自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」

2024-10-11 vendredi

 どうもこんにちは。ご紹介いただきました内田です。飯能というところ来るのは初めてです。先ほどご紹介いただいた通り、僕は神戸で「凱風館」という武道の道場と学塾をやっております。そこに9年に入門された井手くんと岡野さんというご夫婦がいます。井手君は僕のIT秘書というのをやっていただいております。岡野さんはこの5月から書生として働いていただいています。凱風館には今書生が5人いるんですけども、その中で一番の新人です。そういうご縁のあるお二人がこの自由の森学園の卒業生ということで、このたび40周年の記念講演にお招きいただくことになりました。
 自由の森学園創建40周年おめでとうございます。卒業生、在校生がこれだけ集まってくれるということは、それだけ母校に対する愛情が深いからだと思います。二人の門人も遠く神戸から今日ここまで来てくれました。卒業した学校のためにここまで献身的になるというのは、なかなかできないことです。
 僕は自分の卒業した学校に関してほとんど愛着がありません。大学から寄付を求められたことがありましたけれど、そのままゴミ箱に投げ捨ました。1回だけ、母校の文学部から文学部に来る学生数が激減してしまい、なんとかテコ入れをしたいので「文学部に進学してください」という宣伝パンフレットを作るのでそこにご登場いただきたいというリクエストにお応えしたことがあります。でも、後にも先にも、母校のために何かしたというのは、それきりです。
 何人かよい友だちができたこと以外に「ああ、あの大学に行ってほんとうによかった」と思ったことがありません。学校に対しては何も感謝していない。そういう人間から見ると、卒業生たちが母校に対してこれだけ強い愛着、愛情が持てるということは、ここでなされたすばらしい教育の成果だと思います。
 僕は長く神戸女学院大学というところの教師をしておりました。神戸女学院は中学から大学まである女子校ですが、ここも卒業生たちの愛校心に驚かされました。ほんとうに小さい学校なのですが、歴史が長いので同窓会員が3万人ぐらいいます。この3万人の方たちが学校のあり方に大きな影響力を発揮している。
 僕は同窓生が母校の教学や経営に関して発言することは決して悪いことだとは思わないんです。むしろ好ましく思っていました。というのは、同窓生は「母校が変わらないこと」を願うからです。自分が卒業した学校がそのあとどんどん変わって、キャンパスが移転し、カリキュラムが変わり、卒業した学科や学部がなくなる...ということを同窓生は望まない。学校経営者はビジネスマン的なセンスに従って、そういうふうに「時流に合わせる」ことをしたがるんですけれど、同窓会の人たちは変化に抵抗するんです。そりゃそうですよね。自分が卒業した学部学科がなくなるということは、「あなたが受けた教育は意味がなかった。もう時代遅れなんだ」と卒業生に向かって宣告するに等しいわけですからね。卒業生に対して「あなた方が受けた教育はもう社会的有用性を失った」と告げることは、教育機関としては本来恥ずべきことだと思うんですよね。たしかに学科・学部を廃止したり新設したりということは避けられないことではあると思うんですけれど、それに対して学校側はある種の「疚しさ」を感ずべきだと思うんです。
 学校というのは宇沢弘文先生が言うところの「社会的共通資本」の一つです。「社会共通資本」というのは、集団が存続していくために絶対に必要なもので、これは専門家によって専門的知見に基づいて、安定的に管理・運営されなければならない。大気、土壌、海洋、河川、湖沼、森林とかいう自然環境。それから社会的インフラ。上下水道、交通網、通信網、電気ガス。これらも安定的に管理されなければいけない。そしてもう一つ、司法、行政、医療、教育といったシステムですね。これらもまた集団が存続していくためになくてはならないものです。社会的共通資本は急激に変化してはいけないんです。もちろん変化はするんですけれども、ゆっくりとしか変化しない。
 政治や経済は急激に変化するものです。政治や経済は「複雑系」ですから仕方がありません。「複雑系」というのは、わずかな入力変化によって劇的な出力変化が生じるシステムのことです。「北京で蝶が羽ばたくとカリフォルニアでハリケーンが起きる」という喩えがよく使われますけれど、わずかな入力変化が劇的な出力変化になる。だから政治や経済はおもしろいわけです。みんな夢中になる。個人のコミットメントによって、場合によっては状況や市場が一変することがあるんですから楽しくないはずはない。政治や経済は「そういうもの」なんです。それを楽しむ人たちは楽しめばいい。
 けれども、それ以外の人間の営みは必ずしも政治や経済と同じような複雑系ではないし、複雑系であってはならない。わずかな入力変化によって劇的にシステムが変わってしまっては困るものが僕たちの周りには多々あるわけですよね。行政とか司法とか医療とか教育はそういうものです。政権交代したから司法判断が変わるとか、株価が下がったので教育カリキュラムが変わるとか、そういうことがあっては困る。極端な話、革命が起きても、戦争が始まっても、水道からは水が出るし、地下鉄は時間通り来るということが望ましいんです。ほかのセクターではあってもいいことがあってはならないという分野があるんです。
 でも、いくらそう言っても、分かってくれない人は分かってくれないんですよね。彼らは社会の変化というのは均一的に、すべてのセクターに及ぶものだと信じている。政治過程や経済活動に変化が起きたら、それに合わせてほかのシステムも全部変わらないといけないと信じている。教育に関しては、こういう考え方をされることはほんとうにはた迷惑なんですね。「社会がこれだけ変化しているのになんで教育は変わらないんだ」と。そういうタイプの恫喝を教育現場はずっと受け続けてきました。「硬直的にすぎるんじゃないか。保守的にすぎるんじゃないか。なぜ社会の変化と同調しないで、古めかしい教育をしているんだ」、と。でも、教育は本来「惰性が強いシステム」なんです。ゆっくりとしか変化しない。
 それを教えてくれたのは、諏訪哲二さんという方です。昔『オレ様化する子どもたち』という本を書かれた方です。高校の社会科の先生だったと伺いましたが、諏訪先生と僕が若い頃に対談したことがありました。そのときに諏訪先生が「教育は、惰性の強い仕組みですから」とおっしゃったことが非常に印象に残っています。そのあとに宇沢先生の本を読んで、「ああ、そういうことなんだ」と腑に落ちました。そうなんです。教育は惰性の強い仕組みなんです。もちろん変化しますが、ゆっくりとしか変化しない。急激な変化は受け付けない。でも、学校の現場には、文科省とか産業界とかあるいはメディアとかから「変われ、変われ」という圧力がずっとかかっている。
 さっきも控え室で、菅間校長と話していましたけれども、今の社会は全部そうなんです。とにかくたいへんな勢いで変化している。その急激な変化に「キャッチアップしろ」という圧力がかかる。それを受け止める学校側も、とにかく社会の変化についていかなきゃいけないと思って、必死になっている。「何のために変化しなければいけないのか」という根本の問いを忘れて、とにかく時代がこう変わっているんだから、テクノロジーがこう進化しているんだから、政治過程や市場の仕組みがこう変わっているんだから、それに合わせて教育も変わらなければいけないと必死になっている。そういうオブセッションが教育現場にも強くかかっています。
 文科省に言わせると、それでも文科省が防波堤になって、産業界や政治からの「教育を変えろ」という圧力に抵抗しているんだそうです。たしかに防波堤にはなってくれているのかも知れませんが、現場には必ず「文科省経由」で指示が入ってくるわけですよね。新しいテクノロジーを教えなさい、新しい価値観を教えなさいと。学校で金融を教えろというような要請がありましたね。
 でも、そのときどきに産業界が要求している、いわゆる「人材」なるものとは何か、それを考えた方がいいと思うんです。「人材」を育成して送り出せと向こうは学校現場に要求してくるわけですけども、その「人材」の仕様がコロコロ変わるんです。ほとんど毎年のように変わる。そのたびにそれに合わせて学校の教育課程を変えるなんてあり得ないことですよね。
 僕は私立学校がシステムの設計について参照すべきものがあるとすれば、それは「建学の理念」だと思うんです。たいせつなのは「建学の理念」であって今の「社会のニーズ」なんかじゃない。だって、建学された時、学校には何にも「手持ち」がないんですから。そもそも在校生がまだいない。卒業生もまだ出していない。自分たちの学校がこの社会でどういうような役割を担うものであるかまだ検証ができていない。でも、理想だけはある。何より建学時には「社会のニーズ」なんかないんです。卒業生に対する社会のニーズが全くないという状況で建学者たちは教育を始めた。
 神戸女学院は、明治8年創建なので、もうすぐ150年になりますが、アメリカからやってきたタルカットとダッドレーという二人の女性宣教師が神戸で開校した小さい塾から始まります。この2人の宣教師はサンフランシスコから船に乗って太平洋を横断して日本に来るんですけれど、出航時点においては、まだ日本ではキリシタン禁制の高札が掲げられていたんです。「社会のニーズ」どころじゃない。「来るな」と言われているところに来たわけです。「社会的ニーズ」はゼロというよりマイナスだったわけですよね。でも、「来るな」と言われても行きたい。どうしても教えたいことがある、伝えたいことがある。そうやって神戸で小さい学塾を始めたら、そこに少しずつ引きつけられるようにして子どもたちが集まってきて、いつの間にか150年が経っていた。
 建学の時点において「社会的なニーズ」がゼロであったということはとても大きいと思うんです。ニーズはなかったけれど、代わりに「教えたいこと」があった。「伝えたいこと」があった。「こういうような教育をしてください」というニーズがあって、それに応じて「はい、分かりました」というので何か知識や技能を教えるというようなかたちで私立の学校教育は始まったわけじゃありません。日本の大学は75%が私学ですけども、この私学は本質的には全部がそうです。「教えたいこと」がまずあって学校教育が始まった。「どこもやっていない教育」をしたかったからですね。ほかのどこでもやっていないから、自分がやりたい教育のために身銭を切って学校をつくった。そこから日本の私学教育が始まったわけです。
 でも、「ニーズ」という言葉がある時期から、90年代の終わりころからでしょうか、教育現場でさかんに口にされるようになった。「マーケットのニーズ」がどうたらこうたらと教授会で言い出す人が出てきた。そういうマーケティング用語とか、「質保証」とか「工程管理」とかいう工学用語で教育を語る人が増えてきた。でも、僕はそれは違うんじゃないかと思っていました。もし社会のニーズを満たすために学校教育があるなら、日本の私学のほとんどは今存在していないはずだからです。
 慶應義塾は「私学の雄」ですけれども、福沢諭吉の『福翁自伝』を読んでいると、「社会的なニーズ」への配慮なんかないんです。彰義隊の戦争のさなかに、江戸中が火の海になるかというときに福沢諭吉は経済学の英書を読む講義をしているわけです。徳川時代の藩校はもう教育機関として機能していない。新政府にはまだ学校を作る余裕がない。いやしくも今の日本を見回して、まともな高等教育をしているのは慶應義塾ただ一つである、と。この反社会性を僕は非常に好ましく思うんですよね。今の日本でまともな教育をしているのはうちしかないんだと福沢諭吉は豪語するわけです。みんな戦争に夢中になっている。相場の上げ下げで右往左往している。その喧噪の中で、われわれは悠々と経済学を講じている。社会の目先のありようとまったく関係ないことをしている。それが学校教育の意義だ、と。
 福澤は若い時は大阪の適塾にいて、オランダ語の文献を読みました。哲学書を読み、工学や化学の書物を読み、医学や薬学の書物を読み。とにかくオランダ語で書かれている文献を片っ端から読んだ。もちろん、そんな知識や技能についての「ニーズ」なんか江戸時代の日本社会のどこにもないんです。だから、意地で読んでいる。なぜ意地で読んでいるのかというと「こんなにややこしいもの」を読んでいるのは日本広しといえども、われわれしかいないという自尊心からです。エリート意識というのとはちょっと違う。だって、エリート意識って、既存の支配階級の上の方にいる人間が持つものですからね。適塾の貧乏書生は階級の外にいる。時流にきっぱり背を向けて、金にもならないし、出世にも結び付かない学問している俺たちは「ただものではないぞ」という苦しまぎれのプライドだけを支えに貧しさや飢えに耐えていた。福澤はそう書いています。
 でも、学ぶ人間の気概っていうのは本来そういうものなんじゃないかなって気がするんですね。「いやしくも日本広しといえども、これな変なことを研究しているのは俺一人だ」というような態度の悪さが知的な緊張を持続するためには必要なんです。
 学校教育もそうだと思うんですね。世の中とうまくなじんで、社会のニーズにぴったりと対応した教育をしているような学校にはなりたくない、と腹を括って、世間から「一体あんたのところは何をやっているんだ」と白眼視されるような教育をする。そういう学校の側の気概は在校生・卒業生にはちゃんと伝わるわけです。だから、「今の日本であんな変な教育をしている学校はうちの母校しかない。だったら、守らなければ」という気持ちを持つようになる。そういう形で僕は学校を続けていけばいいと思うんです。だから、サイズが大きい必要は全くない。小さい学校で構わない。これから日本の人口はどんどん減っていくわけですから、小さいサイズでいいんです。

 今日は高校生を相手に話すものとばかりと思って来たものですから。高校生向けの「世界はこれからどうなるか」という話を仕込んできたのですが、来てみたら観客は大人の人ばっかりなので、用意してきた話は止めて、「教育と自由」という演題に近い話をします。どうなるか分かりませんが、たぶんどこかでなると思います。
 初めに申し上げておきますけれど、「教育と自由」って食い合わせが悪いんです。そもそも「自由を教える」ということができるのかということですね。主体性は教えられるか、自立は教えられるか、自由は教えられるか。どれも教えるのは難しいです。でも、そういうものを自得する環境をつくることはできる。先生が教えなくても自得できるような環境はつくることはできる。教育者としてできることのそれが最大限だと思います。子どもは「自由」も「自主」も「自立」も「自在」も自得するしかない。それを自得できるような環境を整える。あとは眺めて、待つ。たぶんそれしかできないという気がします。この話にはまたあとで戻るかもしれないし、戻らないで「教育と自由」に関してはあれで終わりだったっていうことになるかもしれませんけど。

 さて、今日高校生に話そうと思っていたのは「人口減」の話でした。この飯能のあたりでもたぶん人口減ということが結構シリアスな問題になっていると思うんですけども、僕は『人口減社会の未来学』という本で編著したせいもあって、人口減問題に関してよく講演依頼があります
 先日も岐阜県のJAに呼ばれて、地方の人口減問題と農業の問題について語ってきました。どこでも言うことは同じです。韓国でもその話をしました。毎年韓国には講演旅行に行っているんですけども、一昨年は韓国の田舎のほうからお呼びがかかってに山の中の公民館みたいなところで50人ぐらいの聴衆を前にして講演をしました。そのときにいただいたテーマが「韓国における急速な人口減と地方の生き残り」というものでした。聴衆はほとんどが地元の高齢者でした。もちろん彼らは僕の名前も、何をしている人間かも知らない。でも、その人たちが実に一生懸命に話を聞いていました。どうして僕みたいな人間をわざわざ日本から呼んでそんな話をさせるのかというと、たぶん韓国国内には「地方の人口減問題と生き残り」について真剣に考えてくれる知識人がいないということじゃないかと思うんですね。
 韓国の合計特別出生率は0.68です。すさまじい減り方です。去年が0.78なんですから1年間で1ポイント落ちているんです。首都圏への人口の集中が進んでいてソウル周辺だけで全人口の45.5%が住んでいるというデータがあって、その数字を講演で何度か引いたんですけれども、これも最新データに更新しようとしたら、45.5%から1年間で55.5%に上がっていました。1年間に10ポイント上がっているんですよ。すごいですよね。
 ソウル周辺だけなんですよ、若い人がいるのは。去年講演に行ったのは釜山なんですけれど、釜山は韓国第2の都市で、日本でいったら京都とか大阪みたいなランクの都市なんです。感じのいい、カジュアルな下町なんだけども、街を歩くと、出会うのは中高年ばかりなんですよ。街に若者がいないんですよ。子どもの歓声も聞こえない。
 釜山大学は国立ですからまだ残っていますが、まわりにあった大学が次々と廃校している。この数年間で4校、大学が廃校になったそうです。廃校ですよ。どうしてですかと訊いたら、若い人がみんなソウルに行っちゃうからなんだそうです。釜山大学って京都大学ぐらいのランクの大学なんだけれど、志願者が激減して、入学偏差値が下がっていて、今はソウル近辺の二流、三流大学の後塵を拝している。首都に文化資本が集中していることについて、日本ではあまり報道されていませんね。人口減に関しては、出産率がすごく下がったということは時々報告されていますけれども、ソウルに人口が集中していることが地方没落の原因だという話はあまり報道されない。ネットニュースには出てますけれど、大新聞なんかはまず報道しない。
 これは現代日本における人口減問題を伝えるときの報道姿勢の特徴ですね。新聞もテレビも必ず「人口減問題」と言うんです。でも、これは正しくない。僕らが直面しているのは「人口減問題」じゃなくて、「人口一極集中問題」なんですよ。問題を起こしているのは、人口減少じゃなくて、人口の分配が偏っていることなんです。過疎地と過密地ができてしまっていることが問題なんです。人口を全国にならせば、今「人口問題」と言われている問題のほとんどは解決する。
 この点では韓国が日本より一歩先に進んでいます。韓国で起きているのは一極集中なんです。もちろん人口も減っているわけですけれども、物価が高く、競争が激しいソウル周辺に若い人が集中しているせいです。だからなかなか就職もできないし、結婚もできないし、子どもも持てない。
 日本でも同じことが起きつつあります。今起きているのは「人口減問題」ではなくて、「人口の一極集中問題」なんです。今、首都圏に4000万人近くが居住しています。東京、埼玉、神奈川、千葉に日本の人口の三分の一が集まっている。他方で地方の過疎化が急速に進んでいる。先日、能登半島で地震がありましたけども、まったく復興が進んでいませんよね。福島の復興も進んでいませんが、能登はもっとひどい。政府には能登半島を復興する気がないことがわかりあmす。被災地は、高齢化が進んで人口が減っていて、いずれ過疎地になるだろうから、そんなところに復興コストをかけるのは無駄だと思っているからです。高齢者は仮設住宅にいるうちに鬼籍に入ってしまう。遠からず誰も住まなくなるような集落へ続く道を修復したり、集落の水道やライフラインを補修したりする必要はない。公然とそう語っている政治家もいます。健康で文化的な生活がしたかったら、都市部に引っ越せばいいじゃないか。山の中の過疎の集落のために道路を通す、橋をかける、トンネルを通すとか、そんなコストをかけることはできない。行政コストの無駄遣いだ。そういうことを公然と語る人がいます。多くの人がそれに反論できずに、なんとなく頷いている。でも、これは明らかに言っていることがおかしいわけです。だって、人口減と言っても、今だって日本列島には1億2500万人いるわけですよ。
 江戸時代の人口って3000万人ですよ。日本中に276の藩があった。藩というのは一応原理原則としては、エネルギーと食料に関しては自給自足でした。276の政治単位が、自給自足していた。そこで政治を営んで、特産品があり、固有の文化があり、技術があり、伝統的な祭祀儀礼芸能があった。それが人口3000万人の時には可能だったのに、1億2500万人では不可能になったと言われている。これはおかしいでしょう。江戸時代より1億近く人口が多いのに、地方に生業の拠点とか固有の文化を発信する拠点なんて作れるはずがないと、みんな信じ込まされている。どう考えてもおかしい。江戸時代は3000万人でやっていけた。明治40年でも5000万人でやっていけた。漱石が『坊ちゃん』とかを書いていた日露戦争の頃、日本の人口は5000万人ですが、日本列島中津々浦々に人々が居住して、生業を営んでいた。山の中にまで集落があった。その人口でも全国津々浦々で居住して、生業を営むことができるということは歴史的に検証済みなんです。きちんと資源を分散すれば人口5000万人まで減っても、ふつうに暮らせる。それをしようとしないということが問題なわけです。
 首都圏に人が集まっていくのは自然過程のように語る人がほとんどですね。地方に人がいなくなってゆくことをまるで避けがたい自然過程であるかのように語る。人口減は台風とか地震みたいな災害で、人間にはコントロールできないものであるかのように語っている。でも、これは違います。これは政治の問題なんです。100%政治の問題なんです。人間の力で、人口の偏りは補正できる。現に前例があるんですから。
 明治政府がやったことの中でこれは確実に評価していいということは、高等教育の拠点を全国につくったことです。教育資源を東京に一極集中させないで、地方に分散した。帝国大学は、東京、京都、大阪、名古屋、仙台、札幌、福岡、台北、京城と九つ作りました。旧制高校も明らかに教育資源の地方分散をめざす政策でした。旧制高校の配置を見ていると、明治政府がいかに意識的だったかがはっきり分かります。一高は東京ですが、次に作った二高は仙台です。仙台というのは、戊辰戦争のときの奥羽越の列藩同盟の拠点ですね。賊軍の本拠地に二高を作った。三高は京都、四高は前田藩ゆかりの金沢。五高は熊本、六高が岡山、七高は造士館、鹿児島です。西南戦争の逆賊の拠点です。八高が名古屋で、そこで「ナンバースクール」は終わって、そのあとは弘前、松江、静岡、水戸、山形、高知などいわゆる「ネームスクール」16校ができます。そうやって全国に高等教育の拠点をつくった。この教育資源の分散はあきらかに意図的なものです。仙台や金沢や鹿児島や水戸に旧制高校を作るというのは、政治的配慮です。実際に公共事業の資源分散では、戊辰戦争の賊軍だった藩に対しては分配が少ない。東北新幹線が開通したのは、東海道新幹線開通の半世紀後ですからね。でも、教育の拠点と医療の拠点については、戊辰戦争の官軍か賊軍かにかかわらず、全国に均等に設置するという明確な意志を感じます。これを僕は高く評価します。
 これは今進められている教育拠点の一極集中と全く反対の政策です。一極集中を政府が主導しているとまでは言いませんが、間違いなく放置はしている。首都圏にどんどん集まってくる。そういうものなんです。放置しておけば、若い人たちは都市に引き寄せられる。先端的な文化に触れられるし、経済活動も活発だし、雇用機会も多い。若い人が都市に引き寄せられるのは仕方がない。だとすれば政治にできるのは、人口の都市一極集中を抑制することです。資源を地方に分配する。とりわけ教育資源と医療資源の地方分散を進める。そして、「日本中どこに住んでも、医療と教育については心配する必要がない」という体制を整備する。地方にいても、十分質の高い高等教育が受けられる。しっかりした医療機関で受診できる。そういう環境を作ることは政治的には可能なんです。営利目的の企業は費用対効果を考えて、すぐに地方を見捨てるでしょうから、これは政府が主導するしかない。教育の拠点と医療の拠点をつくっておけば、そこそこの人口は集められる。
 
 アメリカの場合、地方には、地域での雇用を創出しているのが政府機関と大学と総合病院だけという地方都市がたくさんあるそうです。その三つだけで一地方都市の雇用をほぼまかなうことができる。確かに、そうですよね。行政機関で働く人がいて、大学で働く教職員がいて、学生がいて、病院で働く医師や看護師がいて、患者がいて...その家族や関連企業の従業員やその家族がいるわけですからね。この人たち毎日生活するためだけでもかなりの規模の経済活動が行われる。だから、政府と自治体主導で、行政機関、大学、病院を全国均等に設置する。それだけでも、人口一極集中はかなり抑制できると思うんです。でも、こういう話をメディアはまず伝えることがありません。僕は一度も聞いたことがない。どうやって地方に雇用を創出するのかという話になると、みんな金の話をする。どうやって生産拠点をつくるのか、どうやって消費を喚起するのか、どうやって新しいビジネスを起こすのかという話になる。でも、ビジネスのタームだけでこの問題を論じている限り、資源の地方離散ということは絶対にできないと思うんです。人口分散は市場経済的には「あり得ない選択肢」だからです。
 これについて話すと長くなりますので、そこははしょりますけれど、資本主義は「過疎地」と「過密地」を作為的に創り出すことで成立する経済システムなんです。だから、人口が国土に均等にばらける状態を資本主義は決して許さないなんです。それは19世紀英国で行われた「囲い込み(enclosure)」という歴史的事実からわかります。だから、資源の地方分散は、市場経済に決定を委ねて、「市場は間違えない」と言っている限り、決して実現しません。これは政治主導でしか実現しない。
 明治政府は教育と医療については地方分散を政治的に進めました。それに比べて、この25年間日本の政治は一体何をしてきたのか。いったい、教育政策にどういう哲学があるのか。全くありません。問題は人口の実数がどうであるかとか、手持ちの金がいくらあるかとかいう話じゃないんです。哲学なんです。「国がどうあるべきか」についての明確な指針なんです。今の日本の政治家にはそれがない。だから、「人口一極集中問題」と言わずに「人口減問題」という。そう言われてきたから、「台風問題」とか「地震問題」とかいうのと同じように人知の及ばぬ問題だと人々は思い込む。でも、それは違うんです。問題は人口が減っていることではなく、資源を全土に分配して、エネルギーや食糧についてもそれぞれの地域で自給自足できるような体制を作り、危機耐性に強い国を作ることです。当たり前のことですよね。資源を分配したほうが危機が強いに決まっている。

 でも、資源の地方分散について論じられたのは、2011年の東日本大震災のあと一瞬だけですよね。当時「遷都」が話題に上りました。首都機能を分散しようということも言われた。東京に国家機能が集中していると、東京直下型地震が起きたときにいきなり国家機能が麻痺してしまうんですから。でも、移ったのは文化庁が京都に移っただけですよ。あんなの、単なるアリバイ作りです。
 京都大学名誉教授の鎌田浩毅先生と時々お会いするんですけど、そのつど「南海トラフは必ず来ます」って警告されます。南海トラフは周期性が高いので必ずあと30年しないうちに起きる、と。関連して、首都圏直下型地震も起きるかもしれないし、富士山が噴火するかもしれない。これを地震学の先生たちが口を揃えて警告しているわけですよね。この災害リスクを勘定に入れたら、どう考えても、最優先の国家的課題は「リスクヘッジすること」でしょう。統治機構を分散し、産業拠点を分散し、教育・医療の拠点を分散して、中央集権型ではなく、離散型のネットワーク・システムに設計変更する。離散型の仕組みなら、どこか一箇所が大きな被害を受けても、周辺からすぐに支援に行けるし、生き残ったところを拠点にシステム全体を作り直せる。システムの復元力を考えたら、「リソースを散らす」のが一番確実なんです。
 首都圏が直下型地震で機能停止した場合、救援にかけつけることができる一番近い100万都市は新潟です。新潟から関越道で東京まで来く他大規模な支援の手立てがない。関越道なんて当然壊れていますから、交通不能ですよね。東京には救援物資がなかなか届かない。何日間か、何週間か、食糧も医療支援も来ない。それを考えたら、なるべく東京に人を集めない方がいいに決まっています。その方が死傷者も少ないし、救援活動も効率的にできる。合理的に考えたら、こん地震列島の上で、人口一極集中を許すというのは危機管理上間違っているんです。
 このまま人口の一極集中が進行していくと、あと80年後に日本列島に残っている都市は2つだけだという新聞記事が先日出てました。残るのは東京と福岡だけであとは全部なくなる、と。福岡が残る理由は「東京から遠いから」。東京に近い都市は全部東京が吸収してしまう。東京以外の都市がなくなるわけですから、地方の市町村は影も形もないということですよね。日本列島の東と西に2つ都市が残って、あとは荒漠たる無住地が広がる。
 でも、21世紀末でも人口は5000万人いるんです。5000万人といったら、今の韓国が5200万ですからそれくらいです。フランスが今6800万人。フランス人に向かって、あんたんところはもう人口が少ないだから、あと少ししたらパリとリヨンだけ残して、あとは無住地にするしか生き延びる道はないよねと言ったら、「バカ言うな」って怒られますよ。そんなわけないだろう、と。
 そんなふうになるのは「政治的努力がゼロの場合は」ということです。市場経済に丸投げしていたら、たしかにそうなるかも知れない。都市に人も資本も全部集めて、そこで集中的な経済活動をすれば、日本の資本主義はまだまだ延命できるからです。「シンガポール化」と僕が呼んでいるような事態になる。都市国家になって、国土は捨てる、農業も捨てる。資本主義経済に任せていたら、たぶんそうなる。
 でも、日本ではそういうナンセンスな言説が堂々と行き交っているんですよ。人口が5000万になったら東京と福岡だけしか都市は残らず、あとは荒野になるだろうと言われて、みなさん「ああ、そうですか」とぼんやり頷いている。「そんなふうにならないようにしたらどうか」と誰も言わない。政治的努力などというもので経済の行方を左右することはできない。すべては銭金の問題だ。みんなそう信じ込まされている。

「教育と自由」という演題に絡めて申し上げますが、「真理は汝をして自由を得さしむし」という言葉があります。聖書ヨハネ伝にある言葉です。人は真理によって自由になれる。真理というと言葉が強いですけども、広い視野を持って、長いタイムスパンの中で物事を観察する。自分自身を含む光景を上空から俯瞰する。そうすると、今、目の前にある現実がどういうコンテクストで形成されてきていて、どういう文明史的な意味を持っているかということが分かる。空間的なふちどりと歴史的な文脈が分かる。それが今自分が閉じ込められる「臆断の檻」から逃れ出る唯一の方法なんです。とにかく今自分が居着いている視点からいったん離れなきゃいけない。世界地図の中で、100年、200年というタイムスパンの中で、出来事を見る。そこにコミットしている自分を見る。そうしたら、「東京と福岡しか残らない」という言明が全くナンセンスだということは分かるはずなんですよね。だって、今から100年前に人口が5000万人の日本は列島全域に人が暮らし、政治活動が行われ、経済活動が行われ、教育拠点も医療拠点もあったんですから。人口5000万人でも国力は充実していたという事例が過去にある。過去に「成功事例」があるのにかかわらず、それをモデルにして日本の制度設計をしようという人が今の日本には一人もいないんです。一人もいないんですよ。ゼロなんですよ。大日本帝国時代の成功事例に学びましょうという政治家が一人もいないんですよ。大日本帝国時代の憲法に作り替えましょうということにはあんなに熱心なのに、過去の成功事例から学ぶ気はかけらもない。これ、おかしいと思いませんか。

 今日本の農業は壊滅的な状態です。自給率38%と言いますけれど、東大の鈴木宣弘先生によると、実際にはもう10%を切っているということです。日本の農業従事者はあと10年ぐらいで3分の1ぐらいにまで減ると予測されています。このまま放置しておけば日本から農業なくなる。どうして日本の農業がなくなることにこれほど政府や財界が無関心なのか。それは農業がなくなってしまったら、もう農耕が行われていた土地には住む人がいなくなるからですね。そこに生業がなくなってしまうんですから、行くところがない。みんな仕事を探して都市に集まってくる。日本の農業が壊滅すれば、人口の一極集中はさらに加速する。それをめざしているんです。
 これ、既視感のある風景なんですよね。人々が農業を営むことができなくなって、生産手段を失った自営農たちが都市部に集まって賃労働者になっていったっていう風景は。これは世界史で習った「囲い込み」ですね。
「囲い込み」というのは、それまで農地だった土地を資本家が買い上げて、周りに柵をめぐらせて、「立ち入り禁止」にしたことを指します。「囲い込み」によって地方に生業の拠点を失った人々が都市に集住して、自分の労働力を売るしかないプロレタリアになり、彼らの労働価値を収奪することで英国の資本主義は発展を遂げた。マルクスの『資本論』を読むと、たしかにそう書いてあります。
「囲い込み」が行われるまで、広い土地が村落共同体の共有地(コモン)でした。そこには森があり、川があり、野原があった。村落共同体のメンバーはコモンで自由に牧畜をしたり、狩猟をしたり、魚を釣ったり、果樹やキノコを取ったりすることができた。ですから、コモンが豊かであれば、個人資産が少ない人でも豊かな生活が送れた。この仕組みはヨーロッパでは中世からずっと続いていたんですけども、さまざまな理由をつけて村落共同体のコモンが買い上げられて、富裕な貴族や商人の私有地になった。共有地を失ったことでたくさんの人が没落していった。でも、囲い込みがもたらしたはそれだけじゃないんです。囲い込みはただ農民たちから共有地を取り上げただけじゃない。人為的に過疎地と過密地を作り出したんです。
『資本論』には「資本の原初的蓄積」の分析に割かれた章があります。タイトルは堅苦しいんですけども、ここが僕は読んでいて一番おもしろかった。どうして資本主義は成功したのか。実は資本主義が英国で「テイクオフ」を果たしたときにやったことは一つだけなんです。それまで地方に等しく分散していた人口を移動させて、人口過密地と人口過疎地をつくった。それだけなんです。実質的にはこれしかやってない。もちろんさまざまな科学技術上のイノベーションがあって、産業革命は起きたわけですけれども、資本主義が成功した最大の理由はこれなんです。過疎地と過密地を人工的につくり出した。
 農業というのは生産性が低い産業ですから、狭いところに多くの人が集住する。この土地を買い上げて彼らを追い出した資本家たちがそこで何をしたかというと、農業より生産性の高い産業に切り替えたわけです。19世紀のイギリスにおいては、これは牧羊でした。毛織物が基幹産業の時代ですから、かつての農地を牧羊地にした。牧羊というのはマンパワーが非常に少なくて済む「生産性の高い」産業なんです。マルクスによると、農業の100分の1の従事者で同じだけの利益を上げることができた。人件費コストが100分の1になる。それまで100人の農夫が暮らしていた土地に羊飼いが一人いれば済む。それを組織的に行ったのが「囲い込み」なんです。
 これは資本主義の成功体験として骨身にしみついているんです。困ったことがあったら、人口過密地と人口過疎地を人為的につくり出せ。人口過密地では地価が上がり、物価が上がる。労働者の替えはいくらでもいるから賃金は下がり、雇用条件は切り下げられる。人口過疎地にはそのつど「最も生産性の高い産業」を誘致する。だから、都市に人を集まって、地方に人がいなくなることは、資本主義的には何の問題もないんです。むしろ歓迎すべき事態なんです。今の日本の政治家や官僚やビジネスマンが資源の地方分散のために指一本動かさないのはそのせいです。それが資本主義の理にかなっているから何もしないでいるのです。
 今、日本で起きているのは「21世紀の囲い込み」です。落ち目の日本資本主義をなんとかV字回復するために、過去の成功体験に学んで、過疎地と過密地を意図的につくり出そうとしている。人口も資源も東京に一極集中させる。残った地方はできれば過疎地を通り越して、無住地にしたい。無住地の方が過疎地よりも資本主義的には圧倒的に有利な状態だからです。
 今回の能登の地震で分かるとおり、過疎地は扱いが難しいんです。地域住民があれこれと復興事業や行政サービスを要求するからです。「いっそ人口ゼロになった方がまし」だと政府も自治体も、口には出さないけれども腹の中では考えている。早く住民がゼロになってくれないかなと思っている。無住地になってしまえば、もう行政コストはかからない。道路を通す必要もないし、上下水道を通す必要もない。行政機関を置く必要ない、警察も要らない、消防も要らない、学校も要らない、病院も要らない、何も要らない。無住地なら管理コストゼロです。
 ゼロどころか、人が住んでいなければ、何でもできる。原発を作ろうと、ソーラーパネルを並べようと、風力発電用風車を建てようと、産業廃棄物を棄てようと、誰も反対しない。空気を汚そうと、水を汚そうと、森林を切り倒そうと、何やってももう「地域住民の反対」というものがない。生態系をいくら破壊しても、抗議する人がいない。だって、そこには人が住んでいないんですから。
 これは苦境にある日本資本主義の延命にとってはものすごく「おいしい話」なんですよ。だから、一極集中が加速するのは当然なんです。単に若い人が都市の華やかさに惹かれてふらふらと故郷を離れるというだけの話じゃなくて、日本資本主義がそれを誘導しているんです。東京と福岡だけ残って、あとは無住地、生態系破壊し放題というのは、日本資本主義の「夢」なんです。
 今すでに日本の国土は可住地が30%です。70%が無住地です。日本は山が多いから仕方がありませんが、これが今から10年、20年のうちにこれが80%になり、90%になる。日本列島のほとんどが人の住めない土地になる。鉄道も道路も通っていないし、上下水道もないし、ガスも水道もない。警察も消防もないし、学校も病院もない。生態系の維持のために政府はもうコストを負担しないのですから、治山治水ということはなされないから山は崩れ、川は氾濫する。でも、地域住民がいないんですから別に誰も気にしない。そういう日本の未来像を「たいへん好ましい」と思っている人たちはさすがに今の日本の指導層にもいないと思います。でも、このままだとそうなるかも知れないということについては何の危機感も抱いていない。ただ、「市場の要請」に従って、言われたとおりのことをしている。
 
 ここにいる高校生の人たちにはぜひ僕の話をよく聞いてほしいんですけど、これは今、日本で起きつつあることです。皆さん方が大きくなる頃には、若い人の中には生きて22世紀を迎える人もいると思いますけれど、その今から80年後の日本列島がどうなっているか、それを見届けて欲しいと思います。
 よほど賢い政治家が出てくれれば、今、僕が描いたようなディストピアにならなくて済むかもしれません。でも、よほど賢い政治指導者が出て来なければ、だいたい僕が想像した通りになると思います。高い確率でこういうディストピアが展開する。ですから皆さんは、今の段階から「絶対にそういうことをさせない」と腹をくくって、日本という国をこれからどうすべきか。どう守るか、それを考えて、実践して行って欲しいのです。
 とにかくまずは生態系を守る。森や山や海や川を守る。それぞれの土地に固有の産業を守る。伝統を守る。宗教を守る。教育と医療を守る。
 自給自足しなきゃいけないものってとりあえず4つあります。エネルギーと食料と医療と教育です。これは海外にアウトソーシングしてはいけないものです。外国に頼ってはいけない。
 日本はエネルギーは自給率13.3%です。食料自給率は38%。医療はかろうじて自給自足できていますが、これも「医療費に税金を使い過ぎる」とずっと批判され続けています。アメリカの保険会社の圧力を受けて国民皆保険制度を壊そうとしている人たちが政府部内にいる。そして、教育だけは久しく自給自足してきましたが、これも今は危うくなりつつある。
 明治人は高等教育機関の地方への分散だけでなく、日本語で、日本人が高等教育を受けることができるシステムの整備に努めました。その結果、いまの日本は母語で高等教育を受けることができて、母語で論文を書いて博士号がもらえる世界でも例外的な非欧米言語圏の国です。でも、それもいつまで維持できるかわかりません。いろいろな分野において、最終学歴がアメリカの大学院でないと日本では使いものにならない、つぶしが効かなくなってきているからです。今の自民党の国会議員たちも、世襲の二代目三代目議員はおおかたが最終学歴はアメリカの大学か大学院です。別にアメリカにいかなければどうしても学べないことがあるからアメリカに留学しているわけではなく、ただ学歴に「箔をつける」ために留学している。でも、エリート層が国内ではなく海外の最終学歴を誇るようになるというのは、決してよいことではありません。「東大よりハーヴァードの方がレベルが高い教育を受けられるんだから、アメリカに行けばいいじゃないか」と平気で言えるような人たちは、明治の先人たちが必死につくりあげてきた「母語で世界最高レベルの教育研究ができる仕組みを作る」という悲願を理解していない。
 国立大学の独法化以後、運営交付金が減らされて、日本の国公立大学の学術的発信力は急坂を転げ落ちるように劣化しています。でも、これをどうやって回復させるかについて、政府には何のアイディアもありません。エリートたち自身がアメリカの大学、大学院を出ていて、その学歴を足場にしてキャリアパスを形成したという「成功体験」があるので、日本の高等教育機関を「アメリカと同じレベルにする」ことについてのインセンティヴがないんです。あるはずがない。だって、日本の大学のレベルが低ければ低いほど、自分のアメリカの最終学歴が輝くという仕掛けになっているわけなんですから。
 たぶん今の高校生の中でも、日本の大学に行ってもしょうがないと思っている人もいると思います。なんかつまらなそうだし、教員たちは疲弊して不機嫌そうだし、たしかに大学を見渡しても、まったく自由な感じがしないし。ですから、僕が今高校生で、親が金持ちだったら、親に泣きついてアメリカの大学に行かせてくれときっと言うと思いますね。アメリカでなければ、中国か韓国か。なんだかそっちの方が日本より楽しそうだから。
 そこまで高等教育のアウトソーシングが進んでいる。この状況を明治の先人が見たらどう思うでしょう。せっかく汗水たらして、母語で高等教育ができて、母語で行った研究が世界レベルの質に達する体制を築こうとしてきたのに、それを日本人の政治家たち自身が進んで土台から崩そうとしている。それがどれほど国力を殺ぐ行為なのか、自殺的な行為なのか、誰も声に出して言わない。
 フィリピンはもともとスペインの植民地でしたけれど、19世紀末の米西戦争でアメリカの植民地になりました。だから、フィリピンは、政治家もビジネスマンも大学教師もみんな英語を話します。当然高等教育は英語で行われ、論文は英語で書かれる。フィリピンに行くとみんな英語が上手なので、「フィリピンの人はいいな、元がアメリカの植民地だからみんな英語がうまくて羨ましい」とそういうことを平気で言う人がいる。でも、これは一面から言えば悲劇なんです。フィリピン人の母語はタガログ語です。母語は生活言語としては使われていますが、政治や経済や自然科学のような抽象性の高いことを語る場合には、母語では語彙が足りない。だから、英語で語るしかない。外国語でしか自己表現をすることができない。これは大きなハンディキャップです。
 人間が知的イノベーションができるのは母語によってだけです。これはぜひ覚えておいてください。脳裏にアイデアの片鱗が浮かんできて、それがうまく言えないんだけど、「なんて言ったらいいんだろう」とじたばたしているうちに、ふっとある言い方を思いつく。それを口にした瞬間に、それが前代未聞のアイディアであっても、聴いた人が「ああ、なるほど。そんな考え方があるんだ」と頷いてくれる。こういう対話は母語でしかできないんです。新しいアイディアというのはしばしば「初めて聴くけど、どこか懐かしい」という印象をもたらすものなんですが、これは母語を共有する人間同士の間でしか起きない。
 新語というのがありますね。ネオロジスム。これは母語でしか作れないんです。あまりにもカラフルな例なので、もう何度もあちこちに書きましたが、20年くらい前、野沢温泉で露天風呂に浸かっていたら、大学生らしき二人がやってきて、露天に浸かると同時に「やべ~」と言ったんです。僕はそのとき、その表現を初めて聴きました。「やばい」はもともと犯罪者の隠語で「危険だ」という意味ですが、それが日常語になり、ついに「たいへん気持ちがよい」という意味に転義したと今の国語辞典には書いてあります。興味深いのは、彼らがその言葉を使ったときに横で湯に浸かっていた僕が一瞬のうちにそのニュアンスが理解できたっていうことなんです。
 変だと思いませんか? 初めて聞いた言葉なのに。「やばい」が新たな語義を獲得したことが一瞬で分かった。それはこの新語が母語から湧き出てきたものだからです。母語話者は全員母語のアーカイブを共有している。この母語のアーカイブにはかつて日本列島で口にされ、文字に書かれたあらゆる語が、あらゆる表現、あらゆる音韻が蓄積している。もちろん、僕たちはそのアーカイブに含まれる語や表現や音韻のうちほんの一部しか今は使っていません。奈良時代の日本人が話していた言葉のほとんどはもう僕たちの語彙にはない。にもかかわらず、母語のアーカイブから湧出してきたものだから、それが初めて聴く語でも意味が分かる。
「真逆」という語も初めて聴いた時にニュアンスが分かった。「正反対よりちょっと強め」ですね。でも、「真逆」って読み方って変じゃないですか。これ「湯桶読み」でしょう。なぜ「ま・さかさま」にも「しん・ぎゃく」にもならずに「真逆」を「まぎゃく」と読んだのか。もしかしたら最初は「真逆様」という文字列を国語のあまりできない生徒が「まっさかさま」じゃなくて「まぎゃく・さま」と読んで教室で大受けしたとか、そういう前史があるのかも知れませんが、とにかくよくできた新語でした。
 初めて聴いた語なのに意味が分かる。それがネオロジスムが成立する条件なんですけれど、この条件をクリア―できるのは母語においてだけなんです。これは外国語ではできないんです。絶対無理です。go went goneという変化を覚えるのが面倒だから、これからは go goed goed にしませんかと提案しても、英語話者は受け入れてくれない。僕が間違えて I goed to the station と言っても、もちろん英語話者は僕が何を言いたいのかはわかるはずです。でも、それを「新語」として認めて英語の新しい語彙に入れてはしてくれない。それはただの「間違い」です。新語を作り権利があるのは、ネイティブ・スピーカーだけなんです。母語話者じゃない外国人がどんな間違いをしても、それは英語の辞書には登録されない。
 だから、母語がリンガ・フランカである話者たちというのは、圧倒的なアドバンテージを持つことになる。次々と母語のアーカイブからネオロジスムを汲み出すことができるんですから。自然科学であっても社会科学であっても人文科学であっても、新しいアイデアというのは、さっき言ったように、最初にまずアイデアの尻尾だけが見える。まだそれをうまく言い表す言葉がない状態で脳裏に浮かぶんです。その尻尾からたぐり寄せていって、それにふさわしいネオロジスムを作り出す。どんな斬新なアイディアでも、母語話者同士なら、それが何を意味するのか、なんとなく分かる。そのできたばかりのアイディアが専門家集団の間で共有されて、そこに新しい学術的パラダイムが成立する。
 これが「母語の生産性」ということなんです。だから、高等教育機関は母語でやらなきゃいけないということを僕は申し上げているんです。もし日本の高等教育機関が全部英語ベースになったら、ふと思いついたアイディアの尻尾を言葉にするためには、それにふさわしい「辞書に載っている語」を探し出さないといけない。でも、「辞書に載っている語」の数は母語のアーカイブに蓄積している語の何百万分の一、何億分の一なんですよ。母語から汲み出せば、もう何百年も使われていない語が「ぴったり」だったということはあり得るんです。でも、英語でそれを語れと言われたら、「今辞書に載っている語」の中から探し出さなければいけない。子どもの頃から英語圏で育って純粋な日英バイリンガルという人だったら、日本語、英語の両方を母語のアーカイブとして利用して、日本語の古典も英語の古典も縦横に引用できるかも知れませんけれど、そんな人はほとんど存在しません。
 母語で高等教育を行わなければならないということの意味がそれでお分かりになると思います。帝国主義国家がすべての植民地で、学校教育を必ず宗主国の言語で行わせるのはそのためなんです。植民地では絶対に知的なイノベーションが起きないようにしている。植民地の現地語で高等教育まで行えるようなシステムをうっかり許してしまったら、原住民の秀才の中から、宗主国民を知的に凌駕する人物が出てくる可能性がある。宗主国と植民地の権力関係を固定しておくためには、高等教育を母語で行わせないということは必須の政策なんです。
 でも、今、日本の教育行政は自分から進んで「母語では高等教育ができない状態」にしようとしている。大学も大学院も、英語で授業をしよう。それが世界標準にキャッチアップするためには必要だ、と。それは正しいんです。でも、それは教育後進国の発想です。「うちの大学では全教科英語でやります」というのは、「絶対に知的イノベーションができない学校を作ります」と宣言しているのに等しい。
 いや、繰り返し言いますけれど、もちろん英語をしっかりやるのはいいことなんですよ。英語圏の高等教育機関に進学して、日本ではできない勉強ができるというのは知的可能性を広げるという意味では素晴らしいことです。でも、初等中等教育のレベルで、英語教育を優先して、日本語のアーカイブにアクセスする技術を教えないのは、知的イノベーションということに関して言えば、自殺行為です。
 中学で古文や漢文をやるのは、別にそこに書いてあることを覚えるためではありません。そうではなくて、これらのテクストは、現代日本語と共に「母語のアーカイブ」を形作っているから、割と簡単に、それを使いこなせるようになるということを実感させるためなんです。古文は英語よりはるかに簡単ですよ。だって、同じ「生地」でできているんですから。
 英語教育を日本語教育より優先する学校はたいてい「1年間海外留学必須」を看板にしています。これは大学経営者にしてみたら悪くない話なんです。1年間海外留学したら、その1年間は授業しなくていいわけですから。授業料は満額取って、中抜きして留学先に残りを払う。授業がないんですから、教員人件費は4分の1になる。学生がキャンパスにいないんですから、光熱費も4分の1、機材の損耗も4分の1カットできる。そのうち誰か賢いやつが「留学2年にしませんか?」と言い出す。賢いですよね。そうすれば人件費は50%カットできますし、教室数もキャンパスの面積も半分で済む。でも、そうやって考えると、海外に教育をアウトソースすると、4年間留学必須という学校が一番儲かることになる。もう大学が要らない。キャンパスも要らないし、教職員も要らない。「海外留学必須」を売りにしている大学の人たちは、それはが大学がなくなるときに利益が最大化する仕組みだということに気がついていない。そのことの没論理性になぜ気がつかないでいられるのか。
 もちろん学生たちを海外に送り出して見聞を広めてもらうというのは端的に「いいこと」なんですよ。でも、その「いいこと」に寄りかかれば寄りかかるほど、自分のところの教育機関として存在理由を掘り崩すことになるということを忘れてはいけない。教育のアウトソーシングはそういう「諸刃の刃」なんです。取り扱いが難しいものなんです。でも、そのことに気がついている大学人はきわめて少ない。

 株式会社立大学っていうのがありました。今でもいくつかあります。若い人はたぶんご存じないと思うんですけど、2004年に小泉純一郎政権の頃にさまざまな規制緩和が行われましたが、その一環です。それまで学校法人の設立にはうるさい条件が課されていたんですけれど、「特区」を作って、そこではビジネスマンでも大学を作れるという新しいルールを制定した。
 株式会社立大学を勢い込んで建学した人たちの言い分は「大学の教員たちは世間知らずで、ビジネスをまったく分かっていない。世間知らずの学者が経営しているからうまくゆかないのである。われわれ実務経験者が経営すれば、最先端の知識と技術を教えるので、志願者が殺到して、大学はがんがん儲かるようになる」というものでした。たしかに、学者にはビジネス経験のある人はまずいませんので、マーケティングの理屈もわからないし、財務諸表の読み方も知らない。それは本当です。でも、いざ株式会社立大学をつくってみたら、大繁盛するどころから、短期間のうちにほとんど軒並みつぶれました。
 まあ、考えれば当たり前ですね。だって、ビジネスマンからすると、教育活動はそれ自体が「コスト」なんですから。教員の人件費も、教室や校舎のような教育のための空間の建設と維持費も、図書を買うのも、全部コストです。コストの最小化はビジネスの基本ですから、ビジネスマンの大学経営者は「できるだけ教育活動をしない」というやり方を選んだ。教育活動をしなければ、教員も要らないし、キャンパスも要らないし、図書館も要らない。学生たちだって別に勉強がしたいわけじゃない。できるだけ楽をして学士号が欲しいと思っている。だったら、「教育活動をするふりをして、授業料だけもらって、卒業させる」というのが大学にとっても学生にとっても「Win-Win」の関係じゃないか。そう考えた。
 学生たちの学習努力は「貨幣」であり、卒業証書は「商品」であると考えた。そうであるなら、教育活動をしないで、したふりをして卒業させてくれる大学に学生たちは殺到するであろう。そうやって都心の貸しビルをキャンパスにして、ビデオを見せて授業に代え、大学に来なくてもレポートをメールで送るだけで単位を出したりしました。こうやって教育活動に要するコストは激減しました。ビジネス的には大成功のはずでした。でも、もちろんそんな学校には学生は来ませんでした。
 たしかに授業に一度も出ないで、試験やレポートは友だちのを丸写しして、いかなる学習努力もせずに大学を出たということを「成功体験」として語る人はいます。でも、そんな人は声は大きいけれど、ほんの一握りであって、ほとんどの学生は教育を受けて、それまでの自分とは違うものになろうとして大学に来ます。彼らは「消費者」ではないのです。その点を株式会社立大学のビジネスマンたちは根本的に勘違いしていた。
 消費者は買い物をする前と後で人間が変わりません。店舗の中で何時間過ごそうと、何年過ごそうと、入店する前と後では、買い物かごの中の商品が加算されただけで、消費者自身の人間は1ミリも変わらない。ショッピングカートに一つ商品を入れるごとに、言葉づかいが変わったり、表情が変わったり、感情表現が変わったり...ということは買い物においては絶対に起きません。消費者というのは、そこに配列してあるすべての商品について、入店する前からその価値と意味を熟知しており、棚にある商品から「何ごとかを学ぶ」ということはないのです。
 株式会社立大学の失敗はこの点にあります。彼らは学生を「消費者」だとみなした。学生たちは「人間そのものはまったく変化せず、ただ知識や技能や免状や資格が加算された状態で卒業すること」をめざして大学に来るものだと信じ込んでいた。でも、それは違うんです。
 学生たちはやはり無意識のうちに「成長する」ことを目指しています。大学に来ることで、それまでの自分とは違う自分になれるかも知れないと期待している。実際に、多くの学生は、「高校生のころまではそんな学問がこの世に存在するとは知らない学問領域」を専攻します。これはスーパーに買い物に来る消費者モデルではあり得ないことです。出るときには入る前とは別人になるということは買い物においてはあり得ません。
 ビジネスマンは「教育」ということの意味がわかっていなかった。だから、どうして「最低の学習努力で学士号が手に入る」合理的な大学に志願者がさっぱり集まらないのか、最後までわからなかった。でも、この株式会社立大学の歴史的失敗のことを、今は誰も語りません。そして、ほとぼりが冷めた最近になって、またぞろ「産業界の要請」という大義名分を掲げて、「実務経験者を大学教員に採用するように」とうるさく言ってきています。今度は「スーパー」じゃなくて「ファクトリー」のイメージでの大学改革をめざしているようです。
 指示された材料を調えて、きちんと工程管理をすれば、納期までに仕様書通りの「製品」が予定個数だけ完成する。そういうファクトリー・モデルで大学を再編しようとしています。学生の扱いは前よりも一段落ちています。前は曲がりなりにも「消費者」という「ヒト」だったのに、今は「製品」という「モノ」にまで格下げされた。
 でも、そんなことをしていいはずがない。人間は缶詰や自動車のように仕様書通りに製造できるものじゃありません。そもそも「工程管理」なんかできるはずがない。教える側だって、いったいこんなこと教えてどんなアウトカムが出てくるのか、見当もつかないままやっているんです。なんとなく学生の「食いつき」がいい話をしていると、学生たちの中で何かが起動するのがわかります。「学び」が発動している。「学び」が発動したら、あとは自学自習です。好きにやってもらう。教えて欲しいことがあると言って来たら教える。読みたい本があると言われたら本を与える。会いたい人がいると言ったら手を尽くして紹介する。教師がするのはそれくらいです。
 学生たちは自分で自分を成長させるんです。ベルトコンベアーに乗っているうちに味がよくなる缶詰とか、自力で性能を向上させる自動車なんてものは存在しません。でも、僕たちが教育活動で相手にしているのは、そういう「なまもの」としての人間なんです。
 そりゃ、たしかに大学の教師は世間のことを知りません。金儲けにも疎い。でも、教育がどういうものであるかは知っている。とりあえず明治の始めから150年にかかって創り上げてきた教育制度が今土台から崩されようとしていることに対してはつよい危機感を持っている。今ならまだなんとか立ち直らせることができるかも知れない。でも日本国民の大半は、今教育が危機的な状態にあることを理解していない。日本国民の大半が理解していない。今、何が起きているか理解していない。 

 僕は今日こういうところで講演するために神戸から飯能まで来ました。僕だって結構つらいんですよ。疲れてるんです。でも、人の前で話す機会があったらとにかく話そうと思ってきてるんですよね。伝道師ですからね。
 危機的とはいえ、日本には豊かな資源があります。まだ1億2500万人の人口はあるし、エスタブリッシュメントにはあまりろくなのがいませんけれども、裾野には賢い人がまだいっぱい残っている。だからまだ復元力はあると思う。でも、この復元力を早く発揮していかないと、先にゆけばゆくほど日本の崩壊を防ぐことが難しくなってくる。
 一番緊急なのは、首都圏に人が集まって、それ以外のところが過疎化、さらには無住地化する。本当にそうなんですよ。僕の友達で想田和弘さんという映画監督がいます。彼は岡山県の牛窓っていうところにいて、映画を撮っているのですけど、2年ほど前に牛窓の彼のところに遊びに行ったことがあります。そのときに牛窓の山の上に連れて行ってもらいました。すばらしい景色でした。南と東と西に瀬戸内海が広がっていて、絶景なんです。その時に想田さんに「北を見て」って言われて振り返ったら、北側はちょうど湾の形に真っ黒なものが広がっているんです。「あれ、何?」って聞いたら「太陽光パネル」だと教えてもらいました。
 そこはもともとは錦海湾という湾なんですよね。水深の浅い湾で、そこで魚が産卵する。瀬戸内海の魚の豊かさの宝庫みたいなところだったんです。そこを干拓して、1970年代には干拓地でビジネスやろうという話になって塩田にしたんです。でもすぐに立ち行かなくなって、製塩は廃業した。あとは使い道がないんです。土は塩を含んでいますから農業ができない。仕方がないので、製塩工場や産業廃棄物の廃棄場になった。そして数年前に太陽光パネルを敷き詰めて、「日本最大のメガソーラー」というものになった。湾の形が真っ黒に塗りつぶされている。
 僕は、かつてあれほど醜悪な自然破壊を見たことがありません。本当に醜いのです。あれと同じことがこれから日本中で起こると思うと気持ちが暗くなります。今も太陽光パネルをあちこちで敷設しています。想像してほしいんです。日本の平地という平地、山という山が太陽光パネルで埋め尽くされている風景を。海岸には風力発電の風車が林立していて、原発があって、産業廃棄物の廃棄場がある。「使い道のない土地がある」という口実さえあれば、過疎地・無住地にはそういう広漠たる光景が広がる。それが何十年間あとのディストピアの光景です。それをリアルに想像してほしいんです。
 ディストピアを語る理由は、ディストピアのありさまをこと細かに語るとディストピアの到来を阻止できる可能性があるからです。これは人類のある種の知恵なんだと思う。「ディストピアもの」が書かれ出したのは20世紀に入ってからです。オルダス・ハクスリーの『すばらしき新世界』とジョージ・オーウェルの『1984』がたぶん最初です。でも、ディストピアSFが大量生産されたのは1950年代、60年代のアメリカなんです。その頃に大量生産されたのは、米ソの間で核戦争が起きて、世界が滅びるという話です。わずかなヒューマンエラーによって核戦争が始まり、文明が消滅する。そういう話です。映画であれ、テレビドラマであれ、漫画であれ、小説であれ、膨大な数のディストピアムが書かれた。僕はその頃SF少年だったので大量のSFを読みました。『博士の異常の愛情』とか『猿の惑星』とか世界が核戦争で滅びる映画はたくさん作られました。
 でも、あれだけ大量の「核戦争で世界が滅びる物語」が作られ、流通しながら、戦後79年経って、まだ核戦争が起きていないんですね。世界中に核兵器保有国がある。米国もロシアも中国もフランスもイギリスもイスラエルもインドもパキスタンも北朝鮮も持っている。たぶんイランも持っている。地球を何十回も破壊できるだけの核兵器を人類は何十年も保有し続けている。でもまだ誰も核兵器のボタンを押していない。どこかで阻止されているわけですよね。心理的な壁があって、これを押すと人類が終わるということがわかるから、押すことができない。人類が終わるとわかるのは、子どもの頃から核戦争で人類が滅びる物語を飽きるほど浴びてきたからですね。人類の愚かさで世界が滅びるそのディストピアの風景というのがあまりリアルなので、さすがに最後のボタンを押すことができない。
 僕はそうだと思います。だから、ディストピアを語ることには意義がある。到来するかも知れないディストピアについてはできるだけ詳細に語る。どういうヒューマンエラーが世界が滅びるきっかけになるのか、それをありとあらゆる場合についてシミュレーションしてみる。次から次と「フェイルセーフ」が破綻して、最悪の事態に向かって、まっすぐに破滅してゆく。そういう話をほんとうに多くの作家たちやシナリオライターたちが考え抜いた。
 もちろんそれは杞憂であり、妄想なんです。でも、妄想を暴走させることが時には必要なんだと僕は思います。どんな妄想でも、微細にわたって記述されれば、そのような妄想的な未来が到来することを防ぐ効果はある。これは、僕がSFから学んだことなんですね。
 世界の終わりについてのディストピアの物語がディストピアの到来を防ぐことができるためには条件が要ります。それは大量生産、大量流通、大量消費ということです。限られた少数の人たちだけの間で語り継がれてもダメなんです。エンターテインメントとして、世界中の人が、ディストピアの物語を「享受する」のでなければ、ディストピアの物語がディストピアの到来を防ぐことはできない。
 だから、僕はこうやってみなさんの前に立って、こんな変な話をしているんです。それはみなさんにうちに帰ってしゃべってほしいんですよ。「今日、内田ってやつが講演に来て、変な話ししててね。このまま行くと東京に人口が一極集中して、あとの土地は無住地になるって言うんだよ。変な話でしょ。で、人が住まなくなったところには太陽光パネルや風車や原発だけがあって、その辺をサルやイノシシやクマが走り回っていて、幹線道路から一歩降りたりすると野獣に襲われるなんて・・・変な妄想を語っていたよ」って話して欲しいんです。そのディストピアの光景についての「変な話」を広げてほしいんです。家で話して、学校で話して、職場で話して...、そのうちに、たくさんの人が日本列島の最悪の未来について具体的なイメージを持ってくれたらいい、そう思って僕はしゃべっているんです。これは「核戦争で世界が滅びる話」と同じなんです。人類は79年間そういう話をし続けてきた。そして、今のところまだ核戦争は起きていない。日本列島が荒れ果てた無住地になる話をしている限り、そんな未来の到来は防げる。
 逆に言えば、誰もそんな未来を想像しなければ、そんな未来があっさり到来するかも知れない。そういうものなんです。想像力の現実変成力を侮ってはいけません。「こんなことが起きるんじゃないか?」って想像すると、それが「図星」を当てられた人間はさすがにちょっと立ち止まるんです。過疎地を無住地にして、そこに太陽光パネルとか風車とか原発とか産廃廃棄場を作る気でしょうと言い当てられると、さすがにいきなり「そういうこと」はしにくくなる。別に罪の意識に駆られてということじゃなくて、「頭の中味を言い当てられる」と人間は立ち止まるんです。さすがに恥ずかしくて。自分の頭の中って、そんなに外に「筒抜け」になるほどシンプルなのかと思うと、さすがに恥ずかしいから。だから、「違う」と言う。「そんなこと考えてない」と言い出す。とりあえずはそれでいいんです。「あなた、これからこういうふうにしようとしているでしょう」と言われると、「そんなこと考えてない」と必ず反射的に答える。人間はそういうものなんです。だから、とりあえず、それで立ち止まらせることができる。もちろんわずかの間のことです。でも、その次に考えそうなことについても、先回りして、「こんなことを次は考えているでしょう」と言い当てられると、やはりそこでもしばらくは立ち止まる。そうやって、次の悪知恵をひねり出すまでの間、最悪の事態の到来を一コマずつ先送りすることはできる。
 僕がこうやって一生懸命語っているのはそのためなんです。ストーリーを共有したいんです、皆さんと。皆さんもとにかくディストピアを細部まで書き込んでひとりひとりのディストピア物語をつくってほしい。

 島田雅彦って作家がいます。最近『パンとサーカス』っていう小説を書きました。先日文庫化されて、僕が解説を書きました。これはディストピア小説です。日本がアメリカの属国になって、ひたすら収奪されて、見る陰もなく貧しく卑しい国になるプロセスが実に生き生きとした筆致で描かれています。どうしてこの人はこんなにうれしそうに書くんだろうって思うくらい、日本が駄目になっていく過程が活写されている。でも、あれは島田雅彦の日本への愛なんだと僕は思うんです。日本を愛してるがゆえに、日本はこんなふうになって欲しくないと思うと筆が走ってしまう。そういうものなんです。今、僕たちがやるべきことは、妙に訳知りなことを言うのではなく、「あんた、それは妄想だよ」と言われても、そういう未来にだけは絶対に行きたくない「実現して欲しくない未来」について、微に入り細を穿って記述することだと思うんです。そんな日本にだけはなって欲しくないディストピア日本の光景をくっきりと提示する。それがそんな未来を実現させないためには間違いなく効果的なんです。
 あ、もう時間になってしまいました。「教育と自由」の話はどうなったのかって、大変申し訳ない。ちゃんと結論はあらかじめ言っておいたので、良かったですけどね。知性の自由というのは、長いタイムスパンの中、広いランドスケープの中で世界を見るということです。長い歴史的コンテクストの中で現実を見るということです。
 ただ、僕が「コンテクスト」というのは、ふつう歴史学者がいうそれとはちょっと意味が違うんです。歴史学で言う「コンテクスト」というのは過去のことですよね。これこれこういう歴史的事実があって、その帰結として何が起きたという因果関係が明らかにされる。歴史学はそういうものです。歴史学は当たり前ですが未来がどうなるかについては語らないんですよね。それは歴史学者に限らず、学者は未来については語らない。未来は何が起きるか分かりませんからね。未来については語らないというのは学術的厳密性からいったら当然のことなんです。だって、未来についての予言なんておおかた外れるわけですからね。
 でも、僕は「外れて欲しい」から未来を語っているわけですよね。こういう未来だけは実現して欲しくない。僕の予測だけは絶対に外れて欲しい。だから、「こうなる」と断定しているんです。これ、本当に一生懸命やってるんですよ。本当に。大変なんですから。日本中呼ばれるとどこでも行って、「日本はこうやって滅びる」という話をしているんです。ぜんぜん受けない場合もあります。それでも一生懸命語っています。僕は「ディストピアの伝道師」なんです。
 僕は『フォーリン・アフェアーズ』っていうアメリカの外交専門誌を定期購読しているんですけれど、アメリカの政治学者たちについて一番感心するのは、彼らがほんとうに「ディストピア的未来」について想像するのが好きだという点ですね。これは核戦争を阻止したという成功体験があるからなんだと思います。今月号の特集は「米中戦争」でした。米中戦争がどういうようなきっかけで起きて、どういう展開になっていくのか。日本や韓国はどうなるのか、その悪夢的な未来が事細かに書いてある。さきほど読んだ中ですごいなと思ったのは、日本と韓国に核武装させろという論文でした。アメリカは中国に対してやっぱり強く出ないといかん、と。中国に対して宥和的な姿勢を示すと、中国はひたすら図に乗ってきて、東アジアでの膨脹政策に歯止めがかからない。だから、中国に対して強攻策に出るほうがいいと。そして、一番効果的なのは、日本と韓国に核武装させることだと言うんです。日本と韓国が核武装すると、東アジアの地政学的安定性は失われる。わずかな誤認や誤解がきっかけになって核戦争が始まるリスクが一気に高まる。中国は東アジアで核戦争が起きることを望んでいないので、「このまま強気で来るつもりなら、日韓に核武装させるぞ」と脅したら、アメリカとの軍縮交渉協議のテーブルに着くかも知れない。そういう論文が出ていました。
 ずいぶんひどいことを書くなと思いながらも、アメリカではこういうタイプの政治的想像力の使い方を重んじるということはよくわかりました。この論文を書いている政治学者はこれを別にアメリカの政策決定者に向かって提言しているわけじゃないんです。これを中国共産党の指導部が読むことを期待して書いている。『フォーリン・アフェアーズ』は中国共産党指導部の必読文献ですからね。アメリカは場合によっては日韓の核武装と、東アジアでの限定的な核戦争についても腹を括っていると中国に思わせた方が交渉上は有利だと思って、「ブラフ」を仕掛けている。
 そういう政治的マヌーヴァーとしての効果を狙った論文だと思うんですけれども、読んでいてがっくりしたのは、「日本は唯一の被爆国で核兵器に対してははげしいアレルギーがあったが、このところの自民党政治のおかげで国民の中には核アレルギーが希薄化しているので、『核武装したいか?』と水を向けたら日本人は嬉々として核武装するだろう」と書いているところでした。アメリカが日本人の政治意識の低さを見下していることが行間から滲み出していました。
 それでもやはり、東アジアで中国と日韓が限定的な核戦争をするという状況を想像できるアメリカ人の奔放な想像力には僕は敬意を表します。政治的知性とまでは言わないけど、この奔放な想像力には脱帽しなければいけないという気がする。そこまで考えて初めて「ではどうすれば東アジアでの核戦争は防げるのか」という話が始まる。米中戦争を避けるシナリオをきちんと書くためには、最悪のかたちで米中戦争が始まるのはどういう場合かについて想像力をめぐらせる必要があります。僕もこれまで一生懸命考えてきたんです。どうすれば米中戦争は避けられるか。日米安保条約を廃棄するというのが割と効果的ではないかと、とか。安保条約は締結国の一方が通告すれば1年後には自動消滅する条約です。日米安保条約を廃棄して、中国と日中不可侵条約を結ぶという手もあるんじゃないかなとか。
 もともと卑弥呼の時代から、日本列島は中華帝国の辺境で、親魏倭王とか漢委奴国王という官位を受けていたし、足利将軍は「日本国国王」、徳川将軍も「日本国大君」ですから。辺境の自治領の代官ということで150年前までやってきたわけです。今だって日本の総理大臣はアメリカの属国の代官なわけですから、辺境の自治領として高度の自治を許された「一国二制度」であるという点で言えば、アメリカの属国であっても、中国の属国であっても、どっちも似たようなものじゃないかという腹の括り方だってできないことはない。
 さて、そう提案したら中国共産党指導部はどういう対応をするか。そういうことについて想像力を駆使してみてもいいと思うんですよね。果たして日本の未来にはどういうシナリオがあり得るのかということを。
 でも、日本の政治学者たちは、日本のあるべき未来についてもあって欲しくない未来についても全く想像力を使わない。ただ「日米同盟基軸」しか言わない。それへの賛否の立場の違いはあるかも知れませんけれど、じゃあ、日米同盟基軸に代わって、どういうオルタナティブがあるのかという質問には何も答えてくれない。中国と同盟するという可能性だってなくはない。日韓が同盟する「東アジア共同体構想」の可能性だってなくはない。でも、そういう未来については誰も何も語らない。「日米同盟基軸」一本槍です。でも、そのアメリカの方はさっきの話のように「日韓に核武装させて、これを鉄砲玉にして中国を脅かす」というような非情な構想を公然と語っているんですよ。役者が違う。
 この点に関しては、今、日本は社会全体が集団で病に罹っていると僕は思います。想像力の枯渇という病気です。だから、若い人たちには、奔放な想像力を駆使して頂きたいと思います。「最悪のシナリオ」をどこまで書き込めるか、そこで想像力を試してもらいたい。最悪の事態について書けるためには、きちんとした知識が必要です。歴史が分かっていて、国際政治が分かっていて、それぞれの国民に取り憑いている地政学的な「物語」についても知識がないと「最悪のシナリオ」は書けません。「最悪のシナリオ」をエンターテインメントとして書けるだけの知識と解読力、それを身につけてもらいたいと思います。思考の自由、想像力の自由、僕が高校生諸君に一番求めていることはそれです。少し時間を超過しましたけれど、なんとか言いたいところに着地しました。ご清聴ありがとうございました。(9月7日)