小林先生のこと

2024-12-07 samedi

 小林昌廣先生が定年で退職されることになり、「はなむけ」の一言を求められました。長い間お疲れさまでした。最後の方は体調を崩されたと伺いました。いろいろたいへんだったと思いますが退職を機会にゆっくり休養されて、体力を回復されてまたご活躍されることを願っております。
 僕が小林先生と初めてお会いしたのは、90年代の初め、日本記号学会のシンポジウムにおいてでした。僕は身体論についてのシンポジウムの発表者でしたが、僕たちの順番が来る前に小林先生がMCをされた記号論のシンポジウムがありました。それを拝聴しました。発表者は現場の方たちばかりで、話はそれぞれ具体的でたいへん面白かったのですが、話が散らかり過ぎて、学術的な知見として共有できるかたちにできそうもありません。どうやって話を収めるのかちょっと心配しながら聴いていたら、小林先生が発表者全員の言いたいことをみごとにまとめてくれました。シンポジウムのMCが「自分の言いたいこと」にひきつけて話をむりやりまとめる光景は何度も見て来ましたが、小林先生の発表者たちへの理解の深さとゆきとどいた配慮にすっかり感心しました。
 すごい人がいると思って、降壇してきた小林先生をその場でつかまえて、無理やり名刺交換して「神戸女学院大学に一度来てお話をしてください」とお願いしました。小林先生が何の専門であるかも知らないうちに講演を頼んでいました。
 さいわい小林先生はご快諾くださり、それからしばらくして神戸女学院で講演をしてくれることになりました。たいへんに面白い講演で学生たちが目をきらきらさせて聴いてくれたので、今度はさらに増長して、「非常勤で来てください」というお願いをすることになりました。これもご快諾いただき、小林先生には身体論や医療論や伝統芸能論についてその深い知見を縦横に語って頂きました。
 京都造形大学の同僚である田川とも子先生も小林先生からご紹介頂きました。田川先生のプレゼンテーション(コスプレ論でした)も学生たちのツボにはまり、田川先生にもその場で「非常勤で来てください」とお願いし、以後二十年以上にわたって、神戸女学院大学の学生たちをご指導頂きました。
 僕も京都造形大やIAMASに呼ばれて、何度か講演をしましたし、小林先生との「コンビ」でもずいぶん仕事をしました。小林先生は医学と芸能という視点から、僕は武道家として身体論を語り、また僕は能楽も長く稽古してきたので、小林先生の歌舞伎論とは相性がよいのです。二人とも早口だし、雑学を披歴すると止まらないという少し似た語り口でしたので、いろいろなところから「お座敷」がかかりました。90年代終わりから00年代の初めくらいまでが「小林・内田コンビ」の繁昌期だったと思います。そのあと小林先生が大垣に移られてからは、お会いする機会が減ってしまったことがまことに惜しまれます。
 僕の方は大学を定年退職した後は、政治的なイシューについて発言を求められることが増えて、小林先生と日本文化について蘊蓄を傾ける「コンビ芸」を披露する機会はすっかりなくなってしまいました。あれは楽しかったんですけどね。
 もう少し年を取って、もうちょっと「天下無用の人」になりおおせたら、またコンビ復活して、爺二人でまったく時事性のない雑談を延々と語るというのをやってみたいですね。ぜひご一考ください。