オウム真理教の地下鉄サリン事件から30年経つ。ある放送局がそのための特番を制作したいというので、私のところにインタビューに来た。
私は事件当時、阪神の震災で被災して、住む家を失って体育館で暮らし、被害の大きかった大学での土木作業に日々を過ごしていたせいで新聞もテレビもろくに見ていなかった。だから、サリン事件の報道も「次々とひどいことが起きる。末世なのか」というような漠然とした受け止め方しかできなかった。ただ、オウム真理教は日本人の宗教的な未成熟が生み出したものであり、日本社会そのものを培地として育った「鬼胎」であることについては確信があった。
事件が起きる前までテレビや出版メディアは麻原彰晃を繰り返し取り上げていた。内心では「胡散臭い」と感じながら、素材としては「面白い」から、それを利用しているつもりの人がたくさんいたのだろう。それに、吉本隆明のような見識のある人が麻原を稀有の宗教家だとして本気で評価していたことも人々の判断を曇らせたのだと思う。
たしかに麻原はそれだけ吸引力のある人物だったと思う。でも、私はテレビや雑誌でその容貌と発言を知って「近づいてはいけない人間」だと感じた。
「近づいてはいけないタイプの人間」というものがいる。その人の思想信条の良否とはかかわりがないし、能力や社会的地位ともかかわりがない。ただ、その人に近づくとこちらの「生きる知恵と力」が衰弱するというだけのことである。そういう人には近づかない方がいい。これは私が個人的に採用している基準である。
「この世の中には決して信用してはいけないタイプの人間がいる」ということは子どもの頃に父親に教えられた。戦中派の父は青春期のほとんどを中国大陸で過ごした。だから、日本の植民地支配の実相も、帝国軍人たちが朝鮮半島や中国大陸でどんなことをしたのかも知っていた。人間が時に信じられないほど残忍で非道なことをするということを身にしみて知っていた。そして、平和な戦後民主主義社会で育っている子どもにもそれだけは教えておかなければならないと思ったのであろう。
麻原彰晃を一目見て「近づいてはいけないタイプ」だと私は感じた。ある種のカリスマ性があることは分かった。「振れ幅」が大きいのである。「聖俗混淆」と言ってもよい。超人的な修行を積んで、ある種の特異な宗教的境地に触れた(らしい)ということと、俗悪きわまる物欲や支配欲や性欲にまみれている弱さが同一人物の中に共存している。そのような自己矛盾を私たちは「器の大きさ」であると受け止める傾向がある。自分の弱さをカミングアウトすることのできる宗教者に私たちは惹かれる。それは親鸞や一休から出口王仁三郎までに共通する資質である。
ある種の「大きさ」が麻原にあることは私にも分かった。けれども、近づくと私の生きる知恵と力を減殺するタイプの人間であることも同時にわかった。麻原はおそらく「お前は自分の頭で考える必要がない。私がお前の代わりに考えてあげるから」と私に告げるだろう。私はさまざまな悩みのもたらすストレスから解放される。だが、その代償に思考停止することを求められる。私にはそれ以上の知性的・感情的な成熟を自力で行う必要がなくなる。
さいわい、私は二十代で武道の師に出会っていた。師は私に人格的な帰依も思考停止も求めなかった。ただ修行することの大切さを教えてくれた。おかげで私は「カリスマに惹かれる」という誘惑に屈することなくこの年まで生き延びることができた。インタビューではそんな話をした。
(週刊金曜日 3月5日)
(2025-03-19 10:40)