ウクライナの戦争が始まってもうすぐ1年になる。始まった当初はまさかこれほど長く戦争が続くとは誰も思っていなかっただろう。侵攻を命じたプーチン大統領自身は短期間に首都は陥落し、ゼレンスキー大統領は亡命し、親露傀儡政権ができると信じていたと思う。アメリカも侵攻直後にゼレンスキーに亡命を提案したくらいだから、ウクライナがこれほど頑強な抵抗をするとは思っていなかったはずである。しかし、戦争は今も終わる気配はない。
ロシアはたぶん決して譲歩しないだろうとアメリカの外交専門家たちは推測している。
ロシア軍は軍事的に劣勢であり、国内経済の先行きは暗く、国際社会からの支持も得られていない。とりあえず停戦をして、国内問題の解決にリソースを優先的に分配する方が、意地になって戦争を継続するより合理的であることは誰でもわかる。ロシアのリアリストたちもそれくらいのことはもう分かっている。でも、誰もそれを口に出せない。それはもしウクライナが提示する停戦条件が、ロシアに何らかの領土的譲歩を伴うものであるとたら、その条件の適否を議論のテーブルに載せること自体が生命の危険をもたらすからである。
ロシアでは、領土的譲歩を含む政治的主張は法律によって禁じられている。いささかでも領土的譲歩を含む調停案を口にしたとたんに、その人は刑事訴追され、投獄され、政治生命を失うリスクがある。だから、ロシア国内に「北方領土をめぐって日本政府と交渉したらどうか」というような政治的主張をする人がいないのは当然なのである。北方領土はロシア固有の領土であるとロシア政府が言っている以上、「そこに未解決の領土問題がある」と口にすること自体が犯罪になるのである。
ロシア政府はウクライナの相当部分をロシア固有の領土とみなしている。だから、仮に、万が一、どこかの周旋でウクライナとの停戦交渉が始まったとしても、そこでは過去にロシアが併合したクリミアやウクライナ東部の帰属をめぐる議論は決してなされないはずである。プーチンがこの方針をまげて「領土的譲歩もやむなし」という肚をくくるかどうか。たぶん、それはないと思う。
プーチンが戦争継続に固執する理由はいくつかあるけれども、彼が冷静かつ合理的に思考をしているという前提に立てば、彼が戦争を止めない理由は二つある。
一つは、今回の軍事行動を失敗と認めると、政治的正統性を失って失権すると思っているから。一つは失敗を認めると、ウクライナや近隣諸国が「ロシア与し易し」と判断して、NATOの支援を得て軍備を増強し、以後さまざまな事案でロシアに外交的譲歩を迫って来ると思っているから。この二つの推論はどちらも合理的である。プーチンが軍事行動の失敗を認めてしまったら、たぶんそうなる。プーチン自身にもロシアにも「後がない」のである。
だから、逆に考えればウクライナとNATOが出せる停戦条件はおのずから決まって来る。それはプーチンの政治的地位の安定を国際社会が保証すること、今後ロシアと隣接する国々へは絶対に軍事支援をしない約束することである。頭が痛くなるような条件だけれども、とりあえずそれが今のところの「落としどころ」のようである。
(東京新聞 2月9日)
(2023-02-15 18:02)