1月25日に大阪府知事に立候補表明をしたたつみコータローさんが凱風館にいらした。私がTwitterで「辰巳孝太郎さんに大阪市長選に出て欲しい。出たら応援するのに」と書いたのを見て、対談のオファーをしてくれたのである。はじめてお会いするのだけれど、予想通りさわやかな好漢だった。こういう誠実で知的な人に大阪府政を任せたいとしみじみ思った。
対談は「大阪民主新報」に掲載されるが、字数制限があったので、以下にロングヴァージョンを掲げておく。
内田 大阪市長じゃなくて府知事だったんですね(笑)。
たつみ 年末に「明るい会」という政治団体から要請を受けて快諾しました。記者会見で、国政でやってきたが迷いはなかったかと聞かれましたが「ゼロです」と答えました。大阪の悪い政治の大本である維新政治をとにかく変えたいと。
内田 僕は学生時代は反代々木系の活動家だったので、共産党に対してはかなり批判的でした。でも、大学に勤めるようになって、同僚に党員が何人かいて、彼らを知って共産党に対する評価を変えました。組合活動や学務をしているうちに組織の中で一番信用できるのはクリスチャンとマルクス主義者だなと骨身にしみて思うようになったからです。思想の骨格が一本筋が通った人はやっぱり頼りになる。彼らは一度約束したことは守るし、ぶれない。世間の風向きがどうであれ、そういうことを気にしないで筋目を通る。そういう人たちと友人になってから共産党に対する評価を改めました。
たつみ そうなんですか。
内田 そうなんです。政党に対する評価を決めるのは綱領の「政治的正しさ」じゃないんです。そこにいる人間の質なんです。平松邦夫さんが大阪市長の時に特別顧問を委嘱されました。そのときに平松市長に諮問されて教育問題について哲学者の鷲田清一さん、宗教学者の釈徹宗さんたちといろいろ提言をしました。平松さんは2011年の大阪市長選で橋下徹さんに負けましたが、平松さんがもう一期やってくれていたら大阪はこんな悲惨なことにはなっていなかったと思います。大阪の教育現場だって、もっと穏やかで働きやすい環境になっていて、学力低下や教員不足で悩むことなんかなかったはずです。
たつみ 橋下さんが市長になって一番最初にやったのが大阪市職員への思想調査アンケートでした。政治活動への関与や誰に誘われたかまで書かせるもので、泣く泣く仲間の名前を書いた職員もいました。
内田 卒業式での「君が代」斉唱の口元チェックも橋下さんの時に起きましたね。僕はナショナリストですから国旗・国歌に対する敬意はあってしかるべきだと思っていますが、内発的なものでなければ意味がない。愛国心は政治的圧力で強要するものじゃありません。
たつみ 先生は以前、国旗の問題でアメリカの最高裁判決を引いておられましたね。
内田 アメリカ最高裁は1989年に「国旗損壊を罪とする州法は憲法違反である」という画期的な判決を出しました。国旗損壊は個人の政治的意見の表明であり、その権利は憲法修正第1条が認めているとしたのです。判決を支持した判事の1人は「痛恨の極みではあるが、国旗は、それを侮蔑する者をも保護する」という補足意見を記しました。僕はこの「痛恨の極みではあるが」という葛藤を公人として尊いものだと思いました。公人は個人的な心情と原理の間で葛藤するのがふつうなんです。自分と意見の違う人間を含めて市民を代表する仕事なんですから。自分と意見の違う市民を代表する気がない人間には公人の資格はありません。
たつみ なるほど。
内田 維新の政治で僕が最もきびしく批判しているのは、共同体が安定的に存続するために必須の「社会的共通資本」に手を突っ込んできたことです。
大気や水質や森林や海洋のような自然環境、交通網や通信網、電気ガス水道のような社会的インフラ、そして行政、医療、教育などの制度は専門家によって安定的に管理運営されるべきで、決して政治や市場とリンクさせてはならない。これは宇沢弘文先生の説かれたことですけれども、その通りだと思います。社会的共通資本は政権交代しようと、天変地異が襲おうと、恐慌があろうと、何事もなかったかのように淡々と継続されることが最優先なんです。でも、維新はそれを意図的に政治と市場に巻き込んだ。医療や学校の存否を短期的な費用対効果だけを基準に決定した。新自由主義者が世界中でやってきたことですけれど、それによってどれほどの社会的混乱が起きたか、人が傷ついたか、彼らが知らないはずはない。
維新は文化も敵視しました。ご記憶でしょうけれど、彼らが真っ先に助成を削ったのが文楽とオーケストラでした。有料公演で黒字が出せない芸能には存在する価値がないという病的な市場原理主義がそれ以後「大阪の常識」になってしまった。本来公共はそういう文化の存続を支援するためのものなのに。
維新の政治手法は、人間の欲望や怨念や嫉妬といった本音を感情的基礎にしています。確かにそれもリアルなのですが、公共心や倫理のような「きれいごと」を手放したら世の中は持ちません。日本人の倫理的劣化に棹をさした維新の罪は深いと思います。
たつみ 彼らの政治手法は、公務労働者と民間労働者、高齢者と現役世代、困窮者とそうでない人を対立させて分断し、「既得権益」といって攻撃するというものです。そんな分断・対立から連帯・共同の政治への転換を、この選挙で訴えていきたいと思います。
内田 集団内部に「諸悪の根源」を探し出して、「既得権益を不当に享受しているやつらを排除すれば万事うまくゆく」というのは陰謀論の基本です。維新は公務員バッシングから始めて、医療者、教員...と次々標的を拡げました。その結果、大阪の医療も教育も全国最低レベルにまで低下した。
たつみ 行政的には「二重行政」といって市民病院をつぶしたり。
内田 府立大と市立大の統合も「無駄をなくす」ためのはずでしたが、統合のための不要なタスクのせいで、教育研究のための時間が失われました。この統合のための作業で失われた学術的アウトカムを考えると、信じられないほど費用対効果の悪いことをしたことになる。そもそも、校風も教育理念も教育方法も違う大学を統合することはナンセンスです。教育研究機関なんですから、多様なものが共生している方が生産的であるに決まっているのに。
内田 カジノは世界的にすでに斜陽産業になっています。いま黒字なのはシンガポールとラスヴェガスくらいで、米東海岸最大の賭博都市アトランティックシティでも次々カジノが閉鎖されているというのが現実です。コロナによる行動制限、富裕層の偏在、人口減、どのファクターもカジノ商売には先がないことを示しています。まったく歴史的なトレンドを読まずに無理押しするわけですから、大阪カジノは歴史的失敗となることは確実です。大阪はこの後カジノがもたらす巨額の赤字を抱え込んで、苦しむことになると思います。
たつみ カジノはギャンブルだから経済の成長にはなりません。吉村知事は依存症対策を進めていくと言いますが、ギャンブル依存症は1回なれば治癒しないんですよね。世論調査でカジノ反対の理由の一番は、依存症が増えることと治安が心配だということ。現に警察官を300人増やすと言っています。公務員は減らす一方で。
内田 治安悪化もギャンブル依存症も、深刻な社会問題として顕在化するのは何年も経ってからです。その頃には「カジノをつくろう」と言い出した人たちは姿を消していて、責任を取る人間は一人もいない。そして、垂れ流される赤字のツケを払い続けるのは未来の大阪府民市民です。
たつみ 「大阪都」構想の住民投票では、保守の方も含めて運動を繰り広げ、ぎりぎりのところで大阪市廃止を止めました。大阪は人情の街といわれてきましたが、分断をあおる政治ではなく、協調・共同して大阪の経済や文化、教育、医療を守って支えていく大阪にすることこそが私の一番の使命だと思っています。
記者会見でも言いましたが、とにかく討論会をやってほしい。吉村さんはコロナで自分の言いたいことだけ言ってますが、頑張っているのなら、なぜ大阪でこれだけ多くの人が亡くなっているのか。今の大阪がどうなっていて、どう変えるべきか、ぜひ可視化させたいと思います。
内田 討論会はぜひやってほしいですね。
たつみ 大阪の経済を支えている中小零細企業にも光を当てたいと思っています。この間、お会いした東大阪の工場の社長さんは、トヨタの車をつくるAIのアームのねじを作っておられました。そのねじがつぶれて車が造れないと、入院中の社長に電話が掛かってきたんですが、ねじを作れるのはその社長さんしかいないので、手術の翌日に工場に戻って作ったそうです。大阪の中小零細企業が日本の経済を支えているんだと思いました。
内田 僕たちが名前も知らない日本の中小企業が世界的なメーカーのサプライチェーンに繋がっているんです。
たつみ ところが後継者がなくてその代で終わりになると。国の政策として後継者継承支援策はありますが、府に独自施策がないんです。僕が知事になれば、まず東大阪、八尾などに視察に行きたいと思っています。
内田 ぜひ、地方の中小企業の支援をお願いします。このあと日本は急激な人口減を迎えますが、その中で資本主義の延命を図り、経済成長にこだわる人たちにできることは一つしかないんです。それは都市部に資源を集中させ、それ以外の地方は過疎化・無住地化することです。人為的に過密地と過疎地を作る「囲い込み」です。
たつみ 国交省もコンパクトシティとか言っています。スーパーメガシティ構想でも日本は関東、中部、近畿の3地域でいいという方向性です。平成の市町村合併で、合併したところとしなかったところを比較した方がおられるんですが、合併しなかったところのほうが人口が多いと。
内田 そうなんです。合併すると、逆に生活できない土地が増えてくるんです。合併すると、経済合理性を言い訳にして、行政機関も学校も病院も警察も消防も統廃合されて、そういう行政サービスが何も受けられない行政の空白地ができる。「人口の少ないところに行政コストはかけられない。文化的な生活がしたければ都市部に引っ越せ」というのは、「これから先、過疎地には住むな」という政府や自治体からのメッセージなんです。
たつみ 大阪でも人口減で悩んでいる自治体がありますが、そういうところで学校などがなくなると、さらに人が減るでしょうね。
内田 小さな地方都市であっても、行政機関と病院と学校があれば雇用を創出して、地域経済を回せるんです。アメリカの地方都市には、州政府機関と大きな病院と大学だけで雇用と消費を創出しているところがあるそうです。
たつみ なるほど。
内田 行政と医療と教育のための拠点が残っていれば、住民はそこで生業を営むことができる。でも、今日本で行われているのは、行政と医療と教育の拠点「つぶし」です。それが最優先されている。そうやって統廃合を続ければ、雇用が失われ、地域の経済活動が冷え込み、生活に必要な基本的な行政サービスさえ受けられない「居住不能地」がどんどん広がって来る。それより津々浦々に行政機関、病院、学校を維持し、そこを中心に地域経済を回す仕組みをつくるほうが、はるかに合理的な解だと思います。
たつみ 今こそ大々的に打ち出して、これでこそ地域活性化するということと、何でも統廃合、民営化の維新政治は町を衰退させるばかりだということを話していく必要がありますね。
内田 すべての国民資源を都市部に集中する「シンガポール化」を行えば、たしかに人口減社会でも、都市部だけは人口過密状態が維持できますから、それなりに活発な経済活動が営めます。でも、それ以外の土地は無住地化し、居住不能になる。無住地になれば、地価はほとんどゼロですし、生態系を破壊しても抗議する地域住民そのものがいなくなる。ですから、ある意味でビジネスにとってはビッグチャンスなんです。おそらくそうやって人為的に創り出された無住地には原発や太陽光発電や産業廃棄物処理場などが建設されることになると思います。日本の山河がそういうふうに破壊されることに僕は耐えられないんです。たつみさんにはぜひ府内どこでも文化的な生活ができ、生業が営め、伝統的な祭祀や文化を守っていけるような地域を守る政策を掲げてほしいです。
たつみ 街頭で訴えを聴いてくれている人の中には、僕と同世代で、就職氷河期世代で苦しんだ人たちが少なくありません。バブルの後、政策的に貧困がつくられる中で自己責任論を押し付けられてきた人たちに、今まで分断されてきたよね、でもそういう分断はやめよう、やめようと言ってもいいんだ、公務労働者をいじめるなと言っていいんだという言葉が共感されているのを感じます。
内田 たつみさんにはぜひとも知事になって、維新の新自由主義的な政治を止めていただきたいです。僕もできる限り応援します。
(2023-01-30 16:13)