韓国の民主主義の強さ

2024-12-06 vendredi

 ぐっすり寝て朝目覚めたら「韓国で戒厳令が布告されて数時間で解除」というニュースで起こされた。それからTwitterで調べられるものを調べた。そして、韓国の議員とメディアと市民たちの瞬発力に驚かされた。
 目の前で政治的な激変が起きた時に、それが何を意味するのかただちに理解し、逡巡せずになすべきことをなすというのは口で言うほど簡単なことではない。武道では「機を見る」と言う。機を逸すれば歴史は別の軌跡をたどることもある。戒厳令の解除があと半日遅れたら、市民と軍人の間で流血の惨事が起きていたかも知れない。そうなっていたら過去44年かけて築き上げてきた韓国の民主主義に深い傷がついただろう。
 1980年の光州事件の時は、全斗煥が布告した戒厳令に抗議する学生市民のデモ隊と空挺部隊が衝突して、多数の市民が射殺された。犠牲者の数は軍部は144人としているが、その何倍もの市民が殺されたと言われている。
 それから44年後に、また戒厳令下で市民と軍人が向き合った。けれども、今度は死傷者を出さずに戒厳令が解除された。市民たちの大統領の民主主義破壊を許さないという断固たる決意と、軍人たちの抗命ぎりぎりの節度があってはじめて今回の戒厳令の合法的な解除が成功したのだと思う。これは韓国の人々の民主主義建設の努力のみごとな「果実」である。
 たしかに韓国の政体は決して出来がよいとは言えない。議会と対立してしばしば大統領は任期なかばで「レームダック」化するし、有権者たちは統治能力に欠けた人物を繰り返し大統領に選んできた。かつての大統領が囚人服を着て法廷に立ち、獄に繋がれる姿も繰り返し見せられて来た。それでも、この欠陥の多い制度を必死で運用してきた韓国市民の努力は高く評価しなければならないと思う。
 翻って(この言葉は使いたくなかったが)日本のメディアの反応の鈍さに私は胸を衝かれた。深夜の出来事とは言え、地上波テレビはNHKが10分ほどニュースを流しただけで、あとは隣国の政治的危機を報道さえしなかった。「目の前で政治的激変が起きた時に、それが何を意味するのかただちに理解し、逡巡せずになすべきことをなす」ということができなかったのである。そこで何をしようとも、その行為が軍人によって阻まれたり、逮捕拘禁されたりするリスクがゼロという状況で、日本の地上波テレビはただフリーズして、予定通りの番組を流していたのである。
 そんな無能で定見のないメディアが日本の民主主義が揺らいだ時に適切な報道をなしうるだろうか。私は無理だと思う。
 はっきり言わせてもらうが、地上波テレビはもう「報道」を名乗る資格がない。中の人たちもその自覚を持った方がいい。
 それでもまだメディアの内部にももう一度「報道」機関に立ち戻りたいと思っている人はいると信じたい。だが、もうあまり時間は残されていない。