三砂ちづる先生との「子育て」をめぐる往復書簡が終わった。最後に短いあとがきを求められたので書いた。
みなさん、最後までお読みくださって、ありがとうございます。最後に三砂先生が詩で締めてくれたので、僕が巻末で贅言を弄することは無用のわざなんですけれども、「何かひとこと」という要請が編集者からありましたので、短いご挨拶だけ書いておきます。
長きにわたって僕のまとまりのない話にお付き合いくださった三砂ちづる先生と編集の安藤聡さんにまず感謝申し上げます。
話が最後まで散らかったままで、結論らしいものに手が届かずに終わってしまったのは、子育てという論件が、いかに一筋縄ではゆかない難問であるかということと、いかに多くの論じ方があるかということをあわせて教えてくれたと思います。
ですから、「あとがき」でも、何かまとまったことは書けそうもありません。最後の便で三砂先生が書かれたことについて、僕からひとことだけ書き足して終わりにします。
子育てというのは、三砂先生がお書きになっているように、親自身が未熟な状態で始まります。そして、子育てを通じて親もしだいに成熟してゆく。そういう動的な過程です。未熟な親ですから、それと気づかぬうちに子どもを傷つけてしまうこともある。このことに例外はないと思います。
僕は未熟な親として子育てをしてきて、ある時点で、「子どもを愛すること」と「子どもを傷つけないこと」では、「子どもを傷つけないこと」の方を優先させるべきではないかと考えるに至りました。「どうやって子どもを愛そうか」工夫するより、「どうやって子どもを傷つけないようにするか」を工夫する方がたいせつだと思うようになりました。
というのは、「子どもを愛しているから」「子どものことを心配して」「子どもの将来のことを考えて」という理由で子どもを傷つける親が実に多いということを骨身にしみて知ったからです。「愛している」という感情的事実は、愛している当の相手を傷つけることを制御できない。それだったら、「愛している」ということにはあまり意味がないんじゃないか。そう思うようになりました。それだったら、むしろ「傷つけない」ことの方を気づかった方がいい。
その結果、僕は子どもに対して「敬意を持つ」ことに決めました。この子の中には僕の理解や共感を絶した思念や感情がひそんでいる。そのことをすなおに認める。そして、無理をしてそれを理解したり、共感しようとしたりしない。
無理なことはしない方がいい。相手が自分の大好きな子どもであっても、その子のために無理はしない方がいい。
無理なことをすれば、それは親の子どもに対する心理的な「債権」になるからです。「私はこれだけ無理をして、想像力を発揮して、自分の価値判断を抑制して、あなたのことを理解し、共感し、受容しようと努力してきたのだ」というふうな言葉づかいで自分の「子どもに対する愛情」を(口に出さないまでも)語ってしまうと、その「努力」の分だけ親は子どもに対して「貸しがある」という気分になる。「貸し」があれば、どこかで「回収」したくなる。
だから、「あなたのためにこれだけ努力してきたのだ」という言葉を親は決して子どもに向けるべきではないと思います。それは、子どもを傷つける度合いにおいては、「誰に食わせてもらっていると思っているんだ」という言葉とそれほど変わらない。
今の世の中では「愛する」ということが人間の感情のあり方としては至上のもののように思いなされているようですけれども、ほんとうにそうなんでしょうか。僕はそれよりも「敬意を抱く」ことの方が感情生活においては、たいせつだし、困難なことではないかと思うのです。
人間は他人から熱烈に愛されていても、それに気づかないということはあります。でも、他人から深い敬意を抱かれていて、それに気づかないということはまずありません。敬意にはどんな感情表現よりも強い伝達力があるからです。敬意は、愛情よりもはっきりと相手に伝わる。たぶん憎悪よりも、羨望や嫉妬よりも、はっきりと伝わる。「鬼神を敬して之を遠ざく」という言葉が『論語』にありますけれども、これはコミュニケーション不能の相手であるはずの「鬼神」でも、人間が示す敬意には反応するということを教えてくれているのではないでしょうか。
なによりも、敬意には「これだけ敬意を示したのだから、見返りをよこせ」という「債権督促」メッセージが含まれていません。敬意はただの敬意です。何の底意もない。メッセージがあるとしたら、それは「私はあなたを傷つけたくない」ということに尽くされます。
もちろん、それでも未熟な親が子どもを傷つけてしまうことは止められないでしょう。でも、かなり抑制することはできると思います。
子どもに対して敬意を以て接すること。
子育てについて語った言葉は無数にありますけれども、このことを最優先に語る人があまりいないようなので、子育てについて長々と書いて来た最後の一言として、ひとことだけ書きとめておきたいと思います。
改めて、お二人に長きにわたって僕の「頭も尻尾もないような話」にお付き合いくださったことに感謝申し上げます。ほんとうにありがとうございました。この本がいま「子育てしている」親たちにとって何らかの助言になること、「子育てされた」子どもたちにとって自分の身に起きたことを理解する手がかりになることを願っています。
(2023-06-26 09:15)