男性と嫉妬

2025-05-02 vendredi

 英国政府はこれから過激なミソジニー(女性嫌悪)をイスラム原理主義や極右運動と同じ「過激主義」の一形態とみなすと発表した。その記事の中に「インセル犯罪」という文字列があった。「インセル」というのはInvoluntary Celibate 。「不本意独身者」。心ならずもパートナーを得られない人のことである。
 過激なミソジニーの担い手はこのインセル男性である。米国では女性を無差別に攻撃し、殺害する事件が繰り返し起きている。彼らはフェミニズムが自分たちから進学や就業の機会を奪ったという「物語」によっておのれの不運を説明し、罰を与えるために女性を殺し、自分も死ぬ。救いがない。
 こういう話を聞くと、「男は弱い」とつくづく思う。私には娘が一人いる。未婚である。どうして結婚しないのかと前に訊いたら「男のエゴを撫でて過ごすほど私の人生は長くないから」という答えだった。「なるほど」と言う他なかった。
 たぶん男たちは誰かからの敬意と承認を絶えず受け続けていないと「もたない」存在なのだろう。だから、男たちは権力や財貨や威信を追い求め、敬意を強要し、人に屈辱感を与える機会を逃さない。
 時々見知らぬ人から激烈な罵倒メールが送られてくる。たぶん彼らは「自分がいるべき地位を内田が不当に占めている。そこから出て行け(俺に返せ)」と言いたいのだろう。
 この世界の罪の多くは十分な敬意と承認を得ることができなかった男たちの嫉妬心が生み出している。たぶんそうだと思う。だが、嫉妬ほど不毛な感情はない。そこからは「よきもの」が何一つ生まれない。しかし、相対的な優位を目指す競争を通じて初めて男たちはその潜在能力を発揮するという有害な物語は今も宣布され続けている。インセル犯罪は、勝者がすべてを取り、敗者には何も与えないのが「社会的フェアネス」だと教えてきたことの論理的帰結である。もうそういう考えを捨てる時期だと思う。
(信濃毎日新聞 4月4日)