年末恒例の「今年の十大ニュース」。
(1) すい臓がんになって切除手術をした
これが今年のトップニュース一である。
7月2日に三戸岡クリニックで採血して、腫瘍マーカーを網羅的にチェックしたところ、すい臓に異常値が見つかった。直後の理事会で、主治医の小川先生にデータをお見せしたら、すぐに精密検査の手配をしてくれた。7月16日に昭和大学北部病院でPET検査。8月1日に結果が出て、「すい臓がん」の疑いが濃厚ということで、8月20日に一泊検査入院。超音波内視鏡検査を受けて、9月4日に消化器内科の吉田先生から「すい臓がんステージII」という診断が下った。
9月16日から25日まで最初の抗がん剤投与のため入院。第一回が9月17日、第二回が24日。この二回は何の副作用もなかった。以後、週一ペースで11月1日まで昭和大学病院に通って抗がん剤投与。とりあえず年内の仕事はすべてキャンセル。10月末からのボローニャでのイタリア合気会60周年記念にはるんちゃんと一緒に行くつもりだったが泣く泣くキャンセル(るんちゃんは一人イタリア旅行を楽しんだようです)。
10月中旬から抗がん剤の副作用で体調が悪くなり、まず脱毛。それから味覚障害、不調でベッドから起き上がれない日が続いたが、それでも合気道の稽古だけは入院まで続けた。
12月3日から6日まで検査入院(腹腔鏡でお腹の中を見て、手術が可能かどうかをチェック)。手術可能という診断が下って、12月10日に入院。11日に切除手術。それからICU~HCUを経由して、一般病棟に戻って、21日に無事退院ということになった。
手術してからあとの回復は驚異的なスピードで、退院予定は25日だったけれど、4日はやく退院できた。おかげで22日から24日に予定されていた温泉麻雀にも間に合った。
さすがに術後なので、体力が落ちていて歩くのもちょっとふらついたけれど、不思議なもので麻雀をやっているうちに体力が回復して、23日の夜にはヒレステーキ150グラムを完食し、ワインもしっかり二杯。「悪いことをしていると健康になる」という仮説を身を以て証明した。
12月24日に神戸に戻り、26日の朝稽古から稽古に復帰。12月7日土曜の稽古から数えて19日目に稽古に復帰したことになる。体重が5キロ落ちて、そのほとんどが足の筋肉なので、ちゃんと動けるかどうか不安だったけれど、これが動けるから不思議である。50年も合気道をしていると、道着を着て、畳を踏むと、身体が「合気道モード」に切り替わってしまうらしい。
というわけで、今はもう抗がん剤の副作用も消えて、髪の毛もちょっとずつ生えてきた。年明けからは平常運転に戻す予定である。結局7月から12月までは「闘病生活」をしたことになる。
(2) 5年ぶりに多田先生の凱風館講習会があった。
12月1日に2019年以来5年ぶりに多田先生をお迎えして、凱風館講習会が開かれた。私は入院直前だったけれども、ふつうに稽古に参加して、直会も最後までお付き合いした。多田塾同門では奈良合気会の窪田先輩、入江道場の入江君、大阪研究会の九門君、県連からは神戸祥平塾の川端師範をお招きした。100名を超える参加者で道場が一杯になった。
多田先生は御年94歳になられる。まだまだお元気だし、お話もとても面白かった。先生が元気なうちは弟子たちは弱音を吐けない。来年の講習会は12月7日(日)を予定している。
(3) 縁側ラジオ始まる
MBSの西靖アナウンサーと二人でおしゃべりをする「縁側ラジオ」の配信が始まった。一回20分程度のポッドキャスト番組を毎週金曜に配信して、一月分まとめて地上波で流すという趣向である。
名越康文先生と3人での「辺境ラジオ」が中断したままなので、「辺境」よりもちょっと「中心」寄りの番組ということで「縁側ラジオ」と命名。
番組開始直後にがんが見つかり、西さんはご母堂が亡くなったので、最初の方は「病と死」をめぐる話になってしまった。
(4) 本がいろいろ出た
泉下の人たちとのコラボレーションが二つあった。一つは『小田嶋隆と対話する』。小田嶋さんがツイッターに書き溜めたものを穂原俊二さんが編集したものに私がコメントを加えたもの。
もう一つは『革命的半ズボン主義宣言』。これは橋本治さんの1984年の歴史的名著の復刻。私が長い「まえがき」と「解説」を書いた。
対談本は池田清彦先生との『国家は葛藤する』、成瀬雅春先生との旧著の復刻『街場の身体論』の二冊。
ありものコンピ本は『凱風館日乗』、『だからあれほど言ったのに』の二冊。
不思議な成り立ちの本としては、朴東燮先生が編集した韓国語版がオリジナルの『図書館には人がいない方がいい』(これは図書館について書いたもののコンピレーション)と『無知の楽しさ』(これは韓国の編集者たちと朴先生とのQ&A)。この二冊はまず韓国語版が出て、私の本としては珍しくベストセラーになった(らしい)。これが確か51冊目の韓国語訳のはず。以後、『武道的思考』『コモンの再生』など旧著の翻訳オファーが続くことになった。
『勇気論』も光文社の古谷俊勝さんとの往復書簡本なので、今年唯一の書き下ろしは『日本型コミューン主義の擁護と顕彰-権藤成卿の人と思想』だけということになる。これは権藤成卿の『君民共治論』の「解説」として書き出したのだけれど、解説が本文の二倍量になってしまった・・・『月刊日本』から出る。編集の杉原悠人君によると「右翼界隈では好評」だそうである。左翼界隈ではどういう受けとられ方をするのだろうか。日本で政治革命が成功するためには「日本型コミュニズム」を足場にするしかないという話を書いているのだけれど。これも企画段階で韓国語版の打診があった。だが、内田良平や伊藤博文や金玉均や李容九や福澤諭吉が出てくる本を韓国の読者は史書として受け止めてくれるだろうか。難しそうな気がするけれど。
それから春日武彦先生との対談本があった。7月末に対談は終わったので、そろそろ初校ゲラが届く頃である。山崎雅弘さんとの対談本もだいぶ前に終わった。初校ゲラが届いてよい頃である。望月衣塑子さんとの対談は一回だけ済んだので、あと2~3回おしゃべりしたら本になるはずである。
今年作った本はそれくらいだろうか。継続中なのは『老いのレッスン』。これも編集者との往復書簡本をネットで連載している。来年中にたぶん紙数がまとまって単行本になると思う。
2020年から『波』に書き続けている『カミュ論』もあと1年くらいでまとまると思う。カミュの『反抗的人間』の再評価というまことに反時代的な書物だけれども、身体感覚に基づく哲学体系の構築というカミュの企図(フランスの知的サークルでは無視されたが)は私には「よくわかる」のである。
来年は多田宏先生との対談本と養老孟司先生との対談本の二つが決まっている。偉大な二人の師の「謦咳に接する」貴重な機会に恵まれて弟子としてはまことに幸運なことである。この二冊とカミュ論をゆっくり仕上げるだけで十分多産な一年になりそうである。
(5) 隠居を宣言する
何度も隠居宣言をしているので、「狼少年」状態だけれど、今度は本気である。来年は後期高齢者である。古希も遠く過ぎた。がんにもなった。そろそろ「御用納め」をしてよい頃である。もちろん書くことは止めないけれど(止められないけれど)、外に出て人前で話をするという仕事はもうそろそろ止めにしてよいと思う。すごく疲れるのである。とくに子どもたちを前にして話すのはすごくエネルギーが要る。
これまでは「スケジュールが空いていたら断らない」という方針だったけれど、来年からはスケジュールが空いていても、体力的にきつそうならお断りする。せいぜい月二回が上限だろう。今年は9月までしか働かなかったが、オンラインを含めて講演を40回やった。働き過ぎである。というわけなので、依頼が来ても「にべもなくお断りする」ということが多々あると思うのでご海容願いたい。
十大ニュースといいながら5つしかないけれど、まあそんなものである。年を取ると、だんだん驚くような出来事が減って来るのである。
(2024-12-28 10:45)