学校教育について取材される時はだいたい教える側として話を聞かれるのだが、先日は珍しく「どういうふうに勉強してきましたか?」を問われた。
改めて考えると、私は幼い頃から実に「勉強好き」の子どもであった。人に教えを乞うのが大好きだった。そう答えたらインタビュアーが不思議そうな顔をした。「そんなことを言う学者は珍しいです」という。でも、ふつうは学ぶのが三度の飯より好きだという人が学者になるのではあるまいか。不思議な顔をされては困る。
私は専門家に話を聞くのが大好きである。どんな分野でも構わない。知らない分野ほど好奇心が亢進する。前に教え子の結婚披露宴の席で隣に座った紳士から貴金属業界の景況について30分近く話を聞いたことがある。途中で先方がふと我に返って「こんな話、面白いですか?」と真剣に訊かれた。「すごく面白いです」と即答した。
イスラーム法学の話でも、感染症の話でも、能楽の話でも、刀鍛冶の話でも、現場を熟知している人の話を黙って聴くのが私は大好きである。聴いていると語られる言葉が一つ一つが身に浸み入るのが実感される。私はこれをひそかに「パッシブ・ラーニング」と名づけている。
当世は学生の参加や発言や対話を促す授業を「アクティブ・ラーニング」と称して、主要な教授原理としているらしい。しかし、学生をグループ分けして課題を与え、議論させてグループ発表をすることのどこが「アクティブ」なのか、正直言って私にはよくわからない。同じくらいの年齢で、同じ程度の社会的経験しかない級友の話を聞いて劇的な知的成長を遂げるということはあまり起こらない(絶無ではないが)。それよりは自分のまったく知らない領域のの専門家の話を黙って聴く方がはるかに質の高い「学び」になるように私には思われるのだが。
(2022-12-29 13:03)