教育についての「いつもと同じ話」

2020-03-03 mardi

 ある媒体に教育論を寄稿した。あまり人目に触れることのないマイナーな媒体なので、ブログに採録しておく。
 そちらの編集部から教育について寄稿をお願いされたので、「いつも同じ話をしているので、改めて書き下ろすようなことがありません」とお断りしたら、「ありものの使い回しでもいいです」ということだったので引き受けた。でも、さすがに「ありものの使い回し」で原稿料頂くのは良心が咎めて、結局全部書き下ろしてしまった・・・でも、書いている人間は同一人物なので、中身は「いつもと同じ話」である。 


 教育についての個人的意見を記す。
 もう20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えている。20年近くほとんど同じことを繰り返し訴えなければならないのは、私の主張が同時代日本人の同意を得ることができないからである。だから、以下に私が書くのは「日本社会のマジョリティによって受け容れられていない主張」である。
 私が言い続けてきたのは
(1)学校教育をビジネスの言葉づかいで論じてはならない
(2)学校教育の受益者は集団全体である
 という二点に尽くされる。
 それが日本社会のマジリティによって拒絶されているのは、「学校教育はビジネスの言葉づかいで論じられるべきである」と「学校教育の受益者は個人である」ということがひろく常識とされているからである。常識を覆さなければならないのであるから以下の話はいきおいくどく、長く、わかりにくいものになる。その点をご容赦願いたい。

 最初に学校教育をビジネスの言葉づかいで論じることの弊害について述べる。
「マーケット」とか「ニーズ」とか「費用対効果」とか「組織マネジメント」とか「工程管理」とか「PDCAサイクルを回す」とかいう経営工学的な用語が教育についての論に繰り返し登場するようになったのは、90年代の半ばからである。歴史的に言えば、91年の「大学設置基準の大綱化」が起点となった。
 もう30年も前の教育行政の転換のことだから、若い人は何のことだか分からないだろう。まずそこから説明を始める。
「大綱化」というのは要するに「大枠だけ決めておくから、細かいところは、それぞれの大学で勝手にやってください」ということである。それがどうして「一大転換」であるかと言うと、それまで文部省は大学について、校地面積や教員数や教育プログラムについて、「箸の上げ下ろし」まで小うるさく規定していたからである。これは「護送船団方式」と呼ばれた。文部省が「戦艦隊」で、それに守られて、非武装の船舶である大学がしずしずと航海する・・・というイメージである。護送されている船舶には航路を選択したり、速度を変えたりする自由はないが、撃沈されるリスクは減ずる。
 それが変わった。戦艦がもう護送任務を行わないと宣言したのである。「これからは各自で好きな航路で進んでくれ」と告げて、船団を離れたのである。これから大学はそれぞれで教育プログラムを自由に決めてよい。もううるさい口出しはしない。その代わり、その個性的な教育プログラムが評価されず、志願者が激減して、大学が潰れても文部省は与り知らない、と。というこの方針もその後なし崩し的に転換されて、今の文科省(2001年から名前が変わった)が「口は出すが、責任は取らない」という「ないほうがまし」な省庁に劣化したことはご案内の通りであるが、それでも91年に最初の転換点があったという歴史的事実に変わりはない。
 どうして文部省がそのような劇的転換を図ったかというと、18歳人口の減少が始まったからである。大学数と大学定員は18歳人口の増大と進学率の上昇を追い風に増大し続けた。しかし、少子化でその勢いが止まった。市場がシュリンクすれば会社は倒産する。明治以来、教育行政の本務は「国民の就学機会を最大化する」ことであった学校数を増やしていれば誰からも文句が出なかった。それが「学校を減らす」という前代未聞のタスクを負託された。「増やす理屈」は熟知しているけれど、「減らす理屈」を文部官僚は知らなかった。困り果てた文部省がすがりついたのが「市場に丸投げ=自己責任論」であった
 護送を失って自由航行を始めた船舶のどれが生き残り、どれが沈没するかは一つ一つの船の自己責任である。大学の教学プログラムの適否はこれからは文科省ではなく「市場」が判断する、と。このとき、学校教育への市場原理の導入が公的に認知されたのである。
 大学は「企業」に擬された。志願者は「顧客」で、教育事業は「商品」である。だから、顧客満足度の高い商品を開発し、提供できた企業は生き延びる。それができない企業は潰れる。シンプルな話だ。
 だが、ここにはそれ以上に重大な教育についての発想の転換が含まれていた。
 それまでは「どういう教育が『善きもの』か」という原理的な議論が存在した(戦時中の軍国主義教育も、戦後の民主主義教育も、「学校はどのような国民を育てるべきか」というところから話が始まった)。それが「どういう学校が選ばれるか」という話に変わったのである。
 これからは「売れる商品」が「よい商品」だとルールが変更されたのである。仮に学校が「ジャンクな商品」を提供しても、志願者たちが「欲しい」と言えば、その選択に余人は容喙すべきではない。現に、市場ではカスな商品が好感されて、質の高い商品が見向きもされないというようなことは日常茶飯事である。だから、これからは子どもたち(と保護者たち)は学校にいったい何を望んでいるか? それが最優先の問いとなる
 だが、子どもたちが消費者気分で学校教育の場に登場すると、学校教育のあり方は一変する。というのは、もし単位や卒業証書や資格が「商品」であるならば、子どもたちがそのために差し出す「代価」には親が負担する学費だけではなく、彼らの学習努力も含まれるからである。「教育サービス・教育がもたらす利得=商品」ならば「学費・学習努力=代価」となる。これは論理の経済が導く結論である。そして、もしそうだとすると、親たちは同じ教育商品を提供する学校が複数あれば、その中で最も学費の安いところを選択するだろうし、同じ理由で、子どもたちは親が選んだその学校を最少の学習努力で卒業しようとするだろう。というのは最も安い代価で求める商品を手に入れることは消費者の権利であるだけでなく、消費者の義務でもあるからである。ここに教育をビジネスの言葉づかいで論じることの根本的なアポリアが存在する。
 ここで言う「学習努力」には勉強だけでなく、教員に敬意を表したり、校則を守ったり、級友たちと適切なコミュニケーションを行うなどの「学習環境を整える」すべての努力が含まれる。だから、消費者として学校教育の場に登場する子どもたちが学習努力を最少に抑制しようとすると、まじめに授業を聴き、教師に敬意を表し、校則を守り、級友たちと穏やかな友情を結び、親密なコミュニケーションを立ち上げるインセンティブは損なわれる。
 もちろん、子どもたちも学校教育がそれなりに「価値あるもの」であることは分かっている。でも、消費者として喫緊の問題は、それをどうやって最少の学習努力=貨幣で手に入れるかなのである。書店に行ったら、『3カ月でTOEICのスコアが100点上がる』という英語の参考書があったとする。買おうとしたら横に『1カ月で100点上がる』という本があった。当然、こちらに手を伸ばす。すると、そのさらに横に『1週間で100点上がる』という本があった。おお、これを買うしかないぜと思ったら、その横に『何もしないで100点上がる』という本があった・・・この本を「選ばないロジック」を消費者は持っていない。同じ結果であれば、最少の学習努力でそれを達することを子どもたちは文字通り強いられているからである。
 同じことを学校も実はしているのである。最近「1年間留学必須」という大学をよく見かける。これは大学にとっては「おいしい」話である。学納金から留学先の授業料を引いた分が大学に入る。何も教育活動をしないで金が入ってくるのである。人件費も光熱費もトイレットペーパーの消費量も、校舎の損耗も25%カットできる。するとそのうち「2年間留学させたらどうか」ということを言い出す人間が出て来る。それなら経費の50%がカットできる。これはよいアイディアだ。すると、それを聞いた誰かが「どうです、いっそ4年間留学させたら」と言い出す。そうしたら、もうキャンパスも要らない、教職員も要らない、コストゼロで大学が経営できるじゃないですか!
 そうなのである。教育機関の利益は教育経費を削減するほどに増大する理論的には、いかなる教育活動もせず授業料だけ取る時に大学の利益は最大化する。だから、ビジネスマンが大学を経営すると「どうやって教育活動に要するコストを最少化するか」を優先的に配慮するようになるのは理の当然なのである。彼らにとってそれが合理的なのである。しかし、「できるだけ教育活動をしたくない」という人間は教育活動には不向きであるということは誰にでも分かるはずだ。
 2003年の小泉政権時代に特区で認可された「株式会社立大学」というのものがあった。市場の仕組みを熟知しているビジネスマンたちに大学開設の機会を与えたものであった。いざ蓋を開けてみたら、学生はぜんぜん集まらず、株式会社立大学はばたばたと倒産した。
 当然だと思う。倒産は「いかに教育活動をしないで学生たちから金を集めるか」に知恵を傾注したことの論理的帰結だったのであるが、その理路がこの実務家たちには理解できなかったのである。 
 市場原理を学校教育に適用すれば、学校はできるだけ教育をせず、子どもたちはできるだけ勉強しないように努力するようになる。よい悪いではなく、「そういうもの」なのである。
 もちろん、現実の学校は惰性が強い制度なので、そこまで極端な事態は起きない。今がそうであるように、学校は「そこそこ」教育をし、子どもたちは「そこそこ」勉強する。でも、どの程度の「そこそこ」が適正であるかについて理論的な根拠は誰も知らない。何となく惰性でそうしているだけである。何をどこまで教えたらいいのか、何をどこまで学んだらいいのか、誰もそれを確信を込めて言うことができない。それが日本の現状である。
 多くの日本人はこのことのリスクを理解していない。だから、相も変わらず、「即戦力を育てろ」とか「実用的な知識だけを教えろ」とか「実務経験者を教員に登用しろ」というような手荒な要求が財界や政治家たちから出されて来る。だが、この人たちは実務家主導の株式会社立の失敗をどう総括しているのか、まずそれを聞きたい。先方は「四半期以上前のことなんか誰が覚えているか」と言いたいのだろうが、学校教育の成果は20年、30年後になってかたちをとるのである。15年前のことを忘れるような雑な頭の人間には制度設計は任せられない。
 もう一つ言いたいのは、学校教育を「実務」に即してと主張する人たちが脳内に描いている「実務」の具体的なイメージが工場での製品製造プロセスだということである。工場で缶詰や自動車や乾電池を製造することが産業の主要形態であった時代の生産モデルに基づいて彼らは学校教育を構想している。
 仕様書に従って、規格通りの製品を、納期に間に合うように製造すべく全工程を管理するというのは前期産業社会においては支配的なスタイルだったが、今はもうそういう時代ではない。「シラバス通りに授業をしているか」とか「学士号の質保証」とかいうのは20世紀なかばまでの工場でモノを作っていた時代の用語である。GoogleやAmazonの開発会議で「PDCAサイクルを回して」などと口走ったら、その場は凍り付くことだろう。別に世界トップ企業の真似をしろと言っているわけではない。けれども、「実務家」を自称する人々が半世紀も前の産業形態をモデルにして教育を語っていることに無自覚なのは滑稽を通り過ぎて悲劇である。
 私が子どもだった頃も、教育制度もまた「以前に支配的だった産業形態」をモデルに制度設計されていた。農業である。
 私が生まれた1950年に労働者の50%は農業従事者だった。その比率は以後激減したのだが、にもかかわらず、教員たちも親たちもしばらくは農業モデルで教育を語ることを止めなかった。それは「種子を蒔く、水や肥料をやる、日に当てる、風水害や病虫害から守る、収穫期に『自然のめぐみ』を享受する」という農業用語で教育が語られたということである。私たち子どもは「種子」と見なされていた。先行きどのような果実となるのかは正確には予測できない。なにしろ工程のほとんどが自然に委ねられているのである。太陽の光も、雨量も、イナゴの飛来も、人力ではコントロールできない。だから、何が実るかは分からない。それでも、何が実を結ぶにせよそれは「天の恵み」であって、人間による精密な工程管理の所産ではない。
 実際に、教員たちがガリ版で刷っていた学級通信のタイトルには「めばえ」とか「わかば」とか「みのり」とか植物にかかわる語が頻用されていた。こういうメタファーは「教育とは何か」についての、ある時代に固有のイメージを無意識的に表出している。
 ともあれ、当時の子どもたちは自分のことを「どんなものに結実するかわからない何か」だと思いなすように訓練されていた。だから、「自分探し」などという言葉はなかったし、「自分らしさ」を早く確定して、得意分野に資源を集中しろというようなことも誰も言わなかった。本人も周りも「先行き何になるかわからない」が無言の前提だったからである。その頃は中高生になっても、ぼんやりして、将来何になるのか予想もつかない子どもについては、苦笑とともに「大器晩成」という形容がよくなされた。今はもう死語だ。
 今の学校で子どもたちの自己イメージは「種子」ではなくて、「消費者」である。消費者は登場した瞬間にすでに完成している。変化しないことが前提なのである。消費者というのは「自分が何を欲しているのか知っていると想定された主体」のことである。だから、人間的属性は不問に付される。消費者の成熟など誰も問題にしない。6歳の幼児も80歳の老人も、同額の貨幣を持って店に行けば、「いらしゃいませ」と同じ挨拶を受け、同じ商品が買える。子どもたちを「消費者」と規定する限り、彼らに成長を求めることは論理的に不可能なのである
 一方、教員たちの自己イメージは「工場労働者」である。仕様書通りに、納期に間に合うように、規格通りの製品を仕上げること、壊乱的なファクターやバグが工程に関与しないように目を光らせることがその本務である。だから、「不良品」が出た場合には教員の管理責任が問われる。農作物のように「日照時間が短かったですから」とか「台風が来て」というような言い訳は通らない。製品の質については「工場」が全責任を引き受けなければならない。ずいぶんな話である。
「現実的である」ということはその時代に支配的な世界観に同期するということである。そうしないといろいろ不便だから、「現実的」であることは必要である。けれども、「その時代に支配的な世界観」はやがて変わる。今、教育関係者が口にしている「ビジネスの言葉づかい」なるものはすでにずいぶん時代遅れのものである。それが無効であることは、日本の学校教育の壊滅的な現状を見ればわかるはずである。

 もう紙数がないので、第二の論点は駆け足で述べる。それは「学校教育の受益者は個人ではなく、集団全体である」ということである。
 学校教育の場に消費者として登場する子どもたちにとって、学校教育は「買い物」である。学校で得られる知識であれ情報であれ技能であれ、あるは資格や免状であれ、それらはすべて「個人資産」にカウントされる。それによって彼らが将来的に高い社会的地位に就き、高い年収を受け取り、レベルの高い配偶者を得ることができるのだとしたら「買い物」に際して他人の財布を当てにすることはできない。「この車買いたいんですけど、お金が足りないので、公金で補填してくれませんか」と言い出す消費者はいない。けれども、学校教育ではそれが通る。
 もし、学校で子どもたちが手に入れるのが「個人資産」であるなら、「受益者負担」の原則を適用して、学校教育に要する全てのコストは受益者たる子どもとその親たちが支弁すべきだということになる。学校教育に税金を投じるべきではないということになる。公立学校も奨学金もあってはならないということになる。教育コストを負担できる家の子どもたちだけが私立学校に通う。貧乏人の子どもが学校に行きたければ、まず働いて、学資を貯めてから行けということになる。
 別に想像を書いているわけではない。18世紀のアメリカに公教育が導入されようとしたときに、実際にこう言って学校教育への税金の投入に反対した納税者たちが少なからず存在した。彼らはこう言った。われわれは努力と才能によって今の地位を手に入れた。だから、個人資産を投じて自分の子どもには学校教育を受けさせている。けれども、何が悲しくて、自分たちほど努力もせず、才能もなかった人間の子どもたちを教育し、われわれの子どもの「競争相手」にすることにわれわれの血税を投じなければならないのか、と。
 そのときに「なるほど、受益者負担の原則に基づけば、学校教育に税金を投じるのは間違ってますね」ということで国民的合意が成っていたら、今でもアメリカは文字が読めず、四則の計算もできない貧しい国民を大量に抱え込んだ「後進国」だっただろう。さいわいそうなっていないのは、口うるさい納税者たちを黙らせて、「学校教育の受益者は個人ではなく、集団全体である」と言い切るだけの常識をアメリカ市民が具えていたからである。
 子どもたちに生きるために必要な知識と技能を教えるのは集団全体の義務である。そんな当たり前のことを今さら声を大にして言わなければならないのは、本当に情けないことである。
 原始時代だって、大人は子どもたちがある年齢になったら、狩猟や漁労や農耕を教えた。「生きる知識と技能の受益者は子どもたち自身なのだから、まず入学金と授業料を耳を揃えて持ってこい、話はそれからだ」というような「せこい」ことを言う大人はいなかった。当たり前である。子どもたちが然るべき時期に生きる知識と技能を身につけることができなければ、遠からずその集団の成員たち全員が飢え死にすることになるからである。
 教育というのは共同体の生き死にのかかった営みなのである。それを「自動車を買う」とか「服を買う」ような行為と同列に論じることがいかに的外れであるか、そろそろ気がついてもよいのではないか。
 というようなことを久しく私は言い続けてきたのだが、耳を貸してくれる人は依然としてまことに少ない。