米国の外交専門誌を定期購読しているけれども、年ごとに論者たちが弱気になっているのが行間から伝わって来る。「次の戦闘で中国に敗けるかも知れない」という軍幹部のコメントが記事になったのは2017年のことだった。これは衝撃的だった。でも、もうこの二三年は「中国と戦争したら敗ける」という文字列を読んでも驚かなくなった。中国は米国よりも多くの現役兵士を擁しているし、ロシアと中国を足すと軍艦と戦車の数では米国を上回る。ロシアと中国と北朝鮮が韓国に侵攻したり、中国の台湾侵攻にロシアが参戦したりすれば、米国の数的優位は失われる。まして、中東にはイランという強力な反米国家がある。米国が東アジアに釘付けになっている間にイランがイスラエル相手に戦争を始めても、米国には二正面作戦を戦うだけの余力がない。
だから、米国のアナリストたちの論調はずいぶんと弱気になった。中国に強く出た場合に、ロシア、イラン、北朝鮮その他の反米的アクターが中国に加担して同時多発的に反米的な軍事行動を採ったら、米国は対処する能力がない。でも、中国に弱腰を見せると、中国は台湾の支配と南シナ海の海洋支配とアジアの勢力圏化を実行するかも知れない。どうしたらいいのか。答えがわからない。それが米国のアナリストたちの本音である。
この状況でトランプが大統領になる。こうなると「トランプのでたらめさに期待するしかないか」という自棄な気分が横溢してくるのもわかる。たしかにトランプは独裁者とケミストリーが合う。プーチンと金正恩とは一期目に気脈を通じてみせた。イランのハメネイ師と和解することはまずあり得ないが、習近平に「台湾を好きにしていい。その代わりに・・・」というような「ディール」をぶつける可能性はある。
バイデン時代よりもトランプ時代の方が中国、ロシア、イラン、北朝鮮と米国の緊張関係は緩和するかも知れないし、もっとひどいことになるかも知れない。予測がつかない。
これは「マッドマン・セオリー」として知られているものである。「戦略的曖昧さ」というもう少し穏当な表現もあるが、要するに指導者が「何を考えているかわからない」と信じさせることで状況をコントロールする「先手」を打つことである。ニクソン大統領が「精神状態がおかしいので、いつ核ミサイルのボタンを押すかわからない」という情報が意図的にリークされて、ソ連を牽制しようとしたことがあった。「統治者が狂っている」と思わせることでパワーゲームの「先手」なんかとっても、ろくなことにはならないと思うけれど、どうも米国のアナリストたちはトランプの「狂気」が米国にとって強いカードになるかも知れないと信じ始めているようである。
「トランプは自分で何をするかさえわかっていないために、他人がその行動を予測するのは非常に難しい」とある政治学者は書いている(スティーブン・コトキン、「ドナルド・トランプと米国の未来」、Foreign Affairs Report, 2024,No.12)。それが「強み」だというところまで米国も窮しているのである。日本の政治学者でここまで正直な人は少ない。だから日本が今どれだけリスキーな状況に置かれているのか日本人の多くは知らない。
(中日新聞「視座」1月8日)
(2025-01-15 15:00)