『建設労働のひろば』という変わった媒体から寄稿を頼まれた。12000字という字数要請だったので、あちこちに脇道に入り込んで無駄話をすることになった。たまにはそういうのも許して欲しい。
寄稿依頼の趣旨は「劣化する民主主義、広がる格差、極まる『自分ファースト」、戦争が終わらない世界情勢など、国民が直面する危機的な日本の現状とその要因について、また(ほんの少しでも)希望について語っていただけないでしょうか」というものだった。
同じようなことをよく訊かれる。だから、答えもだいたいいつも同じである。だから、以下の文章を読まれた方が「これ、前にどこかで読んだことがあるぞ」と思っても当然である。でも、それを「二重投稿だ」と咎められても困る。「現実をどう見ますか」という問いにそのつど新しい答えを出せるはずがない。いつもの話である。
長く生きてきてわかったことの一つは、歴史は一本道を進むわけではなく、ダッチロールするということである。人々が比較的知性的で人情豊かな時代もあるし、反知性主義者が跳梁跋扈する時代もある。
私の知る限りでは、1950年代の終わり頃から1970年代の終わり頃までは、日本社会はわりと「まとも」だった。それは戦中派の人たちが社会の中枢にいたからだと今になると思う。戦中派の人たちは国家というのがどれほど脆いものか、どれほど国民を欺くものかを身をもって思い知らされた。でも、その脆くて信用ならない「国家」という枠組み以外に生きる場所がないこともわかっていた。人間という生き物が状況次第でどれほど非道にも残虐にもなれるかも実見したし、その逆に人間が時にどれほど勇敢であったり、道義的であったりするのかも見てきた。
世の中は複雑だ。一筋縄ではゆかない。人間にはいいところも悪いところもある。「そういうものだ」と受け入れる以外にない。そういうほとんど諦観に近い「清濁併せ吞む」的な鷹揚さが戦中派の人たちには共通してあったと思う。人間に厚みや奥行きがあったと言ってもいいし、「陰の部分」や「誰にも言えない秘密」があったと言ってもいい。そういう人たちは人間の愚かさや軽薄さに対して割と寛大であった。「人間にそれほど期待してもしかたがない」と諦めていた部分があった。でも、それは私たち子どもにとってはありがたい環境だった。大人たちは瓦礫の中から社会を再建することに忙しかったし、子どもの数も多かったから、子どもたちは「好きにしていなさい」と放置されていた。
その時代の日本がわりと「まとも」だったのはその「ゆるさ」が原因の一つだったと思う。実際に日本はその時代に驚異的なペースで経済成長を遂げ、短期間のうちに世界第二位の経済大国になり、80年代半ばにはアメリカを追い抜いて、世界第一の経済大国に指先がかかっていた。85年のプラザ合意でその夢は断たれたけど、上の方にいる人たちが細かいことをがたがた言わずに、若者を好きにさせてくれた時代に経済活動は活発になるということは、とりあえず私たちの世代にとっては所与の現実だった。この確信はその後も揺らいだことがない。
この時期は政治活動もきわめて活発だった。1960年代の終わりから、70年代の初めにかけて、全国の大学の多くはほとんど教育活動ができない状態だった。無法状態の大学で学生たちはここでも「まあ、好きにしてなさい」と放置されていた。でも、なぜかこの時に学生院生だった人たちの中からその後世界的な水準の業績を上げる研究者が輩出した。
70年代に日本人の40%以上が社会党・共産党に支持された政治家が首長である革新自治体で暮らしていた。自民党政権の統制が及ばない地域が日本列島に広がっていたわけだから、政府にとっては納得のゆかない時代だっただろうが、この時期の経済成長率は毎年10%(!)を超えていた。不思議なものだ。あちこちでデモやストライキが行われている時期が、戦後日本では最も経済活動が活発だったのである。
そして、政治の季節が終わって、高等教育機関がきびしい統制の下に入るようになるにつれて、学術的アウトカムは次第に貧しくなり、「内部統制」がその極限に達して、すべての研究教育活動が中枢的に管理されるシステムになった時に(今がそうだ)、学術的アウトカムは質量とも戦後最低レベルになった。経済成長もぴたりと止まった。
経済成長にはさまざまなファクターが関与しているから、簡単なことは言えないが、管理と創造がゼロサムの関係であったことは戦後日本においては否定できない歴史的事実である。社会が中枢的に管理されていない自由な時代に人間はそのパフォーマンスを最大化し、逆に管理が徹底し、個人の可動域が制約されるにつれて創意は失われ、生産性は低下した。管理と創造は食い合わせが悪い。これは1950年生まれの私が経験的に確言できることである。
それくらいのことは長く生きていれば誰にでもわかるし、誰にでも言える。別に特段賢い必要もない。でも、それでも、これは長く生きていないとわからない。20年、30年という短いタイムスパンの間で起きた出来事だけを見ていると、「管理と創造がゼロサムの関係にある」というようなことはわからない。理屈としてはわかっても、実感としてはわからない。
今、日本社会で制度設計をしている人たちのうち40代50代の人たちは日本社会がアナーキーでワイルドで鷹揚で、それゆえ創造的だった時代を知らない。見たことがないのだから仕方がない。だから、子どもの頃から刷り込まれてきた「管理を徹底することで組織は効率的に機能する」というイデオロギーを疑うことを知らないでいる。気の毒である。
「組織マネジメント原理主義」というのは、私が若い頃にはなかった。トップダウンの組織が最も効率的であると信じている人は戦後の企業経営者にはほとんどいなかった。彼らが知っているトップダウン組織の最たるものは軍隊だった。そして、それがどれほど非効率で反知性主義的なものだったかを彼らは敗戦という事実を通じて骨身にしみて知っていた。だから、上位者の命令がどれほど理不尽であっても、それに唯々諾々と従うイエスマンが最も重要な労働者の資質であるというようなことを言うと「軍隊じゃないんだから」という半畳が入った。
その時代に経営者の「鑑」と言われたのは松下幸之助や井深大や本田宗一郎であった。彼らは社員たちがどうすればその潜在的な能力を開花できるか、どうすればオーバーアチーブメントを果たすようになるか、そのための就労環境の整備にもっぱら知恵を絞った。町工場を短期間のうちに世界的な企業に成長させたこれらの経営者たちは、組織マネジメントとか、社員の精密な勤務考課とか、そういうことには副次的な関心さえ示さなかった。
上位者の命令に黙って従うイエスマンであることが最優先に求められるようになったのは、この30年ほどのことである。90年代の後半から価値創造より組織管理を優先させる組織マネジメント原理主義者たちが登場してきて、あらゆる組織を仕切るようになってきた。
今の企業経営者たちは社員たちの潜在可能性を開花させることには何の関心もない。彼らの労働力からどれだけ剰余価値を搾り取るかにしか興味がない。そして、困ったことに、働いている人たちもそのことに特段の不満を抱いていない。ビジネスの成功者というのは誰もがそういうものだと思っている。エゴイストでなければ成功できないのだと思っている。そして、成功した人間には成功していない人間に屈辱感を与える権利があると思っている。繰り返すが、まことに気の毒な話である。
「組織マネジメント原理主義」という言葉を先ほどから使っているが、見慣れない単語だと思う。私の造語だから、みなさんがご存じなくても当然である。組織が「何を創り出すために存在するのか」には副次的な関心しかなく、その組織が「どのように中枢的に管理されているか」を主たる関心とする考え方のことである。1990年代の半ばから日本社会に浸透してきて、2010年代に支配的なイデオロギーになった。
私が記憶している限り、組織マネジメント原理主義が日本社会に「大きな一歩」を刻んだ決定的な日付は公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案が大阪府議会で成立した2011年である。
この条例は橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」が提出した。府内の公立校の学校行事で君が代を斉唱する際、「教職員は起立により斉唱を行うものとする」としたのである。
それまでも、都道府県教委は学校に対し国旗・国歌法や学習指導要領などを根拠に、「君が代」斉唱時の起立斉唱を指示し、起立を拒む教職員は処分してきた。でも、大きな違いがあった。それまでの国歌斉唱の指示が「愛国心の高揚」という政治目的をあきらかに第一義的にめざしてきたのに対して、この条例が「公務員の規律の厳格化」を第一義に掲げたことである。
起立斉唱を拒んだ教員を処分した際の記者会見で、橋本知事はこれが政治的イシューではないという点を強調した。これは言論の自由の問題でも、良心の問題でもない、純粋にビジネスライクな就業規則違反問題である。校長の業務命令に違反したので当該教員を処罰する。政治問題ではなく、組織マネジメントの問題である。そう言明したのである。
私はこの時の記者会見の映像をテレビニュースで見ていたが、この時の「国歌斉唱を拒んだ教員の処罰は組織マネジメントの問題である」という言い分に、記者たちが一人も反論しなかったことに強い衝撃を受けた。「おい、君らは『組織マネジメントの問題だ』と言われたら、誰一人反論できないのかよ」と思ったのである。組織マネジメントなんてどうだっていいじゃないか。それよりは国歌国旗に対してどういう態度をとるべきかについて市民ひとりひとりが熟慮する機会を保証することの方が国民国家にとってははるかに重要じゃないか、と。
国民国家というのは一つの政治的擬制である。17世紀にウェストファリア条約とともに誕生した比較的新しい政治単位である。「国境」線で画定された「国土」の中に人種、言語、宗教、生活文化において同質性の高い「国民」(nation)が集住して、国家(state)を形成するというモデルである。それ以前の基本的政治単位は多人種、多言語、多宗教が混在する「帝国モデル」であった。帝国が解体することになったのは、宗教戦争があまりに大きな災禍をもたらしたので、「同一宗教の人たちだけで集まって国を作り、隣国の人が何を信じていようと気にしないことにしよう」ということになったからである。窮余の一策である。でも、それが世界標準になったのは、フランス革命以後である。
この時のフランス軍は義勇兵たちで構成されていた。彼らはフランス革命の大義を全ヨーロッパに宣布するために進んで銃を執った。それまでの戦争は多くは王侯貴族が領土や王位継承をめぐって傭兵を使って行うものだった。プロの兵士たちが戦っている横で、農民は土地を耕し、商人は商売をしていた。戦争は戦争、生活は生活と切り分けられていた。でも、フランス革命軍は違った。彼らは傭兵ではなく、ふつうの市民だった。彼らの戦いを経済人たちも、メディアも、教師も、芸術家も、銃後の家族たちも全力で応援した。「総力戦」というものがこの時初めて歴史に登場したのである。だから、フランス軍はとてつもなく強かった。前線で負傷して片足切断の手術を受けたフランス軍の将校がそのまま騎乗して前線に駆け戻ったという逸話があるけれど、こういう気の狂ったような戦い方を傭兵はしない。ふつう戦闘では損耗率が30%に達すると組織的戦闘がもうできなくなるので、白旗を掲げて降伏するというのが古来の決まりであったけれども、ナポレオン軍は違った。近衛兵にニコラ・ショーヴァンという兵士がいた。敵兵に囲まれて衆寡敵せず白旗を掲げようということになったときに、「ナポレオン軍の兵士に降伏という選択肢はない」と言って、単騎敵陣に突っ込み、全軍が後に続いた(と言われているが、おそらく後世の作り話だろう)。でも、これが「狂信的愛国主義(ショーヴィニズムchauvinism)」という政治概念の語源になった。それまではそんな「変なこと」をする兵士はいなかったのである。
ウェストファリア条約の時に「戦争を終わらせる」ために発明された国民国家は、ナポレオン戦争の時に「戦争に勝つ」装置として異常な性能の高さを発揮した。「国民国家は戦争に強い。」それはナポレオンに蹂躙された全ヨーロッパの実感であった。こうして19世紀に全ヨーロッパは国民国家に再編された。国民国家でなければ総力戦が戦えないということがよくわかったからである。ドイツもイタリアも日本もほぼ同時期に、それまでいくつもの王国や藩に分断されていた地域が一つの国民国家になったけれど、要するに「国民国家にならなければ、他国に侵略される」と人々が信じるようになったからそうなったのである。水戸学の人たちが幕末に書いたもの(例えば会沢正志斎の『新論』)からはその焦燥と不安がありありと伝わってくる。
国民国家というのはそういう歴史的条件の下で形成された政治単位である。だから、歴史的条件が変わればまた変質する。場合によってはなくなるかも知れない。その地殻変動的遷移にきちんとモニターしていなければ、国力は衰微するし、悪くすると滅びる。
だから、「国民国家とは何か。それに市民たちはどう向き合うべきなのか。市民は国民国家に何を求め、何を提供すべきなのか」について熟慮することは国民国家全員の義務であり、権利なのである。「いいから黙って国旗に礼をして、国歌を斉唱しろ。これは単なる業務命令だ」というのは、国民に向かって「国民国家とは何か」を問うことを止めろということである。市民的成熟をするなと命じることである。そんなことを受け入れられるはずがない。国民の権利と義務を業務命令とそれに対する諾否の問題に矮小化することを、私は一人の「愛国者」として決して許すことができない。
でも、その頃、私のように考える人は日本社会にはほとんどいなかった(今もたぶんほとんどいない)。私はその時に「いずれ組織マネジメント原理主義が日本を滅ぼすだろう」と思った。そして、その予想通りに事態は進行している。
いいから黙って上の言うことを聞け。命令の適否について判断する権利は下僚にはない。現場で何が起きても自己判断で何かしてはならない。必ず上位者に報告して、その指示を仰げ(それまではフリーズしていろ)。これがある時期からすべての業界でのルールになった。そうすれば組織はきわめて効率的に機能するはずだと「組織マネジメント原理主義者」は信じているが、こんな「信仰」には実は何の現実的根拠もない。
トップが指示を出しても、途中で「こんな理不尽な指示には従えません」とか「こんなくだらない命令出したバカは誰だ」というような「抵抗」に遭遇すると、トップの意向はなかなか物質化しない。そういうことがあると面倒なので、小うるさいことを言う部下を全部排除して、イエスマンだけで組織を固めれば、トップの指示はただちに現場で物質化するだろう。そうすれば最高に効率的な組織ができるはずだった。
でも、そうならなかった。当たり前である。トップダウンの組織が機能的で生産的であるのは、トップが「賢い人」である場合に限られるからである。
しかし、ご案内の通り、トップダウン組織の運営ルールに「この組織内で最も賢い人をトップに据える」という項目は存在しない。「賢い人」をトップに導くためのプロモーションシステムがトップダウン組織にはビルトインされていないのである。
最初にトップダウン組織を創り上げた人物はそれなりの手腕があっただろうと思う。かなりの力量がなければ、そんな無理な組織作りはできない。けれども、その人が去った後にトップに座るのはたいていが創業者のかたわらにいて「おべんちゃら」技術に長けたイエスマンである。彼らは「トップの命令にはその適否にかかわらずなんでも従う」ことでその地位を得た「組織マネジメント原理主義者」である。
そういう人たちが何代か続いて組織の頂点にいると、「この組織はそもそも何のためにあるのか」という根本のことを誰も問わなくなる。そして、「組織がどうマネージされているか」ばかりが優先的に問われる創造性も生産性も何もない組織が出来上がる。日本のGDPが急坂を転げ落ちるように低下するのも当たり前である。
愚痴を言っても始まらないが、こういう歴史的遷移は50年くらいにわたって日本人の組織作りを観察していないとわからない。「どうしてバカばかり選択的に出世する仕組みができたのか」の答えは経営書には書かれていない。実際に自分の属する組織がそういうものに改変されられた経験を持つ人間(あるいは私のように自分が実際にそういうトップダウン組織を作ろうとして、あとから激しく後悔した人間)にしかわからない。
でも、どこかでこのような趨勢も「底を打つ」だろうと私は思っている。いくら何でも「ばかばかしいこと」をひたすら続けられるほど人間は愚かではない。どこかで補正の動きが行われる。
冒頭に記したように、歴史はダッチロールするけれども、決して無目的に進んでいるわけではないし、ひたすら地獄に向かって転落しているわけでもない。それなりに「よい方向」に向かってはいるのだが、その歩みがひどく遅いというだけである。「三歩進んで、二歩半下がる」くらいのペースである。それでも、人類は少しずつ「まとも」になっていると私は思う。
そう言うと「そんなことはない。人類はどんどん劣化している」と虚無的なことを言う人がいるが、そうでもない。今、奴隷制や人種差別や拷問を合法としている国連加盟国はない。もちろん、実際にはそれに類することがアンダーグラウンドでは行われているのだが、政府が公然と行うことはなくなった。
アメリカ軍はキューバのグァンタナモ基地でイラク戦争の捕虜に残虐な拷問を行っていたが、これはグァンタナモ基地が米国の法律もキューバの法律も及ばない法律的な真空地帯だからできたことである。一応拷問する側にも「これは法律違反だ」という疚しさ(のようなもの)はあるのだ。ウクライナやガザでは非道な国際法違反が行われているけれど、違反の当事者たちは「国際法違反をしているのは私たちではなく敵の方だ」と強弁している。「国際法を犯すことはよくないことだ」という建前だけはしぶしぶであれ認めているのである。その辺りが100年前とはだいぶ違う。「半歩くらいは前進している」と私が言うのはそのことである。
今トランプのアメリカでは「政治的正しさ」に対するすさまじいバックラッシュが始まっている。でも、民主主義や政治的寛容や多様性・公正性への配慮や少数者の社会的包摂に対して、これほど激しい、常軌を逸したまでの攻撃がなされるのは、近代市民社会が少しずつ育ててきたこれらの価値が、大統領が議会に諮らずに大統領令を乱発しなければ否定できないところまでアメリカ社会の中に根づいたということを意味しているというふうに(楽観的に)解釈することもできる。そういう民主的な価値観がそれなりに根づいているからこそ、MAGAの帽子をかぶっている人たちはあれほどむきになるのである。
ある若い友人は「今の日本は1930年代の日本とほとんど変わらない」と慨嘆するけれども、私はだいぶ違うと思う。1930年代の日本には治安維持法があり、特高や憲兵隊があり、何より政府の上に統帥権に護られた軍隊という実力装置があった。その時代に生きていたら、私はたぶんだいぶ前に執筆の場を失っており、場合によっては反政府的な言動を咎められて逮捕投獄されていただろう。それに比べると、今ははるかに「よい時代」である。私が政府をどれほど批判しても、あるいは反社会的カルト集団について厳しい言葉を連ねても、家までやってきて私に向かって「発言をやめろ」と実力行使をする人は(今のところ)いない。私は名前も住所もメールアドレスも公開しているから、本気で私に暴力をふるって黙らせようと思ったら、(私に物理的に激しく抵抗されるリスクを除くと)それほど難しいことはない。だが、さいわいにも今のところ誰も来ない。SNSで私の発言が「炎上」しているということは時々知り合いが知らせてくれるが、私は自分について書かれたものを読まないので、どんな罵詈雑言を浴びせられても、何の実害もない。総合的に考えると「言論の自由」は戦前よりはるかに確実に保護されていると私は感じる。
それだけ豊かに「言論の自由」を享受していながら、言論が戦前より萎縮しているということがあるとしたら、それは体制の問題ではなく、人間の資質の問題である。勇気がないとか、矜持がないとかいうのは、制度ではなく、生き方の問題である。
では、どうすればいいのか。「制度は変えられるが、人間は変えられない」という考え方もあるし、「制度を変えるのは手間がかかるが人間は(時には)わずか一言で変わることもある」という考え方もある。どちらも一理ある。変えられるものなら制度を変えればいいし、人間は変わるということに希望を託してもいい。別に二者択一ではない。両方試みればいい。私は言論人なので、「情理を尽くした言葉を以てすれば人を変えることができる」ということを愚直に信じている。それを信じるのを止めたら、私は筆を折るしかない。だから、さらに駄弁を弄する。
この原稿が載るのは4月25日発行の号だそうである。その頃、世界と日本がどうなっているか私には予測が立たない。まだ第三次世界大戦が始まっていないこと、まだ南海トラフ地震が日本列島を襲っていないことを願うばかりである。
最も劇的に変化しているのはアメリカだろう。ドナルド・トランプとイーロン・マスクによる連邦政府の再編(というより破壊)はどこまで進んでいるか。どこかで司法のブレーキがかかっているか。あるいは共和党内部から「支持者たちが急激に離反している。これでは中間選挙で惨敗する」という泣訴がホワイトハウスに届いて、トランプの暴走が止っているかも知れない。トランプのすることは誰にも予測できない。
それにアメリカ外交は伝統的に「戦略的曖昧さ」をカードに使って来た。トランプは「カード」という比喩が好きなので、「次にどんなカードを切って来るか、予測が立たない」と他国の指導者に思わせることでゲームを支配しようとしている。トランプはこのスタイルを手放すことはないだろう。
「戦略的曖昧さ」をニクソン大統領の時はもっとひどい言い方で「マッドマン・セオリー」と言った。「大統領の気が狂って核ミサイルの発射ボタンを押すかもしれないと思うと、仮想敵国は行動が抑制的になるので、大統領は狂ったふりをする方が外交的優位に立てる」というとんでもないアイディアである。でも、「ニクソンは心理的危機にある」という風説が流布されている間に、ニクソンはドル金本位制を廃止し、中国との和解を実現し、ソ連との核戦争を回避した。マッドマンはそこそこ「いい仕事」をしたのである。トランプがこの「成功事例」を真似してはいけない理由はない。
起こり得るうち最も衝撃が大きいのは、アメリカのNATOからの脱盟(もっと衝撃が大きいのは「国連脱退」だが、たぶんこれはないと思う)、私たち日本人にとって最も衝撃的なカードは日米安保条約の解消である。
NATO諸国はすでに24年選挙での「トランプ優勢」が伝えられて以後「アメリカ抜きのヨーロッパ安全保障構想」について真剣に考え始めていた。マクロン仏大統領はアメリカに代わって仏の「核の傘」でヨーロッパを守るという構想を示した。中東和平のためにはトルコがアメリカに代わってキープレイヤーとしてプレゼンスを増すことになるだろう。NATOのもう一つの脱アメリカ戦略は中国との「中立」盟約だと私は思う。EU諸国が一番恐れているのはロシアの軍事力である。ウクライナ戦争の趨勢によってはポーランドとフィンランドがロシアの直接的な脅威にさらされる。ロシアもいきなり軍事侵攻することないと思うが、「いつでもその気になれば軍事侵攻する」という恫喝は止めない。そんなロシアに抑制的にふるまうように要請する仕事ができるのはロシアの最大の支援国である中国だけだ。習近平もアメリカとは非妥協的に対立しているが、NATOとことを構える気はない。アメリカが市場の扉を閉じた場合に、EUは中国製品にとって最重要の市場になる。「一帯一路」構想にEUが全面的にコミットすると提案すれば中国は歓迎するだろう。中国がロシアの「止め役」を引き受けてくれるなら、NATOは対ロシアの安全保障経費をかなり削ることができる。フランスは伝統的に中国と宥和的なので、マクロンが習近平に談判に行くという展開もあるような気がする。英国が「ブレグジット」の失敗を糊塗するために「対ロ安全保障」を口実にEUに復帰するという可能性だってある。
というふうに、EU諸国はだいぶ前から「アメリカ抜きのヨーロッパ」のあり方について思考実験を始めている。何もしていないのは日本だけである。「日米同盟基軸」と呪文のように唱えて、日米安保以外の安全保障構想について何一つ考えないままに80年間を便々と過ごしてきた後に、トランプから「日米安保条約解消するぞ」という脅しを受けて驚嘆している。
もう何度も書いたことだが、以前ある高名な政治学者と対談した時に、「日米安保以外に日本にはどんな安全保障の仕組みがあり得るでしょうか」と質問したことがあった。素人の好奇心から、どんなシナリオがあり得るか専門家の知見を求めたのである。でも、この学者は絶句してしまった。その時に、日本の政治学者たちは「日米安保以外の日本の安全保障体制」を話題にする習慣がないらしいということを知った。今も事情は変わらないだろう。政治家も官僚も政治学者も誰も「日米安保以外の安全保障構想」について考えたことがないのだ。
だから、日本政府はトランプから何を要求されても、それこそ「在日米軍基地を米国領にする」と言われても受け入れるだろう(トランプがそれを思いつかないことを願うばかりである)。
だから、日本については残念だが、あまり希望の余地はない。できることがあるとすれば、まず政権交代して、第二次安倍政権以来のたまった「膿」を出すこと(「政治改革」などという悠長なことではなく、公人として不適切な政治家を国事にかからわせない)。中枢的な管理や統制が日本の生産性を低下させているという事実を認めること。教育と医療と農業への優先的に予算配分すること。この三つがとりあえず最も緊急性の高い政策課題だろう。
どうすれば実現できるのか、道筋は見えない。私たち一人一人は今自分にできることから始めるしかない。私は自分の道場共同体を「コモン」として機能させることを余生の課題にしている。私が主宰する共同体は今のところはせいぜい200人くらいしか収容できない。でも、ここに帰属していれば、何があっても相互支援のネットワークによって守られる。その保証ができる範囲は私の力ではそれくらいである。それを少しずつ広げてゆきたいと思っている。
「コモンの再生」は日本列島各地で、同時多発的に、サイズの異なるさまざまな相互扶助共同体の形成運動として進められている。この何百何千の「コモン」はこれからゆるやかなつながりを持つようになる。それは従来型の中央集権型の「ハブ&スポーク」ネットワークではなく、一つのコモンがいくつものコモンに繋がって、地下茎のように広がるという分散型ネットワークになるだろう。それが日本再生の手がかりになるということは想像がつく。でも、私が生きているうちにその成果を見る機会はないと思う。
(2025年3月17日)
(2025-03-31 09:17)