高校生に言いたかったこと

2023-10-14 samedi

 修学旅行で関西に来ている高校二年生200人のための講演を頼まれた。日本の未来を担う若者たちである。長く生きてきた人間としてはどうしても言っておきたいことがある。喜んで引き受けた。
 でも、高校生はせっかくの楽しい修学旅行の最中に(それも晩ご飯の前に)知らない男の説教なんか聞きたくもないだろう。先方は「聴く気がない」、こちらは「袖にすがっても言いたいことがある」。合意形成は難しい。とはいえこちらも教壇に立つこと半世紀という老狐である。絶対に寝かさないで最後まで話を聴かせる術は心得ている。
 それほどたいしたことではない。準備したことではなく、その場で思いついたことを話すのである。その場で思いついたことだから、うまい言葉がみつからない。時々絶句する。でも、絶句というのは聴衆を引き付ける上ではまことに有効なのである。
 結婚式のスピーチで、用意してきた台詞を忘れて、頭が真っ白になって立ち尽くしている来賓がいたりすると、式場は「しん」と静まり返る。全員が注視する。
講演も理屈はそれと同じである。何か言いたいことがあるらしいが、うまい言葉が見つからないで絶句している人が壇上でマイクを握っていれば、高校生だって目を覚ましてくれるだろう。
 私が高校生たちに言いたいことはたくさんある。孤立を恐れるな。多数派に従うな。自分の直感に従え。愛と共感の上に人間関係を築くな。ものごとを根源的に思考しろなどなど。でも、私がした話の中で高校生たちが一番はっきりとした反応を示したのは、「助けて」というシグナルを聴き落とすなという話だった。

「助けて」という救難信号を発信している人がいる。君はそれを聴き取った。周りを見渡すと誰も気づかずないらしく、そ知らぬ顔で通り過ぎてゆく。でも、君には「助けて」が聴こえた。だとしたら、それは君が「選ばれた」ということである。だったらためらうことはない。近づいて、手を差し伸べなさい。
「助けて」にはいろいろな変奏がある。最もカジュアルなのは「ちょっと手を貸してくれない?」という文型をとる。この「ちょっと手を貸してくれない」という声も多くの人の耳には聞こえない。でも、君はそれを聴き取ってしまった。それは「悪いけど、そこのドア開けてれくれる?」とか「その紙の端っこをちょっと押さえててくれる?」くらいのごく簡単な仕事だったりする。でも、「あ、いいですよ」の後の「どうもありがとう」から「何か」が始まることがある。他の人には聴こえない「助けて」が君には聴き取れたのだからそれは君ひとりのために用意された機会だったのだ。
「天職」に人が出会うのはたいていこの「ちょっと手を貸してくれる?」に応じたことによってである。私はそうだった。
 君たちはこれからの人生で無数の「助けて」を聴き取ることになると思う。聴き取れる「助けて」は一人ずつ違う。それは君だけに向けられた救難信号なのだ。だから、決して聴き逃さないようにね。
 そう言って講演を終えた。高校生たちは目を丸くして私を見つめていた。生徒代表の女子が私に花束を差し出しながらにっこり笑って「『助けて』を聴き逃さないようにします」と言ってくれた。