世の中にはお金の話になるといきなり頭の回転がよくなる人と、そうでない人がいる。私は足し算の時でも「円」がつくと、たちまち計数能力が低下するという「経済に弱い人」である。だから、経済の本は読んで「理解できた」と思ったことがない。『資本論』も数式が出てくる頁は全部飛ばして、「資本の原初的蓄積」から読み出したくらいである。そんな私でもこの本はすらすらと最後まで読めた。
著者バルファキスは2015年のギリシャの経済危機の時に財務大臣を務めた財政の専門家である。貨幣や金融の本質を熟知している人が非専門家にもわかるように、ほんとうに噛んで含めるように資本主義の次のフェーズであるテクノ封建制の実相を明らかにしている。まことに親切な本である。私は親切な人の話は信用する。
どなたも「ビッグテック」のことはご存じだろう。「資本主義から抜け出してまったくあたらしい支配階級になる力」(79頁)を手に入れた超富裕層の人々のことである。彼らの下に世界中の富が流れ込む仕組みをバルファキスは「テクノ封建制」と呼ぶ。「資本主義が変異して最終的に行き着いた姿」(80頁)である。かつては資本家がプロレタリアートの労働力から剰余価値を収奪していたが、今は違う。資本家は「クラウド領主」というものになった。
彼らの封土は地上にはない。雲の上にある。領主たちは中世の封建制のときにそうであったように「地代(レント)」を土地を耕す農奴たちから徴収する。今でも肥沃な土壌や鉱物資源を埋蔵する土地を持つ地主の懐にはレントが流れ込む。寝ている間にも金持ちになる。その実体的な土地の代わりにクラウド領主たちは雲の上に封土を所有している。
最初はここでもスティーブ・ジョズだった。彼はiPhoneを市場に投入した時に世界最初の「クラウド領主」になった。彼は社外の開発者たちにアップルのソフトウェアを無料で使わせて開発したアプリケーションを「アップルストア」で販売するという全く新しいアイディアを思いついた。他の携帯メーカー(ノキアやブラックベリーやソニー)は自社ストアを開発しなかった。できなかった。アップルがすでに市場を独占していたからである。同じアイディアでグーグルもグーグルプレイでアップルと封土を二分した。
「アップルとグーグルはタダで働いてくれるサードパーティ開発者が生み出す売り上げから一定割合をピンハネすることで富を積み上げた。これは利潤ではない。クラウド・レントであり、デジタル版の地代なのだ。」(165-6頁)
私たちはあらゆる日常の営みを通じて「クラウド領主」たちに「クラウド・レント」を払い続けている。
「アレクサやSiriは、僕たちの質問に答えても手数料はもらえない。フェイスブック、ツイッター、TikTok,インスタグラム、ユーチューブ、ワッツアップも同じで、その目的は利潤じゃない。僕たちの関心を引きつけ、それを変えることだ。」(170頁)
領主たちも封土をめぐって戦っている。けれども、それはより安価で、より質の高い商品を提供して、マーケットシェアを高めるための闘いではない。「これまでとは違うオンライン経験を探していたクラウド農奴に対して、移住したくなるような新しいクラウド封土を提供」するための戦いなのだ(172頁)。自分たちが立ち上げたクラウド封土に多くのクラウド農奴を呼び込み、彼らから日々レントを徴収するビジネスモデルに成功したクラウド領主たちは、今や使用価値の高い製品を創り出している企業家たちを「クラウド封臣」として従え、彼らからもレントを徴収している。
「封建制から資本主義へという『大転換』が起きたのは、レントに代わって利潤が社会経済システムの原動力になったからだ。だからこそ、それを資本主義と呼ぶことは、たとえば市場封建制と呼ぶよりもはるかに有用で意義があった。ゆえに、今、社会経済システムが利潤ではなくレントで動かされる時代になったという基本的事実に基づいて、新しい名前でそれを呼ぶことが求められている。(...)レントが主役として戻ってきた現実を表すには、「テクノ封建制」という言葉以上にふさわしいものはない。」(172―173頁)
バルファキスはこのあと領主たちはますます富裕になり、農奴たちはますます困窮する暗鬱な未来を予測している。その未来をどう変えたらいいのか。もちろん革命によるしかない。「新しいコモンズの再構築」(261頁)である。最後にバルファキスは『共産党宣言』を踏まえた堂々たるアジテーションで本書を締めている。
「テクノ封建制のもとでは、人間はもはや自己の心身さえ所有していない。資本を持たない労働者は就業時間中はクラウド・プロレタリアートになり、それ以外の時間にはクラウド農奴になっている。(...)クラウド資本は僕たちの脳内資産を奪い取る。人間が自己の頭と心を所有するためには、クラウド資本を集合的に所有しなければならない。(...)バンコクのクラウド農奴よ、クラウド・プロレタリアートよ、クラウド封臣よ、団結せよ!心の鎖以外に失うものはなにもない!」(263頁)
(2025-03-10 13:19)