いささか旧聞に属するが、忘れるわけにはゆかないことなので、ここに記しておく。
バイデン米大統領は、岸田首相との日米首脳会談の後、日本の「防衛力の抜本的強化とともに外交的取り組みを強化する日本の果敢なリーダーシップ」を称賛した。バイデン大統領は日本の防衛費をNATO加盟諸国並みのGDP2%に増額することを求めていた。岸田首相は財源の裏付けもないまま米の要求を丸呑みしたわけであるから「称賛」されるのも当然である。
しかし、問題は財源がないということよりもむしろ日本に自前の国防構想がないということである。岸田首相は国会審議を経由せず、閣議決定だけで国防の基幹にかかわる政策決定を行った。理由を問われても「アメリカから言われたから」という以外に国民に説明する言葉があるとは思われない。
今回の防衛費増額の根拠は「安全保障環境の変化」である。軍事的危機が高まったので、軍事力を高めるしかないと政治家が説明し、メディアもそれをそのまま伝えている。まるで「台風が近づいています」というような自然現象のように軍事的危機について語っている。
しかし、ちょっと待って欲しい。たしかに台風の発生や進路についてなら、人間の側に責任はない。だが、軍事的危機は当事者たちの脳内で営まれた思考の帰結である。日本人もまた当事者である以上、おのれの「脳内」の点検をまずすべきではないのか。
2015年の安保関連法案採択に際して、当時の安倍首相は法案の必要性を弁じてこう述べた。「日本が武力を行使するのは日本国民を守るため、これは日本と米国の共通認識です。もし、日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考える。」
あれから8年が経った。強行採決までして法案を通したのであるから当然「抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなった」はずである。だが、今政府は「日本が攻撃を受ける可能性はさらに一層高まった」として防衛費の倍増を言い出した。それは安保法案が国防上無効だったということを意味するのではないのか。
だとしたら、まず「国防上無効だった法案を強行採決までして採択したこと」についての反省と謝罪から話は始まるべきだと私は思う。
それとも、あの時点ではあの政策が最善だと思われたのであるが、その後想定外の国際情勢の変化があり、結果として「日本が攻撃を受ける可能性は一層高まった」のだが、それは全く私たちの責任ではないと言うつもりであろうか。
いや、そういう言い訳をしてもいい。私も大人だから、政府に無謬を求めるような無体は言わない。たぶん、さまざまな想定外の安全保障上の変化があったせいで、「抑止力をさらに高める」ための法案が無効になったのであろう。
だがそれなら、「想定外の安全保障上の変化」に不意打ちされて、今大慌てしているのは、自分たちがどのような情報の評価を誤ったのか、どのような地政学的変化を予測できなかったのか、それをまず自己点検すべきではないのか。その診断結果を開示して、「評価ミスの原因は除去しておきましたので、次は間違えません」と誓言するところからしか「次の話」は始まらないのではないか。
国論を二分させた安全保障政策が外れた以上、政策起案者たちには安全保障上何が有効であるかを思量する能力に大きな問題を抱えていると判断するしかない。その人たちが「こうすれば抑止力は一層高まる」と自信ありげに言うのをどうして信じられようか。
(山形新聞 2月9日)
(2023-02-15 18:05)