医療人として生きる

2025-03-19 mercredi

 東京保険医協会というところから寄稿を頼まれたので、こんなことを書いた。 

 医療界では段階の世代が後期高齢者になる今年を「2025年問題」と呼んでいると初めて知った。 
 1950年生まれの私も今年の秋には75歳になって、晴れて後期高齢者の仲間入りをする。身体のあちこちが傷んで来て、病院に通う頻度も増えた。私自身が「増大する医療費」によって若い日本国民たちの迷惑になっている元凶の一人なのである。「老人は集団自決しろ」と公言する人が「知識人」としてメディアでもてはやされている現状を見ると、私のような老人はこれからは「長生きしてすみません」と肩身の狭い思いをして生きるしかないのかも知れない。
 とはいえ、これは「天寿」と言って、自己決定できることではない。若い同胞のご迷惑になりたくはないが、もうしばらくは世に憚ることになりそうである。そのような立場からこれからの日本と世界について、一言見通しを語っておきたいと思う。

 長く生きてきてわかったことの一つは、歴史は一本道を進むわけではなく、ふらふらとダッチロールするということである。どんな国でも国運の盛んな時もあり、落ち目の時もある。人々が人情豊かで道義的である時もあり、没義道な連中が威張り散らしている時もある。でも、まったく無目的に歴史は進んでいるわけではない。「三歩進んで、二歩半下がる」くらいの遅いペースであるけれども、人類は少しずつ「まとも」になっていると私は思う。
 そう言うと「そんなことはない。人類はどんどん劣化している」と虚無的なことをつぶやく人がいるが、そうでもない。今奴隷制や人種差別や拷問を合法としている国連加盟国はない。もちろん、実際にはそれに類することがアンダーグラウンドでは行われているのだが、政府が公然と行うことはなくなった。アメリカ軍はキューバのグァンタナモ基地でイラク戦争の捕虜に残虐な拷問を行っていたが、これはグァンタナモ基地が米国の法律もキューバの法律も及ばない法律的な真空地帯だからできたことである。一応拷問する側にも「これは法律違反だ」という疚しさ(のようなもの)はあるのだ。
 ウクライナやガザでは非道な国際法違反が行われているけれど、違反の当事者たちは「国際法違反をしているのは私たちではなく敵の方だ」と強弁している。「国際法を犯すことはよくないことだ」という建前だけは認めているのである。その辺りが100年前とはだいぶ違う。「半歩くらいは前進している」と私が言うのはそのことである。
 今アメリカでは「政治的正しさ」に対するすさまじいバックラッシュが始まっているが、民主主義や政治的寛容や多様性・公正性への配慮や少数者の社会的包摂に対して、これほど激しい、常軌を逸したまでの攻撃がなされるのは、近代市民社会が少しずつ育ててきたこれらの価値が、大統領が議会に諮らずに大統領令を乱発しなければ否定できないところまでアメリカ社会の中に根付いたということを意味している。そう思って見れば、「少しずつまともになっている」という見通しは決して間違ってはいないと思う。

 私の年若い友人は「今の日本は1930年代の日本とほとんど変わらない」と慨嘆するけれども、1930年代の日本には治安維持法があり、特高や憲兵隊があり、何より政府の上に統帥権に護られた軍隊という実力装置があった。その時代に生きていたら、私はたぶんだいぶ前に執筆の場を失っており、場合によっては反政府的な言動を咎められて逮捕投獄されていただろう。
 それに比べると、今ははるかによい時代であると言わねばならない。私が政府をどれほど批判しても、あるいは反社会的カルト集団について厳しい言葉を連ねても、家までやってきて私に向かって「発言をやめろ」と実力行使をする人はいない。私は名前も住所もメールアドレスも公開しているから、本気で私に暴力をふるって黙らせようと思ったら、別に難しいことはない。だが、今のところ誰も来ない。
 SNSで私の発言が「炎上」しているということは時々知り合いが知らせてくれるが、私は自分について書かれたものを読まないので、どんな罵詈雑言を浴びせられても、何の実害もない。総合的に考えると「言論の自由」は戦前よりはるかに確実に保護されていると私は感じる。
それだけ豊かに「言論の自由」を享受していながら、言論が戦前より萎縮しているということがあるとしたら、それは制度の問題ではなく、人間の資質の問題だろう。勇気がないとか、矜持がないとかいうのは、制度のせいではない。その人の生き方の問題である。

「制度は変えられるが、人間は変えられない」という命題がある。これには一理ある。でも、「制度を変えるためにはそれなりの手間暇がかかるが、人間は一瞬で変わることがある」という命題もまた真である。教育やメディアを通じて人間を型にはめるには、それなりの時間がかかるが、わずか一言がその年来の「呪縛」から人を解放するということも(まれに)ある。
 私はもう残り時間が少ないので、制度を変えているだけの余裕がない。それよりは「人間を変える」ことをめざす方がまだしもチャンスがありそうである。そう考えて、とりあえずまだまだ可塑性のある若い人たちに向かって、「勇気を持ちなさい」とか「正直に生きよう」とか「人には親切に」とかいう、小学校の学級標語のようなことをこのところずっと語りかけている。ずいぶん幼稚な目標のようだけれど、これは長く研究者と武道家をやってきた私の偽らざる実感なのである。
 研究者は孤立を恐れてはならない。自分の立てた仮説の反証事例から目をそらしてはならない。非専門家にもわかるようにていねいに自説を説いてこそ研究によって得られた知見は現実に生かされる。当たり前のことである。孤立を恐れない勇気、自分自身が言っていることが「おかしい」と思ったら、「いま間違ったことを言いました。すみません」と訂正する正直さ、そして情理を尽くして語る親切心、そのどれが欠けても研究者としては物足りない。
 武道家としての経験も同じことを教えている。違うのは「正直」であるべき相手が「自分の身体」だという点だけである。自分の身体がわずかな違和や力みやこわばりや緩みを感じたら、正直にそれを認めて、ただちに補正する。武道的に上達するというのは、身体的違和を感知するセンサーの精度が高くなるということである。十分に精度が上がれば、自分が「いるべき時、いるべきところ、なすべき所作」が何であるかを、かなり正確に予知できるようになる。そうなれば、たぶん「危ない」ということを感じることなく日々を過ごせるようになるはずである。

 勇気、正直、親切のうちどの徳目が一番大切だろうか。たぶん「正直」だと思う。自分の生きる知恵と力がのびのびと発動することに対する誠実さ。それが勇気や親切を動機づけもする。勇気を持つ方が気分がいい、親切にする方が気分がいい。「気分がいい」という実感に濁りがないこと、それが「正直」ということだと思う。
 なんだか武者小路実篤の晩年の繰り言みたいになってしまったが、長く生きてくるとぐるっと一周回って小学校の頃と同じことを言い出すものらしい。でも、こういう教えは単純だけれど、長く生き残ってきただけあって滋味がある。

 何の話をしていたのか忘れてしまった。寄稿依頼の趣旨は「医療の現実と理想の乖離、政府の医療への取り組みの瑕疵」などについて論じて欲しいということだった。思い出した。「歴史は迷走しているように見えるが、三歩進んで二歩半下がる」くらいのペースでちょっとずつ良くなっているということは医療についても言えるのではないかという話をするつもりで、話が脇道にそれてしまったのである。
 医療の問題を五年とか十年というスパンで考えていると、もしかすると「どんどん悪くなっている」という見方も成り立つかも知れない。でも、五十年、百年というスパンで見れば、医療テクノロジーも、医療システムも、明らかに成熟し、高度化しており、医療の進歩による受益者の数は劇的に増加している。
 だから、あまり悲観的になることはない。一例を挙げると、いろいろな業界で人手が足りないという悲鳴が上がっているけれども、医療に関して言えば、「医師になりたい、看護師になりたい」という若い人の数は増え続けている。これは例外的なことである。子どもたちの母数が減っているのに、医療の専門家になりたいという子どもの数は減っていないのである。AIの導入によって人間が不要になる業種は何かということがずっと話題になっているが、看護と介護については「増えることはあっても減ることはない」という調査結果を何年か前にアメリカの連邦政府機関が発表した。それだけ子どもたちを「惹きつける力」が医療にはある、ということである。

 医療の基本原理は(今さらに皆さんに説くまでもないが)ヒポクラテスの誓いのうち「患者が自由人であっても奴隷であっても、診療内容を変えてはならない」というところに凝縮されると私は思っている。医療行為は商品ではない。だから、患者の属性によって施す医療に違いがあってはならない。
 ヒポクラテスがそう説いたのは、このギリシャの医聖の時代においても、「相手の懐具合によって違う医療行為を行う医者」がいたということを示している。それを認めたら、医学の進歩は大きく損なわれる。ヒポクラテスはそう直感したからこそのこの誓言を弟子たちに求めたのである。
 医療が商品であるということを認めてしまったら、医師にとって一番賢い生き方は王侯貴族の「侍医」になることになってしまう。医療が富裕で権力のある人間だけに限定的に施されるものであるというルールで医学の歴史が推移していたら、安価で処方しやすい薬剤の発見や、多数の患者を短時間のうちにモニターできる試薬や機材の開発や、貧しい人でも医療を受けられる保険制度の整備はなされなかったはずである。人類はいまだに医療においては太古の闇をうろうろしていただろう。
 達成することが困難な目標を掲げることで、人類はこれまで進歩してきた。あらゆる分野がそうである。医療もそれは変わらない。だから、皆さんが「理想と現実の間に乖離がある」と嘆くのは、当然のことなのである。嘆くのが正しいのである。でも、その嘆きは「絶望」ではなく、「希望の胎」としての嘆きなのである。
 というところで話がなんとか着地した。私はある医療系の大学の理事をしている関係で、毎年入学式に「医療者として生きる」という演題で短い講話をしている。今年はこの話をすることにしようと思う。