政治学者の白井聡さんと久しぶりに対談した。彼も私も「大風呂敷を拡げる」のが好きでたまらないタイプなので、幕末の遊説家もかくやとばかり治国平天下を論じることになった。談論風発、まことに痛快だった。
白井さんのような言論人は少ない。政治学者たちはすでに起きたことを解説する時には雄弁だが、未来予測については抑制的である。まして集団的な幻想や物語の現実変成力についてはほとんど言及しない。だが、人間の脳内ではしばしば幻想が現実より現実的である。私は骨の髄まで実用本位の人間なので、つねに「現実的なもの」に焦点を合わせる。幻想が現実的なら幻想をじっくり吟味する。
今の米大統領がめざしているのは米国の「国益」を最大化することではなく、(彼がそれを「国威」だと信じている)「他国に屈辱感を与える権利」の最大化であると私は考えている。
米国人が今国民的規模で罹患している政治的幻想があるなら、それはミサイルや艦船の数やGDPの数値やAIテクノロジーの進歩と同じくらいに「現実的なもの」として扱わなければならないと私は思う。
白井さんとは、これから世界はいくつかの「帝国」に分割されるという未来予測で意見が一致した。近代の発明である「国民国家」を政治単位とする統治モデルでは国際社会の安定が保持できなくなったので、人々は「あの懐かしい帝国モデル」に回帰しようとしている。
サミュエル・ハンティントンは『文明の衝突』で、世界は9の文明圏に分割可能だという仮説を提示した。文明圏はそのまま中華帝国、ロシア帝国、ムガール帝国(インド)、オスマン帝国(トルコ)、神聖ローマ帝国(EU)と新興のアメリカ帝国に分割されるだろう。アフリカ、中南米、日本がそれぞれ単立の文明圏=帝国を形成するというハンティントンの1996年時点での予測はたぶん外れる。少なくとも日本にはそれだけの国力がもうない。
世界がいくつかの帝国に分割される流れの中で日本の生き延びる道はどこにあるのか。白井さんとはそれについても話したのだけれど、紙数が尽きたので、続きは次回。
これまでの国際政治は地球を「一つの村」に見立てていた。193の国連加盟国が「村人」、国連が「村議会」、国連軍が「村の警察」というモデルである。近代市民社会を世界規模に拡大したのである。人間の想像力には限界がある。自分が知っている身近な政治のサイズを拡大することでしか国際政治を構想できなかったのである。
1945年時点では「次の戦争」は核戦争になり、その時人類は破滅するという未来予測はリアルなものだった。国民国家同士がそれぞれの国益の最大化のために戦えばそれは「万国の万国に対する戦い」になる。力のある国は力のない国を支配し収奪し滅ぼすこともできる。「力の支配」をめざす国が核兵器を用いれば人類は滅亡する。その恐怖を今の若い人はもう想像することができないだろう。
私たちの子どもの頃、1950年代から60年代初めにかけて「世界終末時計」はずっと11時58分(世界の終わりまで残り2分)を指していた。原水爆実験を米ソ英仏が繰り返し、子どもたちは「放射能の雨」にさらされて学校に通っていた(雨に当たると毛が抜けるという都市伝説を子どもたちは半ば信じていた)。「世界はもうすぐ終わる」ことは言挙げされないまでも自明のことと思われた。
その時「法の支配」に基づいて世界に秩序をもたらす道筋としては「村議会」が「村人」同士のいさかいについて理非を明らかにし、非のある「村人」を「村の警察」が黙らせるというモデル以外のものを人々は思いつかなかった。日本国憲法九条二項はそのような「村」の一村人が「私は貧しいけれども道義的な生き方をめざす」と宣言したものだった。残念ながら国際政治は予想通りには推移しなかった。世界は80年後に再び「力の支配」を原理とする前近代に退行し始めたからである。
日本はこれからどうしたらよいのか。どこかの帝国の属国として宗主国に頤使され収奪される身分に甘んじるのか、それとも単立の「国民国家」として生き延びる道を探すのか。
今回もまた紙数が尽きたので、続きは次回。
世界が帝国に分割された時、日本はどう生きるかという話をしていた。今回はその結び。
選択肢はいくつかある。一つは米中いずれかの帝国の辺境の属国として宗主国に「朝貢」して生き延びる道である。
日本は戦後80年米国の属国として生きてきたから属国民マインドは日本の政治家たち外交官たちに深く内面化している。だから、米帝国の西の辺境として生きるのを止めて、中華帝国の東の辺境となる道を選ぶことに日本人はそれほどシリアスな心理的抵抗を感じないだろうと私は思う。「親魏倭王」に任ぜられた卑弥呼から「日本国王」足利将軍、「日本国大君」徳川将軍に至るまで、日本の支配者たちは中華皇帝から形式的には官位を冊封されていたのである。だから、もし「中華皇帝」が属国日本に天皇制と民主主義政体の継続を許可すれば(しないと思うが)、日本人の多くは「宗主国」を米国から中国に替えることにそれほどの心理的抵抗を覚えないと私は思う。日本の支配層は「強者に従属することが自己利益を最大化する」と心の底から信じているから、これまで親米派だった人たちは今度は争って中国共産党に入党するだろう(これは自信をもって断言できる)。
もう一つの道は日韓同盟である。米軍が撤収した日本と韓国が同盟するのである。人口1億8千万、GDP6兆ドル、ドイツを抜いて世界第三位の経済圏になる。軍事力は日韓を合わせるとインドを抜いて世界4位。
この日韓同盟は米中二帝国と等距離外交を展開する。米軍がグアムまで引き、中国が海洋進出に抑制的になれば、西太平洋に日韓を結ぶ広大な中立地帯ができる。東アジアの地政学的安定を国際社会は歓迎するだろう。
第三の道は九条二項を高く掲げて「東洋のスイス」のような永世中立国になることである。日本は間違いなく医療と教育と観光・エンターテインメントでは世界のトップレベルにある。そうやって全世界に「できるなら日本で暮らしたい」という人々を創り出すのである。それが日本の安全保障のための「アセット」になってくれる。スイスの銀行に個人口座を持っている人たちが(テロリストを含めて)「スイス侵攻」に反対するのと理屈は同じである。
日本人は果たしてどの道を選ぶことになるのだろう。
(AERA 3月18日~4月16日)
(2025-05-01 06:16)