学校図書館は何のためにあるのか?

2023-09-09 samedi

 こんにちは、今ご紹介いただきました内田でございます。こうやって見回すと、みなさんまだ顔真っ白なのに、講師一人が顔真っ黒に日焼けしておりまして(笑)、誠に申し訳ない。みなさんはまだおそらくギリギリまで学校あって、遊びに行っている暇なんかないと思うんですけど、僕は海水浴に行ってまいりまして、3日間、京丹後。海がきれいなんです。
 僕は凱風館という道場をやっているんですけども、毎年凱風館海の家というのをやっておりまして、旅館一棟貸し切りにするんです。10人以上滞在したら一棟貸し切れにしてくれる。そこでみんなで泳いだりご飯食べたりお酒飲んだりおしゃべりしたりということをやってるんです。
 武道の道場なんですけれども、作った時のコンセプトは「昭和の会社みたいなもの」です。僕の子どものころ、昭和20年代30年代ぐらいの日本の会社って終身雇用で年功序列だったんで、疑似家族的で穏やかな雰囲気だったんです。いろいろな職種の人がいるけれども一つの家族みたいな感じで。みんなでハイキングに行ったり、山登りしたり、海の家行ったり、麻雀やったり。うちにも会社の人たちがよく遊びに来て、一緒にご飯食べていました。それを見て、「ああこういうのっていいな」と子ども心に刷り込みがありました。
 でも、日本の企業はそれから終身雇用と年功序列をやめて、成果主義と能力主義になってしまった。もう就職してから定年まで一つの会社に勤めるという雇用形態ではなくなって、会社が疑似家族的な社会的な機能を失ってしまった。地縁社会が崩壊し、血縁社会が崩壊し、疑似家族だった会社もなくなり、よるべなき都市の市民たちは原子化・砂粒化していった。そういう状況の中で、もう一回、昔みたいな手触りの優しい、緩いコミュニティを作ってみたくなりました。地縁血縁共同体だと、生まれたときにそこに組み込まれていて、ずっとそこから出られない。そうではなくて、好きな時に入ってきて、いたいだけそこにいて、去りたかったら去っても別に構わない、そういう緩い中間共同体が必要だと思ったんです。出入りは自由だけれども、いる限りは、きちんとメンバー
シップを守って、相互支援・相互扶助する。
 40代50代になると、家族もだんだん高齢化してくる。親が亡くなると、独身の人だと配偶者もいないし、子どももいない。親類縁者ともあまりかかわりがない。ある意味天涯孤独という人は結構いまは多いんです。その人たちにとって疑似家族的な共同体はやっぱりあった方がいいんじゃないか。
  じゃあ、どうやったら疑似家族的な共同体をゼロベースで作っていけるだろうか。ただ集まると楽しいっていうだけじゃ持続しない。僕は合気道の道場やっていますが、これは教育共同体です。だから、持続することを義務づけられている。ただ楽しく集まって稽古しているというだけではなく、僕が師匠の多田宏先生から教えて頂いた武道の技術と思想の体系があり、それを今度は僕が後続世代にパスする。弟子は師から受け継いだ道統を次に伝える義務があるわけですから、この道場共同体は継続することが最も大事です。
 レヴィ=ストロースは親族を「存続するために存在する集団」であると定義しましたけど、その定義に従えば、道場共同体も、あるいは宗教共同体も教育共同体も、次世代に継承する知識や技術を伝えるものであるなら、一種の親族であると言ってよいのではないかと思うんです。
 最初のうちは、一緒に稽古して、休みの日にはみんなで遊びに行けばいいやと思っていました。だから、海の家やろうとか、スキーに行こうとか、ハイキングに行こうとか、聖地巡礼に行こうとか、馬に乗ろうとかいろんなことやりました。だから、凱風館は「部活」がいくつもあるんですよ。スキー部、ハイキング部、聖地巡礼部、修学旅行部、滝行部、乗馬部などなど。僕はなるべく「部活」にはフル参加するようにしています。

 合気道とは別に寺子屋ゼミというものもしています。これは大学院の社会人ゼミの延長で、僕が退職したあとも授業をして欲しいというゼミ生たちの要望を受けて開いたものです。70畳の道場に座卓を並べて、30人くらいでゼミをしています。
 そのゼミで、何年か前に、ある女性のゼミ生が「お墓について」という発表をしたんです。その方は50代の女性だったのですけど、自分は両親のお墓を守っている、両親の供養はしているし、自分もそこに入ることができるのだが、私の供養は誰がすると考えると先行きが不安になってきたという話をしたんです。
 それを聴いたときに驚きました。初めてでしたから、「私の供養は誰がしてくれるのか」という文字列を耳にしたのは。お墓の問題って、ふつうは「墓じまい」とかいう先代までのお墓についてのものだと思っていたけれど、その人にとっては自分のお墓の問題だったんです。
 これは男と女ではかなり違います。男はそういうことをあまり言わない。うちの父親は死ぬ前に「坊主を呼ぶな、お経あげるな、戒名つけるな、遺骨は海と山に撒け」と言ったんです。そういうこと言う男ってけっこう多いんです。でも、母と兄と相談して、「どうする?」「無視無視」って(笑)。結局、お坊さん呼んで、お経あげてもらって、戒名も付けました。骨は少し分骨してもらって散骨だけは遺言通りにしました。駿河湾に行って海に撒いて、兄と山に登って撒いてきました。
 男の方は割とそんな感じなんです。死んだ後の墓の心配なんかあまりしない。でも、女の人は「死後の自分」にかなりリアリティがある。「夫と同じ墓に入りたくない」「姑と同じ墓に入りたくない」とかいう怖いことをおっしゃる女性の方がその時に何人も出てきて、「この人たちは死んだ後も生きてるつもりでいるんだ」と思ってちょっと驚きました。死んだ後も半分くらいは生きていて、個性や人格も一定期間は持続すると思っているんだな、と。だから、死んだ後の自分に対して、ある程度持続的に関心を持ってくれたり、コミュニケーションを試みたり、そういうことを求めている。 
 それを聴いて、なるほどそれが供養ということなのかも知れないと思いました。50年も100年も供養してくれというのではないのです。でも、死んだらすぐ忘れられるのは困ると。死んだ後も、しばらくの期間はみんなの記憶に残って、何かことあるごとに話題に上って、あの人はこんな人だったよねとみんなが懐かしそうに語って欲しい。
 黒澤明の『生きる』っていう映画がそうでしたよね。映画の中ほどで主人公は死んでしまって、残り半分はお葬式のシーンなんです。お通夜にきた参列者が「渡邊課長は実はこれこれこんな人でした」と一人ずつ証言してゆく。その証言の断片が積み重なって、凡庸な小役人に見えた渡邊課長が実はなかなかの味のある人物であったということがだんだんわかってくる。あれが供養というものの本筋かなという気がしました。別に褒め称えるとかしなくていいんです。「みなさんご存じないかもしれないですけれども、私はあの人のこういう面を知っています」とエピソードを語ってゆくことで、人物の立体的を仕上げてゆく。それを供養というのかなと。
 
 僕は観世流の能楽をかれこれ30年近くお稽古しているのですけれど、よくある曲は、旅の僧がある土地にやってきて、そこに梅の木とか廃屋とか、何かいわくありげなものがあって、これは何だろうと思ってたたずんでいると土地の人がやってきて、これはこれこれこういう因縁のあるものです言って去る。中入りして、後ジテが登場して「実は私は和泉式部です」とか「平敦盛です」とか名乗って、その場所で、自分がどんなふうに生き、どんなふうに死んだのかを語ってゆく。そして僧に向かって「跡弔いてたび給え」と懇請する。「跡弔いてたび給え」いうのが後ジテの決まりの言葉なんです。「どうぞ私を供養してください」と言って消えていっておしまいというのが複式夢幻能の基本パターンなんです。
 どうも、生物学的に死んでもしばらくの間は死者について語り継いでゆくということを死者は求めている。その思いに応えるのが供養なんじゃないか。でも、そんなに長くやる必要はなくて、だいたい十三回忌くらいでいいらしいんです。死後の世界に行ってアンケートとったわけではないんですけど(笑)。十三回忌くらいやればもう十分かな、と。
 父方の祖母の十三回忌の時に、伯父が「みんなももう年を取ったし、遠くから集まるのも大変だから、もうみんなで集まって法事をするのはこれで最後にしよう。あとはうちでやるから」と宣言したのを覚えています。、子ども心に「なるほど、供養は十三回忌くらいでいいのか」と思いました。
 考えてみれば自分も今72で、まああと10年くらいは生きるつもりでいますが、死んだ後にどれくらい供養してもらいたいか訊かれたら、13年くらいでいいかなと思います。それくらいになると、僕の同年代の友人たちもみんな死んじゃってるし、僕のことを直接見知っている身内もそれぞれ結構な年になっている。だったら、それぐらいでフェイドアウトすればいいかな、と。
 そもそも、この年になると、もうだんだん死んでるわけです。目が見えないとか、歯が抜けるとか。僕はこの前、膝に人工関節入れましたから、膝はサイボーグなわけです。体のあちこちがもう部分的には死んでいる。いずれ生物学的に全部死ぬわけですけれども、その前からちょっとずつ死に始めている。そして、供養してくださる方がいる間は、「もう死んじゃったけど、まだ死にきっていない」という状態がしばらく続く。人間って、そういうものだと思うんです。生物学的な死のところにデジタルな生死の境界線があるわけじゃない。アナログにだんだん死んでいって、死にきっていない状態がしばらく続いて、ゆっくりフェイドアウトしていく。前13年、後13年合わせて26年くらいかけて人間は死んでいくのかなと...発表を聞きながらそう思いました。
 その時に、「自分のお墓は誰が守ってくれるのか。誰が供養してくれるのか。心配だ」という人がいるなら、じゃあ、お墓作っちゃおうと思って、凱風館でお墓作ったんです。凱風館の門人で、子どがいない人、自分のあとを弔ってくれそうな人がいない人は、うちのお墓に入ってください、と。道場はこれからもずっと継続するはずですから、毎年ご供養してくれる人には事欠かない。これはいい考えだと思って早速友だちの釈徹宗先生のところにご相談に行って、実はこんなことを考えているのですけどとお話をしたら、なんと釈先生も同じことを考えていらした。
 釈先生は池田市にある如来寺というお寺のご住職でもあるのですけれど、檀家さんたちの中には、独居で暮らしていて、もう跡取りがいないという人たちや、先祖伝来のお墓を守るだけの資力がないという人がいるそうです。そういう方たちを受け入れるために合同墓を作ろうと釈先生も考えていた。
 そこで凱風館は「道縁廟」、如来寺は「法縁廟」という合同墓を作りました。如来寺の近くの山の上の、とても眺望の良いところに二つお墓を並べて建てました。そこで年に一度「お墓見」という行事をやっています。季節のよいときにみんなでお参りをして、釈先生がお経をあげて、法話をしてくださって、僕たちは焼香して、法要の後は、お墓の前にブルーシートを敷いて、座卓を並べて、シャンペンを飲んで、ご馳走を食べる。

 今日、ここに来る前に、朝の8時半からお昼まで僕は合気道の稽古をしておりました。そしてここで図書館の人たちとお話をして、その後、今夜の7時からはオンラインで釈先生と「お盆の迎え方」というテーマで話をします。まったく朝から晩まで忙しいなあと思っていたんですけれど、ふっと「この三つはカテゴリー的には同じものだな」と思ったんです。
 午前中にやっている武道と、午後にやっているこの図書館の話と、夜にやる宗教とお墓の話、死の話です。なるほど、僕は「この分野」の専門家だったのかと腑に落ちたんです。何の専門家かというと、「この世ならざるもの」との中をとりもつ仕事の専門家です。「この世ならざるもの」とのインターフェイスで、人はどうふるまうべきかということについての技術と知識の専門家であるということが分かった。
 図書館にいる人たちは、自分たちが「この世ならざるもの」とのインターフェイスにいるなんて思っていないかもしれませんけれども、実はそうなんです。
 さっきここに来る前に、控え室でもお話をしていたんですけれども、行政が図書館に対しては本当にひどいことをするって。とにかく潰しにかかってきている、と。「図書館なんかいらない。司書なんかいらない。」極端になると「本なんかいらない」というところまで反知性主義が進んでいる。
 なんであの人たちは図書館をこんなに憎むんだろうと考えたんですけれど、当然理由がある。今の新自由主義的な政治家たちやビジネスマンたちが最も憎んでいるものは「この世ならざるもの」なんです。あの人たちは現世的な利益にしか興味がない。それだけが意味があるものだと信じている以上、「この世ならざるもの」などというものはあってはならないんです。
「道場」というのはもともと宗教用語です。修業をするところです。武道の修業の目的は、筋骨を強くしたり、動きを俊敏にすることではなくて、自分の体を「良導体」に作り上げてゆくことなんです。「良導体」というのは、どこにもこわばりや詰まりや緩みのない整った体のことです。その身体を通じて巨大な自然の力エネルギーが発動する。自分の身体は力の淵源ではなくて、通り道なんです。だから、我執を去って、透明な心身を作り上げる。それが武道的な修業です。その点では、宗教とあまり変わらない。
 宗教の場合、自分がどれだけ宗教的に成熟したかを自己評価をするのはなかなか難しいと思いますけれど、武道の場合は、それが外形的に分かる。細い小さな女の子が大の男をぶん投げてしまった後に、「あら、こんなことができるようになっちゃった」って自分で驚く。身体実感として自分の身体が「自然の巨大な力の通り道」としてどれくらい仕上がってきたか、わかる。それは別に筋肉が太くなったとか、技が巧みになった、動きが速くなったとかいうことではではないんです。自分を良導体に仕上げて、野生の、自然の巨大な力が発動するようにする。それが武道の修業です。というのは、現段階における僕の武道理解です。 そういうことを『武道論』に書いているわけですけれど、実感としてはその通りなんです。
 
もともと僕は何かの宗派に入っているわけではないんですが、宗教的な人間で、ずいぶん以前から「超越的なもの」、「この世ならざるもの」とのやりとりが人間にとっていちばん大事なことではないかと思っていたんです。
 この「やりとり」については伝統的にマナーが決まっています。「この世ならざるもの」が境界線を越えて人間の世界の中に入ってきたときに、それをどう遇するかについては先人から伝えられた知恵がある。十分な距離をとり、「ちょっとすみませんけれども、あんまりご無体な事はしないでくださいね」とそっと押し戻して、ありがたく帰って頂く。あるいは、外からやってくるものが自分たちの世界に「善きもの」をもたらすように祈る。そう言うと、「 何を言っているんだお前は」ってあきれる人もいるんですが、僕はそうだと思っています。

 村上春樹という作家がいますが、彼は「自分は特殊な職能民だ」と言っています。どんな職能かというと、ふつうの人は地下一階までしか行かれないけれど、自分は地下二階まで降りることができる。地下二階まで降りるとそこには太古から流れ続け、いまも世界中に広がっている「水脈」みたいなものがある。そこから自分の持っている手持ちの器でいくばくかのものを掬って持ち帰る。地下二階にはあまり長くいると人間にとっては危険なことがあるので、用事が済んだらさっさと現実世界に戻ってきて、地下二階で経験したことを物語として語ってゆくのが仕事であると言うんです。ただし、その仕事は誰にでもできるわけではなく、そういうことについての職能を身につけた少数の人間がいる。自分はたまたまそういう人間であるということを、さまざまな文学論の中で素直に語っているんです。これはメタファーではなくて、ほんとうにそうだと思うんです。「境界線の向こう側まで行って、そして戻ってくる」。
 村上春樹の書く物語って、全部そうですから。誰かが境界線の向こうに行って消えてしまって帰ってこない話、境界線の向こうから何か危険なものがやってくるので、それを押し戻す話。この二つが繰り返される。どれも境界線、ボーダーラインのこちらとあちらを往き来する話なんです。
 だから、村上春樹の小説にはほぼ全部「幽霊」が出てきます。「幽霊」というか、「この世ならざるもの」が登場してきて、主人公はそれとどうやって応接するかいろいろ工夫する。『羊をめぐる冒険』からずっとそうなんですけども、決定的になったのは、河合隼雄との対談『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』からのような気がします。
 この対談の中で、村上春樹が『源氏物語』について河合隼雄に「源氏物語に出てくる悪霊とか生霊とかいう超現実的なものは、当時の人々にとって現実だったんでしょうか」と質問したら、河合隼雄が「あんなものは全部、現実です」って即答するんです。
『源氏物語』には生霊が出てきますね。葵上や夕顔は六条御息所の生霊に呪い殺される。生霊や悪霊で人が死ぬというのは、平安時代においては、ふつうの現実だったと、河合隼雄さんはさらっと言い切った。この断言を聴いたことが村上春樹には大きな自信を与えたと思います。そうか、幽霊の話ばかり自分が書いているのは、あれは「全部、現実」の話だったんだ、と。
 村上春樹自身、自分の文学的系譜をたどると、上田秋成に至ると言っています。明治からの近代文学を全部飛ばして、いきなり上田秋成なんです。そして、上田秋成の書く話ってどれも「この世ならざるもの」が人を殺したり、人がそれから逃れたり、それと交渉したりという話なんです。
 その上田秋成の直系の文学的系譜に自分は連なる者であると言うんです。ご本人がそう言うんだから、そうなんだろうなと思います。
 上田秋成も当時は孤立していたわけです。当時も儒学者たちは合理主義者ですから、上田秋成が書いている「幽霊の話」をせせら笑った。そんなものは愚かしい妄想だ、と。でも、上田秋成は、間違いなく「この世ならざる者」には現実変成力があって、それで現実の人間は生き死をするということに確信を持っていた。
 上田秋成の文学的価値の再評価を、21世紀に入って村上春樹がするわけなんですが、その前の1960年代に上田秋成を高く評価して、日本文学の淵源はここにあると言った人がいます。江藤淳なんです。
 江藤淳はプリンストン大学に留学して、そこで日本文学の授業をしていたんです。英語で授業をしたり、英語で論文を書いたり、滞在の終わりの頃には英語で夢を見たりするくらい英語の世界に浸っていたんですけれど、英語ではほんとうに自分が書きたいことは書けないということに気がついて、日本に帰ってきます。その時に書いた文章の中で、自分はかなりうまく英語を操ることができるし、それで自分の意見を述べたり、対話したりすることはできる。でも、英語では新しい文学を創造できないということがわかった、何か文学的なイノベーションができるのは日本語によってだけだ、と。
 日本語の淵源がある。江藤はそれを「沈黙の言語」と呼びましたが、そういうものがある。古代から現代まで、日本列島で話されたり、書かれたりしてきたすべての言葉の全部がそこに集積されている。巨大な、底なしの「淵源」がある。日本語を母語とする人間はそのアーカイブにアクセスすることができる。
 江藤淳は英語話者たちとコミュニケーションはできるけど、自分自身の中に英語の「沈黙の言語」がない。だから、英語では創造することができない。そのことに気づくのです。このアーカイブにアクセスできるのはそれを母語とする人間だけなんです。そして、日本に帰ってきて、いきなり上田秋成の話をし始めるんです。井原西鶴とか近松門左衛門とか、あんなものは全部ダメだ、上田秋成がいいって。もし日本から世界文学が出るとしたら、それは上田秋成の系譜からしか出てこないと予言するんです。そして、その予言の60年後に村上春樹が登場する。不思議な話です。 
 
 すみません、もう少し村上春樹の話を続けますね、面白くなってきたから。村上春樹の作品で最初に「この世ならざるもの」とのかかわりを書いたのは『羊をめぐる冒険』です。この作品を書き上げたことで村上春樹は専業作家になってやっていける自信がついたと書いています。それまではジャズ喫茶のオーナーとの兼業作家だったのだけれど、専業になって朝から晩まで好きなだけ小説を集中的に書ける環境に身を置けるようになった。そして、ある日、自分が「鉱脈」に近づいた実感があった。毎日コツコツとのみを振って岩をくだいているうちに、だんだん地下水脈、地下鉱脈に近づいていった実感があったとインタビューで話しています。
『羊をめぐる冒険』は結果的には世界文学になったんですけど、これは世界文学の系譜の直系という「鉱脈」に連なる作品だったからです。村上さんご本人は自覚していないかも知れませんけれど、『羊をめぐる冒険』には同じ系譜の世界文学がいくつもあるのです。
 直近のものはレイモンド・チャンドラーの『ザ・ロング・グッドバイ』です。そのチャンドラーにも先行作品があって、スコット・フィッツジェラルドの『ザ・グレート・ギャツビー』です。この三つはほとんど同じ話なんです。ちょっとわかりにくいんですけれども。『羊をめぐる冒険』ですと、「僕」という主人公がいて、「鼠」という親友がいますけれど、これは「僕」のアルターエゴなんです。傷つきやすくて、純粋で、道徳心にやや欠けたところがあるけれど、きわめて魅力的な男なんですが、それは「僕」の「少年時代」、アドレッセンスなんです。その幼い自分自身と決別しないと「僕」は大人になれない。アルターエゴは「僕」がこのタフでハードな世界で生きていくために切り捨てた、自分の一番柔らかい、一番優しい部分のことなんです。
 そのおのれのアドレッセンスを人格的に表象したのが、「鼠」であり、テリー・レノックスであり、ジェイ・ギャツビイなんです。彼らはみな大人になるために主人公が切り捨てていったアドレッセンスの代理表象です。アルターエゴは主人公に向かって「最後に1つだけ君に頼みがあるんだ」と言ってきて、主人公がそれを果たすと、アルターエゴは消え去る。この三つはどれも「そういう話」なんです。
『羊をめぐる冒険』が1982年、『ザ・ロング・グッドバイ』が1953年、『ザ・グレート・ギャツビー』が1925年の作品です。でも、これにも先行作品があります。『ル・グラン・モーヌ』というアラン・フルニエの小説です。これは1913年の作品です。主人公の年齢はかなり下がります。主人公はフランソワという15歳の少年で、彼の前に背が高く、魅惑的で、自由奔放なオーギュスタン・モーヌという少年が現れて、フランソワは彼に魅了されて、冒険の日々を共にするのだけれど、ある日オーギュスタンは去って、永遠に姿を消す。
 永遠に姿を消すのは当然なんです。だって、それは自分自身のアドレッセンスだから。少年時代が終わって、「つまらない大人」たちの仲間になる時に、その黄金の日々を惜しむ気持ちが「ある日永遠に僕の前から消えてしまう魅惑的で、道徳心に欠けた、幼児的な少年」を造形させたのです。 
 つまり、20世紀に入って、「同じ話」が4つ書かれているんです。たぶんその前を探せば、『グラン・モーヌ』の前にもそれに先行する作品があると思います。あって当たり前なんです。少年はいつか大人の仲間入りをしなければいけない。通過儀礼を通過して、自分の輝かしい少年時代と永遠に決別しなければならない。その喪失の悲しみと痛みを癒すためには「少年時代」を人格的に表象する魅惑的なアルターエゴとの別れの物語が必要だったんです。ユダヤ教だと割礼というイニシエーションがありますけれども、あれは少年時代との決別は身体的な激しい痛みを伴う経験だということを教えているわけです。
 少年時代と別離はトラウマ的経験ですから、大人になっても外傷は残る。だから、どうしてもそれを癒すための物語が必要になる。たぶん「そういう話」は世界中を探したら何千とあると思います。人類が通過儀礼という制度を創り出してかあとずっと「そういう話」に対する需要はあったはずなんです。だから、それは「鉱脈」なんです。太古から続いている、すべての男たちの「こういう物語を書いて俺を癒してくれ」という願いに応えるものなんですから、それにたどりついたら、世界文学になる。
 物語にはいろいろな機能がありますけれど、アルターエゴとの別れの物語は「少年時代の自分を供養する」というかなり宗教的な機能を果たしていると思います。失われた少年期を供養する物語を、通過儀礼を過ぎて「つまらない大人」になってしまった世界中の男たちは求めていた。だから、このタイプの物語を書くのは男の作家のはずなんです。女性作家のもので「アルターエゴとの別れの物語」を僕は読んだ記憶がありません。もしかしたらあるかもしれません。ご存知の方がいたら教えてください。

 母語で書かれた書物というのは、古代から続く巨大な言語的アーカイブへの入り口です。日本語の場合なら、母語のアーカイブは、過去に日本列島に人が住み始めて、そこで最初に言葉を発した瞬間から、この列島の空間内で発されたすべての音声や、書かれたすべての文字を集積しているものです。そのアーカイブの一番上澄みのところに現代日本語がある。現代日本語はその「沈黙の言語」から浮かび上がった「泡」のようなものです。だから、現代日本語を母語とする人はちょっと言語感覚を敏感にして集中すれば、日本の古典は読めるはずなんです。もちろん戦前の文学だってすぐに読めるし、漱石鴎外だってすぐ読めるようになるし、そのうち上田秋成だって読めるようになる。同じ日本語で書かれているんですから、分からないはずがない。
 僕は何年か前に『徒然草』の現代語訳をやったことがあります。池澤夏樹さんの『個人編集日本文学全集』という企画があって、『徒然草』を訳してくれって頼まれたのです。『枕草子』を酒井順子さんが、『方丈記』を高橋源一郎さんが訳すという組み合わせでした。
 池澤さんに頼まれて嫌とは言えませんから引き受けたんですけれど、古文なんて久しく読んだことないし、『徒然草』だって駿台予備校で断片を読んだっきりですからね。でも、覚悟を決めて現代語訳を始めたら、これが、結構さらさら訳せるんですよ、驚いたことに。今から700年以上前に書かれたものなのに、古語辞典1冊あれば訳せちゃうんです。
 その時思ったのは、吉田兼好を今タイムマシンで現代日本に連れてきても、多分、3週間ぐらで現代日本語をすらすらと話すようになるだろうなということでした。だって、もとは同じ日本語ですからね。文法構造同じだし、音韻同じだし。だから知らない単語聴いても、「ああ、あの単語がこう変化したのね」とすぐに分かる。吉田兼好くらい賢い人だったら、たぶんすぐに現代日本語のネイティブスピーカーになれると思うんですよ。
 だから、僕だってタイムマシンで鎌倉時代に連れて行かれても、一月くらい暮らしたらネイティブスピーカーと同じようにしゃべれるようになるんだと思います。朝から晩まで『徒然草』を読んでいるのも、想像的にはタイムマシンで鎌倉時代に戻ったのとあまり変わらない。そうなると、何が書いてあるかってわかるんです。知らない単語でも何となく意味が分かる。
 そうやって訳した後に、「『徒然草』の現代語訳を終えて」という講演を頼まれたことがありまして、今みたいな話をしたんです。そしたら、質疑応答の時間にフロアの方から手をあげた人がいて、その方高校の国語の先生だと名乗ったんですけれど、「私、実は『徒然草』が専門で、この間『徒然草』の研究で博士論文を出したばかりです」と言うんです。わあ、困ったことになったと思ったら、その先生が「内田さんの現代語訳は大変よろしかった」と言われて、ああ良かったと(笑)。「特に係り結びの訳し分けが良かった」とおっしゃるんです。それでびっくりしました。係り結びのことは文法知識として知ってるんですけども、訳し分け方がなんか5種類ぐらいあると言うんです。僕は係り結びに複数のニュアンスがあるなんて知らなかった。ところが、その先生によると、僕の係り結びの訳し分けは実に正確だったそうです。訳せたのは、僕に文法知識があったからじゃなくて、日本語としてふつうに読んでたからなんですね。その時に、「ああ、母語ってそういうもんだな」ってしみじみ思いました。母語話者であれば、どの時代のものでも、ちょっと慣れれば読めるようになる。元は同じ「沈黙の言語」から由来するんですから。

 あと、母語じゃないとできないことがあって、それはネオロジズムです。新語を作ることは母語でしかできない。これに気が付いたのはね、もう10年以上前なんですけど、野沢温泉にスキーに行って、露天風呂につかっていたら、あとから大学生と思しき男子が2人やってきて、ドボンと露天に使った瞬間に、「うゎー、やべえー」って言ったんです。
「やばい」というのは犯罪者の隠語で「危険である」という意味です。犯罪者の隠語が市民社会に入ってきて、ふつうに使われるようになった。隠語の市民語化というのは必ず起きるわけですけれども、「やばい」の場合は、それを通り抜けて「たいへん気持ちがよい」にまで転義してしまった。そうか、そういうふうに意味が変わったのかとその時に思ったのですが、それと同時に、どうして意味が変わったことが僕にわかるのだろうか、とその方がむしろ不思議に思えたのです。だって、聞いた瞬間に、「やばい」が「大変気持ちがいい」という新しい意味を獲得したことが僕にわかったからです。事実、いま手元の国語辞典で引くと「やばい」の項目には「若者言葉」として「大変気持ちが良い」「最高である」ってもう登録してあるんです。
 新語という現象のすごいところは「聞いた瞬間に初めて聴いた言葉なのに意味がわかる」ということなんです。聴いて「それどういう意味ですか」と聞き返さないと意味がわからないのは「新語」にならない。
「真逆」もそうです。これは、忘れもしない、初めて聞いたのは、『SIGHT』っていう渋谷陽一さんがやっている雑誌の対談で、高橋源一郎さんとしゃべっている時です。源ちゃんが「まぎゃくに」って言ったときに「まぎゃく」という音を聴いたのは生まれて初めてだったんですけれども、「真逆」という文字列がすぐ頭に浮かんで、それが「正反対」よりもちょっと強い意味だというニュアンスの差まで全部わかった。
始めて聴く言葉なのに意味もニュアンスもわかるって、奇跡的なことじゃないですか。でも、そのことを僕らは日常 ふつうにやっているわけです。誰かが最初に言い出してから、たぶん数週間か数か月のうちに北海道から沖縄まで、日本中の人が「真逆」を使い出した。
 その時に、「母語ってすごい」と思いました。新語も母語のアーカイブの中から湧き出した「泡」みたいなものなんです。母語のアーカイブの中で醸成されたものが、ある日誰かの口からぽって出て来た。別に「新しい言葉を作ってやろう」というような作為なしに、ふと口を衝いて出てきた。それがその瞬間に母語のアーカイブに登録された。
新語を作るということは、外国語ではできないんです。どれほど流暢に英語が話せる人でも、英語が母語でなければ、英語の新語を作ることはできない。go - went - goneという不規則変化は覚えるのが面倒だから、これからはgo - goed - goedでいいじゃないかと言い出しても、英語話者からは相手にしてもらえない。「そんな英語ないよ」と言われておしまいです。新語は外国語では作れない。自分自身を作り上げた言語的資源の奥底から自然に湧いてくるものじゃないから。母語のアーカイブの持つ生成力というものを僕はその時にしみじみ思い知りました。江藤淳が「沈黙の言語」と呼んだのは、このことだったのか、と。

 書物というのは、その母語のアーカイブへの「入り口」です。書くことも、読むことも、この豊かな、底知れない母語のアーカイブに入ってゆくための回路です。それは日常的な現実とは離れた「境界線の向こう側」に、「地下」に、「この世ならざるもの」と触れ合うことです。現代社会で支配的な価値観や美意識やイデオロギーが通用しない境位なのだけれど、理解できる。というのは、その母語のアーカイブが自分自身の言語感覚や語彙を形成しているからです。自分が使っている論理型式や、自身が思念や感情を表現するときの語彙も、すべてそのアーカイブに由来する。
 人の家に行ったときに、しばらくいて息苦しくなってきて、なんとなく帰りたくなってしまう家というのがありますけれど、僕の場合は「本が無い家」がそうなんです。どれほど綺麗にしてあっても、長くいると息苦しくなってくる。酸欠になるんです、本が無いと。本というのは「窓」だからです。「異界への窓」というか、「この世界とは違う世界」に通じている窓なんです。だから、本があるとほっとする。外界から涼しい空気が吹き込んで来るような気がして。
 僕の友人の家に行くと、だいたいそうなんですけども、トイレに本があるんです。うちもすごいです。もう、半端じゃない量の本がトイレに積み上げてある。トイレって、空間的にかなり閉塞感があるところですけれど、そこに何冊か本が並んでいるだけで閉塞したところから何か広々としたところに出ていったような気がする。広いところで排泄作業しているような気になるんです。ですから、トイレに読みたい本が無いときって、行く前に読む本を探すんです。自分の書棚の前で、足踏みしながら、「たいへんたいへん」と言いながら、「えーと、これじゃない、これじゃない」と言いながら、本を選んでる。「お、これだ」と決まるとトイレに駆け込む。本が無いと、トイレが狭く感じるんです。でも、本を開くと、解放される。本が持っている異界への開放性の効果なんだと思います。

 よく図書館の方から聴くのは、行政から「来館者の数を増やせ」とか「閲覧回数の少ない本は捨てろ」とかいろいろ圧力があってつらいという話です。でも、来館者の数を増やせというのはちょっと筋違いじゃないかと思うんです。僕の個人的意見ですが、図書館というのは基本的に人があまりいない方がいいんじゃないですか。人がいっぱいいて、ごみごみしている図書館が理想的なものだとは僕にはまったく思えない。図書館というのは基本的に人がいない場所なんです。
『ジョン・ウィック』 でも、たしかニューヨーク市立図書館かどこかで、キアヌ・リーブスと殺し屋が格闘する場面がありましたよね。書架の間で格闘するんです。でも、何分間か殴り合ったり、刺し合ったりしているんですが、その間誰も通らないんですよ。もう本棚にぶつかるわ、机は壊すは、大騒ぎしているのに、誰も通らない。それどころか、図書館の本の中に、たしか私物を隠してるんです。ジョン・ウィックは誰も借りそうもない本をくりぬいて、武器かなんか隠しているんです。つまり、映画における図書館の基本設定が、「そこで格闘していても誰も気がつかない」、「何年間も誰も手に取らない本がある」ということになっている。僕はこの基本設定は「正しい」と思いますね。それでいいんです。基本的に図書館っていうのは人がいないものなんです。
 人がいない書架の間を1人でこつこつと靴音を響かせながら歩く。僕自身の印象的な図書館の思い出というと、全部それなんです。無人の図書館をどこまでも1人で歩いてゆく。どこまでも続く書棚がある。そこには自分がまったく知らない作者の、まったく知らないタイトルの書物がどこまでも並んでいる。自分がそんな学問分野がこの世に存在していることさえ知らなかった分野の本が何十冊も並んでいる。それを見ながら、「そうか、ここにある書物のうち、僕が生涯かけて読めるのは、その何十万分の一だろうな。残りの書物とはついに無縁のまま僕は人生を終えるのだろう」ということを骨身にしみて感じる。無人の図書館で、圧倒的な量の書物を眺めてた時に感じることは、「ああ、僕はこれからこういう本を読むのだ」じゃなくて、「一生かけても読まない本がこれだけある」ということなんです。
 僕はそれを痛感させることが図書館の最大の教育的機能だと思います。図書館の使命は「無知の可視化」だと思うんです。自分がどれほど無知であるかを思い知ること。今も無知だし、死ぬまで勉強してもたぶん無知のまま終わるのだ、と。その自分自身の「恐るべき無知」を前に戦慄するというのが、図書館で経験する最も重要な出来事だと僕は思います。だからこそ、あらゆる映画において、図書館は無限の知の空間として表象されている。

 図書館というのは、「蔵書が無限である」ということが前提なんです。蔵書が無限であるので、あなたはこの図書館のほんの一部をちょっとかじるだけで一生を終えてしまい、あなたが死んだ後も、この巨大な図書館の中には、あなたがついに知ることのなかった叡智や感情や物語が眠っている。ボルヘスの『バベルの図書館』なんてまさにそうですね。ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』もそうですよ。あれも巨大な、蔵書が無限の図書館という設定ですね。修道士たちがいるのだけれど、誰一人蔵書を読み尽くすことはできないほど無限に書架が続いていて、案内なしに一度図書館に入り込むともう出ることができない。『インターステラー』もそうでしたよね。最後の場面は宇宙の果てまで続く無限の図書館の映像でした。図書館って本質的に無限なんです。
 図書館がそこに立ち入った人間に教えるのはたぶん「無限」という概念なんです。そこに足を踏み入れた時に、おのれの人生の有限性とおのれの知の有限性を思い知る。これ以上教育的な出来事ってこの世にないと思うんです。どれほど自分が物を知らないのか、物を知らぬままに人生を終えるのか、これから一生かけてどれほど賢くなろうと努力しても、この巨大な知のアーカイブの中の、欠片ほどのものにしか自分は触れることができない、身につけることができない。でも、欠片ほどであっても、自分がこの無限に続く場所の一部には触れることができるし、うまくすればその一部になることができる。もしかしたら、この無限へ続く場所に、何か自分が創り上げたものを加算することができるかも知れない。
 知的であることとはどういうことか、それを一言で言うと、「慎ましさ」だと思うんです。無限の知に対する「礼儀正しさ」と言ってもいい。自分がいかにものを知らないか、自分の知が届く範囲がどれほど狭いかということについての有限性の覚知です。でも、自分がおのれの有限性を覚知できたのは、目の前にこうやって「無限の知に向けて開かれている図書館」があったからです。僕は図書館からしっかりメッセージを受け取った。僕と図書館の間でコミュニケーションが成立した。
 
 ヨーロッパが舞台の映画を観ると、お金持ちの邸宅の客間って大体壁全部が書棚ですね。そういう映画を何十本、何百本と観てきましたが、そこの家の主人が書棚から本を取り出して読んでるシーンてまずないんです。中には、最近成り上がって富豪になった人間が、貴族の古い屋敷を買い取ってそこに住んでるみたいな設定もありますが、その場合、この書棚の本は家具什器の一部としてたぶん「居抜きで買ったもの」なんだと思います。自分の蔵書じゃないし、別に自分の趣味でもない。でも、目障りだからこれ全部取っ払って古本屋に売ってくれということはどうやらしていない。たぶん「そういうこと」はしてはいけないという無言のルールがあるから。
 ヨーロッパでは、功成り名遂げて、古くからある大きな屋敷を買い取った人間は必ずその屋敷の前の持ち主たちの蔵書に囲まれて暮らさなければならないという暗黙のルールがあったんじゃないかと思うんです。書斎で仕事をしていて、ふと顔を上げると、そこに『プルターク英雄伝』とか『ローマ帝国衰亡史』とかの革表紙の本が並んでいる。でも、この人は読んでないわけですね、それまでビジネスとか政治活動とかに忙しかったから。だから、書斎にある本は全部「読んでない本」なんです。たぶん死ぬまで読まない本。そういう何千冊もの本が毎日この書斎の主人に向かって「お前はほんとに無知だね。だから、思い上がるんじゃないよ」というメッセージを無言で送って来る。
 そういう古典を、きちんと革装して、金箔のタイトルを入れて並べておく理由はそこにあると思うんです。成功した人間は自分が読んでいない書物を見上げるたびに、書物から「お前は成功者として偉そうな顔をしているみたいだけれど、ここに集められた知的アーカイブのほんの一部さえ読んでいない。自分が世の中のことをほとんど知らない人間だということは思い知っていたほうがいいぜ」と説教されているような気になる。そういう説教を書物から聞かされることを日課とすること、それがヨーロッパにおいては社会的成功者に課せられた条件だったんじゃないか、そんな気がします。

 日本の場合には「旦那芸」というものがあります。もう今はすっかり廃れてしまいましたが、ある程度偉くなるとお稽古事をしなきゃいけないという決まりがありました。お謡を稽古したり、義太夫をお稽古したり。僕は観世流の謡と舞をもう30年くらい稽古しています。こういうお稽古事はけっこうお金がかかります。若いサラリーマンじゃできない。昔だったら部長さんくらいにならないと月謝やお役料を払えない。でも、ある地位になったらお稽古事をすることはほとんど義務化されていた。
 お稽古事習うと何があるかというと、とにかく先生に叱られるわけです。最初から最後まで先生に叱り飛ばされる。初心者の時はもちろんですけれども、十年やっても二十年やっても、相変わらず叱り飛ばされる。
昨日もお能のお稽古に行ったんですけれど、もう先生に怒られて怒られて。僕だってもう古希を過ぎていて、お迎えが近い年なんですよ。その僕に向かって「努力が足りない」と言うんですよ。ひどいと思いませんか。もう努力できるような体力は残っていないんですけれども、72歳の僕を80歳の先生が叱り続けるわけです。道順が違う、拍子が違う、扇のさばきが違う とか、もっとゆっくりとか、もっと速くとか。ずっと怒られ続けでした。
 でも、先生に怒られるところっていうのは、言ってしまうと、すべて「いかにも僕らしい間違い」なんです。僕という人間の本性が剥き出しになった失敗なんです。ただ不器用とか物覚えが悪いとかいうのじゃないんです。僕の失敗に露呈しているのは、「世間をなめた態度」とか「早呑み込み」とか、まさに僕の人間的欠陥が露呈したところなんです。そこをピンポイントで叱ってくる。
 昨日の場合だと、謡で「かっこうつけるな。いいとこ見せようとするな」ということを叱られました。僕が「ここはこの謡の『聞かせどころ』ですよね。 ここはちょっと声を震わせたりした方がいいんでしょうか」と質問したら、「これだけ稽古してるのにまだ、そういう馬鹿なことを言って」と叱られました。
 その時に、しみじみとお稽古事というのは「叱られるためにお金を払う」という仕組みなんだよなと思いました。謡や舞の技術を身につけることが目的じゃなくて、本当は偉そうにしている男たちに「自惚れるなよ。思い上がるなよ」と頭を叩くという教育的な仕掛けだったんじゃないかな。そういう気がします。

 話を書物に戻しますけど、図書館もそういうものだと思うんです。図書館も思い上がりを叱るという教育的機能を担っていると思うんです。これが仮に図書館に行ったら「自分が読んだ本」と「自分がこれから読む予定の本」だけで書架が埋め尽くされていたらどうでしょう。自分の「既知」で埋め尽くされた図書館って、図書館としては無意味だと思うんです。
 図書館って自分が読みたい本を借りに行く場所じゃない、調べ物をしに行く場所じゃない。確かに、そういう機能もありますが、最大の機能は「無知を可視化すること」なんです。「思い上がるなよ」って、来館者の鼻っ柱を折る、「頂門の一針」を打つ。それがたぶん図書館の持っている最大の教育的機能だと思います。
 書物って言うのは「異界に通じる門」ですから、専門家が守らなければいけないわけです。今日いらしているのはみなさん司書の方々ですけれども、実は、あなた方は「ゲートキーパー」なんですよ。知らなかったでしょうけども。みなさんはゲートを守っているんですよ。そして、このゲートの向こう側には結構「やばいもの」が広がっているわけです。だから、素人が着流しで入っちゃ危ないことになる。そのためにゲートキーパーがいる。ここから先は異界が広がっているから、専門家の案内が要るよ、って。
 
 さっきも控え室で僅かな時間に話したんですけど、橋下徹が府知事になってから、図書館の弾圧が始まったわけですけれど、あの人はまず公務員、それから教育と医療と、文楽のような古典芸能・伝統芸能をピンポイントで狙ってつぶしにかかりましたね。この選択って、ある意味たいへん正確だったと思います。彼が狙ったのは、すべて「異界へ通じる道」だからです。「異界へ通じる道」は全部塞ぐ。しょせん世の中は色と欲。権力と財力をすべての人間は求めている。それ以外のものはこの世には存在理由がない。そういう恐ろしいほどチープでハードな世界にすべての人を閉じ込めようとした。彼のあの「異界つぶし」の熱意はたいしたものだと思いました。
 今の学校は子どもたちにテストを課して、その成績で「格付け」する評価機関のようなところになっていますね。でも、僕は子どもたちを査定して、評価して、格付けするというのは、学校教育の目的ではないと思うんです。子どもたちの成熟を支援する場だと思うのです。
 子どもというのは「なんだかよくわからないもの」なんです。それでいいんです。そこから始めるべきなんです。子どもたちをまず枠にはめて、同じ課題を与えて、その成果で格付けするというのは、子どもに対するアプローチとして間違っている。
 昔の日本では子どもたちっていうのは七歳くらいまでは「聖なるもの」として扱うという決まりがあった。渡辺京二さんの『逝きし世の面影』には幕末に日本を訪れた外国人たちが、日本で子どもたちが大切にされているのを見て驚いたという記述がありました。でも、これは日本人は子どもを可愛がっているということとはちょっと違うと思うんです。可愛がっているんじゃなくて、「まだこの世の規則を適用してはいけない、別枠の存在」として敬していたということだと思います。
 中世以来伝統的にはそうなんです。子どもは七歳くらいまでは「異界」とつながる「聖なる存在」なんです。でもある程度の歳になると、そのつながりが切れてしまう。アドレッセンスの終わりというのは、異界とのつながりが切れてしまう年齢に達したということなんです。そうやって人は「聖なるもの」から「俗なるもの」になる。
だから、「この世ならざるもの」とこの世を架橋するものには基本的に童名を付けるという習慣がありますでしょう? 「酒吞童子」とか「茨城童子」とか「八瀬童子」とか。彼らはこの世の秩序には従わない。牛飼いもそうです。牛飼というのは、その当時日本列島に居住する最大の獣である牛を御する者ですから、聖なる存在なわけです。だから、大人でも童形をして、童名を名乗った。京童もそうですね。別にあれは子どもじゃないんですよ。大の大人なんだけれど、「権力にまつろわぬ人たち」だから、子どもにカテゴライズされた。
 あと童名をつけるものというと船がそうですね。「なんとか丸」という。あれは童名なんです。海洋や河川という野生のエネルギーが渦巻く世界と人間の世界の「間に立つ」ものですから、船もまた子どもなんです。子どもは半分野生で半分文明ですから、野生と人間の世界の間に立つことができる。
 あと刀がそうですね。刀には童名をつけるんです。『土蜘蛛』の蜘蛛切り丸とか『小鍛冶』の小狐丸とか、名刀はなんとか丸という童名を与えられる。
 僕は居合をやるので、自分の刀を持っていますが、たしかに刀というのは異界とつながっているということは刀を構えると実感されます。刀を抜いて構えると、自然の、野生の巨大なエネルギーが刀を通じて発動するのが分かります。自分の体がエネルギーの通り道になっているというのがわかる。
 刀って、兜とか切っちゃうわけです。でも、人間の筋力で兜なんて切れるわけないんです。でも、兜を切った人っていっぱいいるわけです。刀が斬り込んだ跡がある兜もいくつも残っている。人間の力ではできるはずがないことが、刀を持つとできる。それは、刀を通って発動するのは人間の力じゃなくて、自然の力だからです。それは真剣を持って剣術を稽古したことがある人なら誰でも感じることなんです。刀は自然の力と人間の力の間を架橋する。だから童名をつける。そういう伝統的な「子ども」観が日本にはあった。僕はこれが今まったく顧みられなくなったことを嘆いているんです。

 学校っていうのは、実はその「聖なるもの」である子どもを受け入れて、この子たちをゆっくりゆっくりと「聖なるもの」から切り離してゆく場所なんです。僕らから見ると「謎めいたもの」と繋がっている子どもたちを上手い具合に外部や異界から切り離して、こっちの世界へ持ってくるという、とてもデリケートな切り離し作業みたいなことをするのです。
 教室も道場と同じで、「超越的なもの」や異界との交流の場なんです。デリケートな。「周礼」も士大夫が学ぶべき君主の「六芸」ってあるじゃないですか。礼、楽、射、御、書、数。
 一番が礼なんです。君主が学ぶべき学問の一番が礼。礼って、礼儀作法のことじゃないですよ。「鬼神」に仕えるときの作法です。「鬼神」とはこの世ならざるものです。異界に連なる者です。この人間の常識を超えたものに仕えるために正しいマナーをまず学ぶ。
 それから楽、音楽です。話が長くなるので、はしょりますけれど、要は時間意識の拡大ということなんです。音楽って、「もう過ぎた時間」と「まだ来ない時間」の両方の領域に触手を伸ばすことができる能力がないと聴き取ることができないんです。リズムもメロディーもどちらも「もう聴こえない音」と「まだ聴こえない音」をいまここで聴き取れることができないと成立しない。
 射は「弓を射る」ですから、武道一般のことです。御は「獣を御す」、野生獣を馴致させて、人間の世界で有用な働きをさせる能力のことです。日本でも武道のことを古くは「弓馬の道」と言いましたけれど、射と御を合わせたものが武道に当たるわけです。
 図書館の仕事はこの六芸のうちの「礼」に相当するものだと思います。みなさん方は「ゲートキーパー」だと申し上げました。学校という、子どもたちを「あちらの世界」から「こちらの世界」へそっと移動させる、すごくデリケートな仕事をする場なんです。半ば野生の存在である子どもたちを文明化していく。もちろん、痛みを伴うプロセスです。その成長を教員たちは支援する。それが仕事なんです。

 うまく学校に適応できない子どもたちって今たくさんいますね。何で学校に来ないかと言うと、子どもたちの中にある「謎めいたもの」、「ミステリアスなもの」を学校教育がゼロ査定しているからだと思うんです。子どもをただの「小さな大人」「無能な大人」だと思って扱っている。もっと子どもたちに対して、ある種の畏怖の念、敬意を持つべきだと僕は思うんです。
 保健室登校というのがありますね。教室には来られないけど、保健室には行ける。あれは医療というのが、学校教育とは全く別のカテゴリーの活動だということを子どもたちも直感的にわかっているからだと思うんです。だいたい、保健室の先生って、女の方ですよね。ナースの系譜ですから。ナースって元をたどると魔女の系譜に連なる。産婆のことをフランス語ではsage femmeと言います「知恵ある女」という意味です。前近代まで、この「知恵ある女」たちが薬剤を調合したり、病気を治したり、出産を支援したりしていた。そして、しばしば彼女たちはカトリック教会からは「異端の信仰を持つ魔女」として処刑された。
 だから、子どもたちには分かるんです。「あっ、保健室に魔女がいる」って。魔女だったら大丈夫なんです。他の先生たちは世俗の人だけれど、保健室には魔女がいて、世俗の価値観とは違う価値観で働いている。
 ですから、司書も「図書室に魔女がいる」というふうに子どもたちが感じるようになると、「図書室登校」ということが起きると思うんです。教室には行けない子どもが登校するとまっすぐ図書室に行く。当然そうなるべきなんです。保健室に行くのと同じように、図書室にまっすぐ行って、そこで本を読んで終日過ごす子が出てきても当たり前なんです。みなさんはそういう子どもたちを歓待するのがお仕事です。だってみなさんはゲートキーパーなんですから。
 ゲートキーパーは異界に通じる、外部に通じる扉を守る人です。現世の現実的な価値観が通用しない世界がある。そういう世界があること、その「地下二階」に下りて、そこで「この世ならざるもの」と遭遇することが子どもたちにもできる。それを支援するのがゲートキーパーの仕事です。子どもたちが地下二階に入りっぱなしになると、それはそれで危険なことですから、制限時間を超えたらそっと現世に引き戻す。そのあたりの手際がゲートキーパーの腕の見せ所です。
 僕が道場で教えていることも実はそういうことなんです。少年部は小さい子は四歳から来ています。子どもたちに何を教えるか。武道をやると礼儀正しくなるとか愛国心が涵養されるというようなことを言う馬鹿がいますけれど、そんなことを教えているわけじゃない。武道の修行をして、愛国心なんか身につくわけがない。国民国家なんていう「せこい話」をこっちはしてるんじゃないんです。どうやって「鬼神」に仕えるかという話をしているんです。
 道場で教えることは、とりあえず一つだけでいい。それは子どもたちに「超越的なもの」に対して敬意を持つことです。道場に入るとき、正面に向かってきちんと座礼をすること。
 僕がどうして個人で道場を作ったかというと、公共の体育館には神棚がないからなんです。凱風館にはもちろん神棚があります。神棚とか仏壇とか十字架は外部への通路なわけですから、ある意味でこれほど公共性が高いものって他にないのです。そこには現世の価値観が通じないものがある。それに対しては敬意を表する。敬意を表するというのは「おのれの理解も共感も絶したものに対してはとりあえず適切な距離をとる」ということです。この作法を身につけること、それが武道を学ぶことのかんどころだと思います。
 僕は道場に入って稽古を始める前に必ず「お願いします」、終わったら「ありがとうございました」と言います。これは僕が先に言いいます。僕が師範で、前に並んでいるのは弟子たちなんですけど、弟子が「お願いします」と頭を下げるので、僕が「おう、これから教えてやるぜ」というんじゃないんです。「教えてくださってありがとうございました」じゃないんです。僕の「お願いします」は道場に向かって言っているんです。これからしばらくの間、ここで武道の稽古をします、どうぞよい稽古ができますように、誰も怪我をしませんように、どうぞここにいる門人たちをお守りください、道場に懇願しているわけです。
 それは野球のピッチャーがプレーボールのときに、帽子を脱いでホームベースに一礼するのと同じです。あれは別にアンパイヤに向かってお辞儀して、ストライクゾーン甘くしてくださいと頼んでいるわけじゃないです。あの一礼は to the ball、to the fieldの一礼なんです。これから9イニング試合をしますが、どうぞ素晴らしいボールゲームができますようにと祈っているわけです。
 道場での礼もそれと同じなんです。これからどうぞよい稽古ができますように、といって一礼する。そういう「場に対する敬意」って絶対必要なんです。それだけは子どもたちにも口やかましく教えます。僕に対して敬意を表する必要はない。僕は道場におけるゲートキーパーですから、「この世ならざるもの」とかかわるときに、どうすればいいのか、それについて先人から伝えられた作法を多少知ってる。だから、僕の言うことを聴きなさいというわけです。山登りをするときに、案内人の言うことを聴きなさいというのと同じです。素人が勝手な行動をすると非常に危険な目に遭うことがあるから。
 僕は朝起きるとまず一番に道場に出て、扉を開けて、一礼してから、祝詞と般若心経と不動明王の真言を唱えてから「臨兵闘者皆陣烈在前」と九字を切って道場を霊的に清めます。それが僕の毎日朝のお務めです。ゲートキーパーですからね。。

 たぶんみなさんも、おそらくごく自然に、僕と似たことをされているんじゃないかと思います。朝、自分の担当している図書室の扉を開けたとき、10何時間か誰も人が入ってないところに行くと、独特の雰囲気がありますでしょう。しんと静まっている書架に向かって、思わず手を合わせて一礼したくなるということって、ありませんか。たくさんの数の書物がどこまでも並んでいる場所にはそういう力があるんです。神社仏閣に似た雰囲気がする。図書館に一歩足を踏み入れたときに、子どもたちが思わずこう一礼したくなる、思わず手を合わせたくなる、そういう気持ちを持ってくれたら、もうそれだけで図書館が存在している意義を果たし終えたという気がするんです。
 さっきも申し上げましたけれど、図書館というのは、そこに行って有用な知識を得るための施設ではないんです。結果として、もちろん豊かな情報や知識を得ることはできますけれど、豊かな情報や知識を得るためには、その前段として自分の無知を思い知って、もう少し賢くなりたい、もう少し成長したいという気持ちが発動しなければ意味がない。次の試験の範囲にこれが出るとか、レポート書かなきゃいけないからというので読むのは、本を読んだことにはならない。現世的な利益に仕えるための読書には図書館は要りませんし、司書も要らない。まあ、読まないよりはマシだけれども、それは書物を穢すことです。書物というのはもっと神聖なものです。こういうことを言う人はあまりいないかもしれないけれど、僕はそう思います。みなさん方はそれの聖なる書籍に仕える一種の聖職者のようなものです。でも、司書も教師も、いつのころからか労働者になって、聖職者ではなくなった。もちろん労働者でもあるんですよ。みなさんがって、雇用環境の改善とかで労働者として闘わなきゃいけないのはあたりまえなんですけども。でもそれと同時に聖職者・労働者として二重化してるんですけれども。

 教育や医療の世界に来る人たちって、やっぱりある種の傾向があるんです。来るべくして来るんです。そういう人が来てゲートを守っているわけです。
 だから、橋下徹みたいな人にはそれがわかるんです。そこには異界への扉が開いていることがわかる。それが彼は許せないんです。この世は力のあるもの、競争で勝った者が支配していい思いをし、弱いもの、競争の敗者は身を縮めて生きろというのが彼らの思想です。ですから、この世の権威や価値と無縁のものがこの世に入り込むことが許せない。だから扉は全部閉じる。閉じて、溶接して鉄の扉をつけて、二度と「超越的なもの」がこの世に入り込んできて、子どもたちが知的成熟を遂げることをしないようにした。ある意味すばらしく勘のいい人だと思います。本当にピンポイントで人間の感情生活を豊かにし、宗教的感受性を豊かにする機関を片っ端からつぶしていったんですから。
 現世しかない。今ここしかない。ここでの勝ち負けがすべてだ。相対的な優劣、勝敗、強弱だけが問題だ。これはたしかに反知性主義なんですけれども、それ以上に「外部」に対する憎しみにドライブされている。それに対して多くの日本人が拍手喝采を送っている。それは知性的、感性的、霊性的な成熟を拒否するぞという宣言に同意しているということです。末世的な風景です。
 
 丹後半島の中に、もう人が2人しか住んでいない超限界集落があります。かつて数十人いた集落で、今は80歳を越したおばあさんが2人住んでいるだけです。そこの古民家を買って、改築して住もうとしてる門人がいます。その夫婦がそこで一生懸命古民家の改築をしてたら、おばあさんたちがやってきて「あんたたち、ここに住むのかい」と言う。「きれいにしたら週末だけ畑仕事をしに来ます」と言ったら「それより公民館があるから、この公民館をあんたたち守ってくれ」と言われた。
 もともとその集落のすぐ上にお寺があったんですけど、お寺が廃寺になったので、地蔵尊の本尊を公民館に移したんだそうです。平安時代の仏像が公民館に安置してあって、このおばあさんたちが2人とも亡くなってしまうと、この集落は廃村になって、公民館にある御本尊を守る人がいなくなる。二人とももう後がないから、あなたたち夫婦でこの公民館守ってください。好きに使っていいからと言われた。
 すごく広いんですよ。下は40畳くらいの集会場で、2階には宿泊施設がある。もちろん台所もお風呂もトイレもある。そこで彼らはまずきれいに床を貼り直して、お掃除して、布団買って泊まれるようにして、公民館を使えるようにした。
 その門人夫婦は一部上場企業に勤めてるんですけども、もう会社やめてこの集落に移ろうかしらって言ってるんです。だって地蔵尊があるから、御本尊守らないといけないからっていうんで。田んぼ作って、ここでお米作って、野菜作って、ヤギ飼って、羊飼って...といろいろ夢を語っているんですよね。えらいなあと思って。今はそういう人たちがあちこちにいるんです、日本中に。
 この人たちは野生の自然と文明社会の境界線に立ってるんです。そこを頑張って踏みとどまってるんです。彼らも直観的にわかってるんです。ここが野生の自然と文明社会のインターフェイスだってことが。このインターフェイスには誰かキーパーがいないといけない。ひとりでもふたりでもいいからキーパーがいないといけない。ここにいて野生の侵入を押し戻す。押し戻すしつつ、野生からの恵みを受け取る。野生のもの、人間とは違う世界のものとの境界線だけが人間に恵みをもたらす。野生そのものも、文明そのものも、恵みをもたらしません。原生林の中では生きていけないし、コンクリートの都会の中には食べるものが何もできない。川があっても汚れていて水さえ飲めない。飲める水も、食べられる農産物も、それを生み出すのは野生と文明のフロントラインなんです。だから、その境界線は誰かが守らなければならない。「センチネル(sentinel)」というのは「歩哨」「番人」のことです。超越的なもの、野生のもの、異界のものとの境界線を守る者です。そういう人が一定数いなければこの世界は持たないという直感に導かれて、彼らはその集落にいるわけです。

 そういう人が今日本中にいろんな形でいるんです。本に関わることだけ言うと、今、日本中で「一人書店」が増えているんです。自分の町から本屋がなくなってしまったけれど、それは耐えられない。本屋が一軒もない町なんかに住みたくない。じゃあ、自分が本屋をやろう。ただ自分にも仕事があるから、生活費は稼がなきゃいけないから、本屋だけじゃ食えないから、週日は仕事をして、土日だけ本屋をやる。本屋って別に事業免許いるわけじゃなくって簡単にできちゃうらしいんですよね。取り次ぎを通すためには、とんでもないお金が要るけれど、取り次ぎを通さないで出版社から直で物を買うっていう本屋さんだったらすぐに開業できる。そういう「一人書店」が今日本中にできている。誰も「作りましょう」というキャンペーンしているわけではないのに、どんどんできてて。始めるのは女の人が多いですよね。だいたい書店とカフェと一緒にやってるんです。
 この間、地方からの文化発信というシンポジウムみたいなのがあって、僕もオンラインで参加して、「一人書店っていうのがあって、なかなか頑張ってるみたいです」という話をしたら、オンラインで繋がっている女の人が「うちもそうです」って。高知の山の上なんです。車じゃ行けない。途中で車を捨てて、段々畑のあいだの道を歩いていって、ようやく山の上に家があってそこが本屋なんです。でも、そこの本のセレクションが「高知で一番とんがってる」っていうんで、来客が絶えない。本当なんです。しゃべってるうちに、画面の後ろから男の子が「こんにちは」って入ってきて、「ここですよね」とその言ってるんです。だから、僕が「君、山道登ってきたの?」って聞いたら「そうです」って。そういう人が1日に何人か来るそうです。
 一方で書物を単なる商品だと思ってビジネスとして書店をやっていく人たちがいますが、そのビジネスモデルはもう破綻しつつある。書物を商品だとみなすと、もうそれを売ってお金を儲ける仕事はもう先がない。でも、お金になろうがなるまいが、本を守るという人たちは必ずいる。

 僕がこの間行った鳥取の汽水空港というところは若い夫婦が手作りして始めた本屋さん兼カフェなんです。男性は千葉の人なんですけど、3.11のときに、もうダメだ、都市文明は終わると思って、西へ西へと流れてきて、鳥取の倉吉まで来たところでお金が無くなったので、そこに居着いて、あれこれ肉体労働をして暮らしているうちにふと本屋がやりたくなった。そこで土地を借りて、本屋とカフェを作った。そこがいま鳥取では 文化的な発信の一つの拠点になっている。気が付くと、日本中から次々といろんな人が集まってきて、倉吉周辺でさまざまな文化的活動を始めた。いま、すごく活気があるのですけれど、もとは「一人書店」だった。
 それ以外に一人出版社もいまは日本中にあります。これも週日は仕事をして生計を立てて、週末だけ自分で出したいという本を作って、出版する。ほとんど儲けはなさそうですけれども、それでも身銭を切ってでも本を出し続けたいと思っている人がいる。そういう形で個人で書物を守っている人たちが日本中にいるのです。

 学校図書館も司書も今虐げられています。抑圧されていて、職業として消えかけているというようなきびしい状況かもしれません。でも、「書物を守る」ということについては暗黙の合意が存在していて、多くの人が身銭を切って、自分の手で書物文化を守るために拠点を立ち上げて、活動しています。
 僕の若い友人に青木真兵君という青年がいます。彼は今、奥さんの海青子さんと一緒に、奈良の東吉野村というところで「ルチャ・リブロ」という拠点を作って活動しています。これは自分の家を図書館として開放している「私立図書館」です。もう始めて10年くらいになります。彼らのところにも、日本中から聞き伝えて、いろいろな人が集まってきて、その実践を見に来てる。青木夫妻はこれまで何冊が本を出していますが、いくつかは「一人書店」の出版物です。
 資本主義経済とは無縁のところで、そういう実践はこれからどんどん増えていくと思います。できたら、みなさん方も書物文化の守り手として、図書館という異世界の扉のゲートキーパーとして、そういう聖なる仕事にこれから打ち込んで頂きたいと思います。「来館者を増やせ」とか「ベストセラーを入れと」とか上が言ってきても、そんなのは気にしないで、「うるさい! 我々は『聖なるゲートキーパー』なのだ、ふざけたことを言うんじゃない」と、そういう俗な干渉は一蹴していただきたいというふうに思います。

質疑応答
司会 一番多かった質問はゲートキーパーについてです。ゲートキーパーとしての司書の仕事はどういう資質が必要なのかとか、現実問題としてどういう職務体系であればいいのか、両立するのかどうかとか、図書館とゲートキーパーとしては(子どもたちを)どう受け入れたらいいのかなというような質問です。また教育DXとの兼ね合い。今学校ではICT環境をすごく言われているが、そういうところと図書館のゲートキーパーとの両立みたいなところの質問が多かったかと思います。
ミステリアスな魔女感を出している諸先輩方はたくさんいて、私たちはそこまでまだ行けてないが、そういうほうを出したら、教育効果はどうなのだろうか、という質問をまずひとつお願いします。

内田 「ゲートキーパー」っていうキーワードにこれだけみんな反応してくれたってことは、みなさんご自身にその自覚があるってことだと思います。そういう言葉を使ってなかっただけで。だから、僕が「ゲートキーパー」と言ったら、「あ、それそれ」っていう感じで話が伝わった。「それだよ」っていう実感があったからこれだけリアクションがあったと思うんです。でも、「ゲートキーパー」という言葉って、今日ここに来て、ここで話しながら思いついたんです。
 医療家になる人とか、学校の教師になる人とか、基本的にメンタリティに一定の傾向性があるんです。気が付いたらその仕事に就いていたっていう。
 特にその傾向が強いのは教育者と医療家です。これは絶対この世に必要な職業だからだと思います。
この集団として生きていくために絶対必要なものがいくつかありますが、僕は基本的なものは四つだと思います。その四つのピラーで人間の社会は支えられている。
 第一は「物事の理非が判定できる人」です。裁く人です。それから、「癒す人」です。病気や怪我を治す医療人。それから、「教える人」、教育者です。それから、「祈る人」、宗教家。集団が存立するためにはこの4つピラーがなくてはならない。基本動詞として言い換えれば「裁く」「癒す」、「教える」、そして、「祈る」です。この4つの基本動詞で人間集団は成立している。この四要素がそろっていないと、集団は維持できない。ですから、どんな集団も一定数この職業に強く惹かれる人たちがいるはずなんです。
 基本的なメンタリティとして「なんとなく癒やし系」の人って、たぶん全体の7、8%くらいはつねにいます。「教えることが好き」という人だともう少し多くて、たぶん全体の10%くらいいると思います。もちろんこの10%の人たちが全部教師になるわけじゃない。違う仕事に就いても、何かのもののはずみの時にふっと、「ちょっと教師やってよ」と言われた時に「あ、いいですよ」と即答してしまう。なんかできそうな気がして。
 ここにいらっしゃるみなさんも当然のことながら、実はある傾向性を持った方たちなんです。「癒し系」でも、ナースは魔女系なんです。で、ドクターは、これは自然科学の人なんです。そして、医療の妙味っていうのは、この自然科学系のドクターと、魔女系のナースが共同作業してるってことなんです。
 
 すごいおもろい話があって、また脱線しちゃうんだけども、ある女子大が看護学部を作った時にそこの先生になるナースの人たちと 『看護学雑誌』という雑誌で対談したことがあるんです。看護教育と女子教育について話をして、対談が終わった後、ご飯食べながら雑談してる時に、いろいろディープな話を聞きました。
 ナースっていうのはミステリアスなんですよ。いろんなことができるんです。その方は、病室で今晩越せない患者がいると「死臭がする」んだそうです。「ああ、もうこの人は今晩越せないな」とわかる。同僚には、今晩越せない患者がいると、「鐘の音が聞こえる」って人がいたそうです。ナースたちの間では「そういうことって、あるよね」で通るんですけれど、ドクターはそんな話をまったく信じない。そりゃそうです。科学的に何のエビデンスもないんですから。
 ところがその病院で、ある日、近くで大きな事故があった何かで次々と重傷患者が搬入されてくるってことがあって。そうするとトリアージしなきゃいけないわけです。限りある医療資源を生きられそうな患者に優先的に与えなければいけない。そうなると、もうドクターもしかたがなくなって、この二人のナースに「死臭してる?」「鐘鳴ってる?」って聞くようになったんですって。そういうことができるような人が医療家になるんです。

 司書もどっちかっていうと、ウィッチ系というか、魔法使い系の人たちだと思うんですよ。それを表に出して、「学校教育の中にゲートキーパー、ウィッチの居場所を確保しろ」と要求するのは、ちょっと難しそうですけれど、要はみなさんのマインドセットです。この世界には学校のルールとか、学校が設定している目標とか、学校の価値観とかマナーとかあるようだけれど、私たちは魔女だから、それとは違う価値観で働いている。「申し訳ないけれども、そことは違うの。そこはだって世俗の話でしょ。自分たちは、知のアーカイブの守り手なんだから。そんな短期的な、単年度でどういう業績が上がったとか、エビデンスがどうこうとか、数値がどうこうとか、評価がどうこうなんていうこととはまったく関わりのない次元の仕事をしているわけです。そこんとこよろしく」っていう、そういう態度の悪さっていうのをことあるごとに示していく、アピールしていいっていいと思うんです。「来館者数がどうだとか、閲覧回数がどうであるとか、そんなのどうだっていいの。図書館っていうのは、人が来ないのがいいのよ」とか言ってね。
 
 学校って、とにかくいろんな先生がいて、いろんな価値観を持っていて、一人一人物差しが違うのがいいんです。価値の尺度を計る物差しが違う人がいっぱいいるっていうのが、子どもの成熟にとっては一番いいことなんです。みんなが同じ価値観で律されている社会って、子どもにとっては本当に息苦しくって、そこでは生きられないし、成熟できないんです。だから学校に来なくなっちゃう。学校の中には子どもたちが「とりつく島」が必要なんです。
 保健室登校があるのは、そこは医療原理が支配する空間だからです。医療原理って、ヒポクラテス以来ずっと同じなんです。相手がどんな身分の人間であっても、相手が自由人であっても、奴隷であっても、診療内容を決して変えてはいけない。医療は商品じゃないからです。相手によって医療内容を変えてはいけない。必ず自分が提供できる最良の医療技術で診療を行うこと。医者になる人間は、それを誓うわけです。だから保健室は学校の中における異世界であり得るんです。そこでは子どもたちを一切差別しないから。病んだ人たちを誰であれ受け入れて癒やしてく。
 それと同じように、やっぱり学校の中にもう一つぐらいあったっていいじゃないですか、異世界が。図書室は異世界であっていい。そこでは少なくとも「知」っていうことに関しては、教室とは全然違う物差しでものが計られてる。そこに行くと、深く呼吸ができるとか、ほっとするという子どもたちが一人でもいたら、それで僕は十分だと思うんです。その子を救うことができたんですから。学校は嫌いだけれども、図書館には行ける。そういうような、固有の、ミステリアスな、雰囲気を作ってほしいんですよ。とにかく僕からのお願いは、とにかくみんな魔法使いのような雰囲気を漂わせて就業していただきたいんです。校長に「何やってるんだ」と言われたら、「だって、私、魔法使いだし」って(笑)。
 いや、これ本当に、真剣に言っているんですよ。書物の文化とか、あるいは真の意味での学校教育を考えたら、学校の中には絶対に「魔法使い」がいなきゃいけないんですよ。だから、子どもたちはみんな『ハリー・ポッター』をあんな喜ぶんじゃないですかね。あの物語の中では、先生たちはみんなミステリアスな秘密を抱えこんでいるでしょ。でも、今、学校の先生たちって、ミステリアスであることを禁じられていますからね。だから、みなさん方がぜひ、その学校におけるミステリアスな部分をぜひ担っていただきたいと思います。

司会 次は子どもとの付き合い方みたいなところです。今の子どもたちで「それ当たり前」「知らなくてもいい」みたいな子どもたちは、少なからずいるわけですが、そういう子どもたちには何を語ったら良いのかとか、聖なる存在である子どもたちと、異界である入り口である書物がたくさんある図書館との相性はどういうものなのだろうかということ。無知が可視化されて、それでも何か知りたい、成長したい、という好奇心・向学心とはどう生まれてくるのかというような質問です。

内田 図書館というのは「おのれの無知を可視化する装置である」ということを申し上げましたけれど、無知を可視化されたせいで足がすくむということと、そこから「とにかくこの中の万分の一でも億分の一でもいいから学びたい」という学びが起動する気持ちって、ワンセットなんです。慄然すると同時に謙虚になる。
 学びの姿勢として一番良くないことは、頭の中にガラクタな知識や情報が詰まっていて、もう新しい知識や情報が入る余地がないということです。「無知」というのはそのことなんです。「無知」っていうのは、頭の中にジャンクな知識がいっぱい詰まっていて、もう新しいものが入らないという状態のことを言うんです。これは僕が言ったわけじゃなくて、ロラン・バルトがそう言っているんです。
 ですから、それを逆に言うと、「知的」というのは、乾いたスポンジが水を吸うように次々と新しい知に対しての渇望が湧いてくる状態のことです。そういうダイナミックなプロセスのことなんですよ。静止的な状態じゃなくて、動的なプロセスのことなんです。「もっと知りたい。もっと、学びたい」という意欲のことなんです。もっと自分自身の知の枠組みを刷新してゆきたい。ひとつのものの見方の中で固まっていたくない。もっと別の枠組みで世界を見ていきたい。そういう知の自己刷新のことを「知」と言うんです。
 容器があって、その中にいろんな知識や情報や技能を詰め込んでゆくのが「ものを学ぶ」ということだとみんな考えていると思うんですけれども、全然違いますよ。「ものを学ぶ」っていうのは、入れ物自体がどんどん形状が変化して、容積が変化して、機能が変化していくってことなんです。ここに入れ物があってその中にあれこれコンテンツを溜めてゆくということではないんですよ。入れ物自体が新しい入力があるたびに別のものに変化してゆくことを「学ぶ」っていうわけですからね。「士三日会わざれば、刮目して相待つべし」ですよ。学ぶ人間は三日で別人になっちゃうんですよ。学ぶことで三日前とは顔つきも違う、語る言葉の語彙も違う、声色も違う。全部変わってしまう。別人になることですよ、学ぶっていうのは。学校教育とは子どもたちが別人になるのを支援してゆくことなんです。
 無知に甘んじ、無知に居着いている子どもたちを自己刷新のプロセスに導くことが教師の仕事なんです。居着くってことを「無知」っていうんです。変に物知りで、ろくでもない屁理屈をこねて先生やりこめたりするみたいな(笑)、ろくでもないガキがいますけども、こういうのが無知の典型なわけです。
 この無知で凝り固まった子たちを解きほぐすのってなかなか難しいんです。だって、子どもたちが無知に居着くのは、実は自己防衛のためだからなんです。自己刷新というのは一回自分の手持ちのスキームを手離すことです。一度、自分の信念の体系を壊して、無防備な、開放状態になる。だから、その時にはすごくフラジャイルで、傷つきやすくなるんです。そうしないと、自己刷新ってできないから。連続的な自己刷新というのは非常にリスキーな企てなんです。学ぶために自己防衛を解除するわけですから、その時は非常に柔らかく、傷つきやすい状態になる。その柔らかい状態になったときに、誰かに傷つけられた経験を持ってる子は、それがトラウマになって、自分を開くことを止めてしまうんです。怖いから。
 自分自身の価値観を絶対に変えないぞって。「俺は俺らしく生きる!」みたいにこわばる子どもって、実は、自分の価値観を勇気をもって手離した時に傷つけられた経験っていうのがあるんです。だからそれを解除するのって、すごく難しい。

 大学で教えているとわかるんです。18歳くらいで大学に来た子たちって、ほぼ全員が程度の差はあれ、中等教育の間に何らかのトラウマ的な経験をしている。だから、閉じている。ぜったいに教師なんかには心を開かないぞって覚悟を決めて登場してくる子もいます。その子たちに「怖いことないよ。心を開いても誰も君を傷つけないから」っていうことを納得させるのに2年くらいかかるんです。もう大学生活の半分くらいかかる。ようやく3年生くらいになってはじめて自分の知的なスキームを壊して、自己刷新してゆくことができるようになる。傷つきやすい状態になっても、誰も自分を傷つけないっていう保証があれば、自分を開くようになる。
 たぶんこの子たちはそれまでどこかで自分の気持ちを一回開いて、先生を信じたり、親を信じたり、友だちを信じたりしたせいで、傷つけられた経験があるんだと思います。それからずっと閉じている。傷つくのが怖くて閉じている。だから、教育に関わっている人たちにお願いしたいのは、子どもたちが心を開いたときに、フラジャイルな状態になったときに、絶対に傷を負わせないということです。学校って、本来は温室じゃなきゃいけないところなんです。どれだけ自分を無防備にしても誰からも傷つけられないということを先生たちが保証してあげないといけないんです。
 イノセンスってすごく大事なんです。子どもたちは「聖なるもの」につながっているという話をしましたけれど、それがイノセンスということなんです。無垢で、無防備であるということなんです。イノセンスであるときに傷を負うと、子どもは自己防衛をするようになる。でも、知的であるためにはある種の無防備さが絶対必要なんです。自己防衛がしっかりしていて、どんな攻撃にも対処できる人が同時に知的であるということはありえないんです。知的であるってことは無防備であるということだからです。「無防備になれる」ってものすごく高度な能力なわけです。その能力を涵養してゆくのが学校教育の、特に初等中等教育の仕事なんだと思います。子どもたちに「イノセンスでいいんだよ」って無防備でかまわないんだよ、無防備でいても誰も君を傷つけないからって約束すること。
 無防備に、イノセンスを保ったまま育った子たちって、大きくなってからすごくいい感じなんです。金が欲しいとか、権力が欲しいとか、有名になりたいとかって思わないから。大人になってもイノセンスを保てる子って、社会的承認をうるさく求めない。ふつうにしていてもみんなからやさしくしてもらえたという経験がある子は、何がなんでも有名になりたいとか、何がなんでも金が欲しいとかね、人に屈辱感を与えることができるような立場になりたいとかって、思わないんです。今の子たちのほとんどがそっちにいっちゃってるっていうのは、どこかでイノセンスを失ってしまったからなんです。子どもの顔見てそう思うでしょ、無邪気とか、無防備とかっていうのって今、ほんとにね、見なくなってしまった。
 学校教育の仕事は子どもたちの中にかろうじて残っているイノセンスをどうやって守ってあげるかということなんです。無防備な人じゃないと、まったく新しいことって起こせないんです。がちがちに自己防衛していて、かつ知的にイノベーティブな人なんてこの世にいません。
 
 だから、子どもたちを守るいろんな方法がありますけれど、その一つとして、とにかくみなさんがたが学校の中にミステリーゾーンを作って(笑)、そのミステリーゾーンではどんなに無防備になっても、ゲートキーパーの方たちがここでどうやってふるまったらいいか、そのマナー知っているから、それをきちんと聞いてる限りはぜったい傷つかないからって、そういう保証をしてあげる。ミステリーゾーンの中に奥深く入っていく「先達」として、みなさん方が子どもたちの手を引いてってあげるっていう、そういう仕事をされればいいと思うんです。そこでは格付けはしないし、評価もないし、もちろん恫喝することもないし、不要に恐怖心を与えることもない。ここにいて、「先達」についてゆく限り、絶対あなたは傷つけられることはないよ、そういう場所を学校の中に作っておくということは、すごく大事です。
 だから、世俗の権力はそこをつぶしにかかってくるわけです。学校の中に世俗の価値観になじまないミステリーゾーンなんかあったら困るから。でもミステリーゾーンを守るためには闘わないといけない。この聖地を守るためにはみなさんが闘わないといけない。
 学校の一番大切な仕事は、子どもたちを守ることです。評価したり、格付けしたり、相対的な優劣を論じたりってことは、学校の本務ではありません。子どもたちの成熟を支援することです。そのことを重ねて申し上げたい。

司会 本、資料についての質問があります。あらゆる資料が神聖なものであると言い切れるのか。あと、ファンタジーを読んでも賢くなったという感覚は無いんだけれども、過去の知識とつながるという意味でならノンフィクション、事実が書かれた書物のほうがつながりが深いのかなというような質問です。
また、今学校図書館は探究学習での活用が求められて、調べるっていうことが重要になってきているんですけれども、そういう調べるということと、心を豊かにするということ、読書センターとメディアセンターとのバランスみたいなのはどうしたらいいのだろうか、デジタルの資料との兼ね合いをどうしたらいいのかという質問があります。あと本があるとほっとする人と、本があると息がつまるという子もいるんですが、その違いはどこから来るんだろうかというような質問があります。

内田 ファンタジーとかノンフィクションとかジャンル関係なく、どんな本でも読んでいいと思います。大事なことは、子どもたちが狭い小さい自分の殻から外に出るということです。子どもたちって、けっこう頑迷なんです。自分の年齢であったり、性別であったり、自分が帰属している集団の文化であったり、その「檻」の中からなかなか出ることができない。これを解除して、「檻」の外に引き出さないといけない。
 一番いい方法は、今の自分とはまったく違う世界の、遠い国の、違う時代の、年齢も、性別も、宗教も、生活文化もまったく違う人の中に入り込んでいって、その人の身体を通じて世界を経験することです。自我の呪縛を解体する方法としては、一番これが効果的です。そのための手段はなんでもかまわないんです。小説でもかまわないし、ファンタジーでもいいし、もちろんノンフィクションでもいい。ノンフィクションだったら、実際にリアルな人物がそこにいて何ごとかを経験しているわけですから、そのリアルな他者のうちに想像的に入り込んで、その人の身になって世界を経験することができる。
 僕自身の読書経験のお話をします。それまではマンガしか読まない子どもだったんですけども、父が教養主義の人だったので、10歳くらいの時に、『少年少女世界文学全集』ってのを買ってきて、それを読まされた。毎月一冊配本されるのだけれど、最初は本を読む習慣がないから読むのが遅いんです。あんまり面白いと思わなかったし。でも親に「読め」って言われているから仕方なく読んだ。でも、ひと月かかっても1冊読み終わらない。読み終えないうちに次の本が来て、どんどんたまってくる。でも、そのうちに本を読むのにも慣れてきて、読むのも速くなってきて、本を読むのがだんだん楽しくなってきた。
 そして、ある日、決定的な転換点がありました。それはルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』という本が来たときなんです。それを読んで、生まれて初めて、1860年代のニューイングランドの、4人姉妹の女の子の中に想像的に入りこんで、女の子の目から世界を見るっていう経験をしたんです。ジョーに感情移入して、少女になって世界を見るという経験をしたときに、僕のなかの何かがはじけたわけです。それから後、『あしながおじさん』を読んで、『赤毛のアン』を読んで、『愛の妖精』を読んで、『アルプスの少女ハイジ』を読んで、『小公女』を読んで、少女の身になって世界を経験するっていうのがもう楽しくてしょうがなかった。
 ですから、当然少女マンガも読めます。少女マンガって、男の場合、まったく読めないっていう人がけっこういるんです。少年マンガにはすごく詳しくって、いっぱい読んでるけれども、少女マンガは読めないって。どういうコマ割なのかわからないし、吹き出しも複雑すぎて読めないって。僕は少数派であるところの「少女マンガを読める人」なんです。あまりいないんです。鈴木晶(しょう)さんと前に「少女マンガが読めるっていうのは、子どものときに少女小説読んで、女の子になった経験がある、そのあるかないかの違いが大きいんじゃないか」っていう話をしたことがあります。彼も僕と同じで、少女の身になれる人なんです。
 今年の夏『ダ・ヴィンチ』が、山岸凉子特集(2023年9月号)で。山岸凉子の怖い話について、ぜひ書いて欲しいという依頼がありました。そのあとすぐに、今度は文藝春秋から山岸凉子の文庫が出るから解説を書いてくださいっていう依頼がありました。男子で少女マンガについて解説書く人って少ないんですよ。僕はそれが書ける少数派の人なんです。
 僕の寄稿したエッセイの上の欄が岩井志麻子さんで、岩井さんが何が一番怖いか書いていて、それが『天人唐草』と『汐の声』。僕も同じもの選んでて(笑)、僕はそれと『わたしの人形は良い人形』です。
 少女マンガが読めるようになったのは、手柄顔して言うわけじゃないんですけれども、子どものときに少女小説を読んだからです。女の子になって世界を見るということがものすごく楽しいことだっていう刷りこみが最初にあったから。だから、女の人の書いたものを読むことができる。

 僕はそのあと文学でなくて哲学を専門にするわけですけども、哲学だって実は同じなんです。やっぱり哲学者の中に想像的に入ってゆく。どうしてこの人はこんなこと必死になって説いているんだろうと考える。そのうちに「あ、なるほど、それが言いたいわけね」って何となくわかる。自分の先入観を手離して、他人の中に入んないと、哲学だってわからないです。自分から出ないで、自分を手離さないで読んでいると、哲学書ってただ難しいだけなんです。でも、哲学だって、文学を読むようにして読むしかないんです。語り口はごつごつしてますけれど、実際には哲学者だって「これだけは言わずには死ねない」っていう、やむにやまれぬものがあるから哲学書を書いてるわけで、その気持ちって、文学とそんなに変わんないんです。
 だから、ジャンルでどうこうということは無いと思うんです。遠い国の、遠い時代の、今の自分で全然違う人の中に入り込むっていう経験は、とっても大事だし、とっても愉快だし、素敵なことなんだよってことを、ぜひ子どもたちには熱く語っていただきたい。襟首つかんで、「いいから、本読め!」って(笑)。
(2023年8月5日 学校図書館問題研究会 大阪私学会館)