事情があって村上龍の初期の傑作『愛と幻想のファシズム』を読み返した。1984年から86年まで週刊誌に連載されていた小説だから、40年ほど前の日本の「近未来」が描かれている。作家の想像が外れているところもあるし、恐ろしいほど当たっているところもある。
多国籍産業が世界の政治経済を支配し、日本が米国の属国としてその激しい収奪の対象となり、財政の失敗で中小企業が次々倒産し、巷に失業者があふれ、社会不安が限界まで亢進する...という暗い未来図は今から少し先のことを言い当てているようである。
しかし、何よりも私が驚いたのは、メディアからは「ファシスト」と呼ばれ、アメリカを相手に戦いを挑む主人公鈴原冬二の思想が現代の「加速主義」そのものだからである。
加速主義というのは、アメリカに発生したポスト資本主義を望見する思想で、シリコンバレーの若手ビジネスマンたちの間では支配的なイデオロギーとなっていると聞く。
資本主義はもう限界に来ている。しかし、人権擁護や政治的正しさや環境保護を言い立てる人々の干渉で、資本主義はいくぶんか「耐えやすい」ものになり、そのせいでむしろ延命している。それよりは一気に資本主義を終わらせる方がいい。そのためには社会福祉制度や保険制度を廃止し、医療も教育も商品化して金がない人間は受けられないようにする。そうやって、弱い個体を淘汰し、生き残ることができる強い人間たちだけでポスト資本主義の新しい世界を構築するという冷酷でハードな考え方である。
この思想を鈴原冬二はそのまま口にしている。
「大切なのは、人間があまりに動物から遠く離れてしまったということだけだ。人間は、ただの動物だ。(...)俺は、人間を動物へと戻す。」「幸福にならなければならないという妄想が奴隷達を苦しめている」だから、「日本を一度徹底的に破滅すればよい」と鈴原はつぶやく。
この破壊的なイデオローグに多数の日本国民が拍手喝采を送り、彼の支配を懇請するようになるというこの小説の展開に現代日本人はもうそれほど違和感を覚えないだろう。少なからぬ数の日本人たちはすでに「人権や政治的正しさ」を嘲り、弱い個体は野垂れ死にすればいいと揚言する政治家たちに拍手喝采を送っているからだ。彼らは自分たちのことを「生き残ることのできる強者」だと信じているのか、それとも絶望のあまり「死なばもろとも」と念じているのか、いずれであろうか。
(日本農業新聞論点9月号 9月14日)
(2023-09-25 08:49)